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2nd Season
調律師の想い。


その日の仕事は急に無しになってしまって、事務所で軽く打ち合わせをした後で買い物をしてから1人マンションへと帰って来た。

玄関を開けて、5秒は動きが止まった。

俺のでもヤマナツの物でもない革靴。

部屋に断続的に聞こえるピアノの音。

「おかえりー。」

耳に届いた、久し振りの声。

「え、春馬さん?」

靴を脱いで早足でリビングへと入る。

高級そうな煙草の香りの中で、ジャケットを脱いでワイシャツの上にベストを着た春馬さんがピアノの椅子に座ってた。

「おかえりなさい。ってか!1日早くないですか?」

帰ってくる予定は明日だった筈。

「今日だよ。あれ、夏希…また間違えた?」

前も1日ずれて覚えてたんだ、あのバカ息子。と笑った春馬さん。

髪型が以前と変わって短くなってた。シャツのボタンを上から2つとベストのボタンも全部外し、ネクタイはソファーにジャケットと一緒に背凭れに掛かってた。

ピアノの蓋を開けて、下に手を入れたり屈んだりして何かをしてた。

「何、してんすか?」

「ん?ちょっとね。面白いの…見せてあげようか。」

楽しそうに俺を手招きした春馬さんに近付いた。

「ココ、支えてて。………よっと。」

「ぅわ。」

手に掛かる重みと、思い掛けない動作に短く声を上げた。

「ピアノってね、釘とか一切使ってないんだよ。全部手で分解できんの。」

さすがにプロじゃないからこれ以上はバラさないけど、と外した部品を元に戻した。

「特にいいピアノってのは何百年も音色が変わらないからね。面白いよ。」

ピアノの話を分かりやすく教えてくれた。特にピアノを作り直すリビルドって言葉には興味をひかれた。

「ちょっと調律しとこうと思って。」

「見てていいですか?」

煙草を咥えたまま笑った春馬さんが頷いて、ピアノの椅子を俺の方へと寄越した。

その椅子に座り春馬さんの動きを見た。

鍵盤を全部1つずつ叩き、ピアノ線の張り巡らされた中へと手を入れてる。

「……また、」

1つの音を何度も叩き、何かを調整してる。

「全く。」

短い独り言を口にして、高音までの鍵盤を叩く。

20分も経った頃、春馬さんが息を吐いて腰に手を当てて俺に向いた。

「……夏希、癖があってね。左手の力が強いんだよね。」

さっき何度も叩いてた鍵盤の音を響かせた。

「分かるんですか?」

音の違いも全く俺には分からないし。

「まぁね、ずっと夏希のピアノの調律やってるから。」

「春馬さんも弾けるんでしょ?ヤマナツが自慢してました。」

立ち上がり、椅子を春馬さんの方へと押してピアノの横に立った。

「俺のピアノはね、素直じゃないんだって。」

意地悪そうに笑った春馬さんが左手で音を奏でた。

「夏希のピアノが素直な優等生だとしたら、俺のピアノは乱暴な不良学生なんだと。」

そうハナエさんにでも言われたのだろうか。

ヤマナツのおばあちゃんで春馬さんのお母さんのハナエさんは、ピアノの先生をしていたのだと前に聞いた。

右手で持ってた煙草を口に咥えると、両手で力強く鍵盤を叩いた。

乱暴というよりは、男らしい荒々しさのある演奏だと感じた。

……凄ぇ。

ヤマナツのピアノとは確かに全く違う。

いつもは掴みどころのない飄々とした春馬さんの、内に秘めた激しさを垣間見たような音だった。

「……っし、オッケ。コーヒーでも飲む?」

タバコを携帯灰皿に片付けて俺へと身体を向けた春馬さん。

「あ、俺します。」

「いいよ、淹れさせて。」

シャツの袖をまくりながら春馬さんがキッチンへと歩いて行く。

てきぱきと手を動かしてコーヒーの缶を空けて匂いを嗅いでた。

「夏希の淹れるの、濃いでしょ?」

「濃いの、好きなんで。」

ヤマナツがコーヒー淹れる時は、確かに少し濃い目だ。

コーヒーに牛乳を入れてカフェオレにする事もあるからか、コーヒーの量が多いしお湯を馴染ませる時間も長い。

冷蔵庫を開けた春馬さんが、中から袋に入ったクッキーを出した。

「あ、それ。」

「夏希が作ったんでしょ?コレ美味いよね。」

昨日の晩、ヤマナツが作ってたジンジャークッキー。春馬さんが美味いと言ってたから、といつもより多目に焼いてた。

一枚を口に入れながらもぐもぐと嬉しそうに食べ、皿やマグカップを食器棚から取り出す。

「何も、入れないんだっけ…砂糖とか。」

「はい、春馬さんは?」

「俺は砂糖をスプーンに軽く半分。夏希は、」

「ミルクたっぷり。」

春馬さんの言葉に自分も声を重ねた。2人で同じ言葉を口にした後で、顔を見合わせて笑った。

皿にクッキーを並べ、シュガーポットを取り出してた。

「ヤマナツ、今日帰り遅いかもしんないですよ。春馬さんが帰って来るの明日だと思ってるんで。」

「いいよ、別に。1週間居るしね。……吾妻君は?」

「俺は、」

明日春馬さんが帰って来ると思ったから、少し部屋を片付けて自分のマンションへ数日帰る用意をしようと思っていた。

「何も無いならノブオん所行こう。」

「はい。ってか、一昨日も俺行っちゃいましたけど。」

一昨日の夜も、ヤマナツの帰りが遅くて1人の夜の時間をノブオさんの店で過ごした。

「夏希は、忙しそうだね。」

「はい、今日は別の仕事だったし。ヤマナツにも付き合いがありますから。」

「へぇ、どんな付き合い?」

「まぁ、色々。」

興味津々といった感じで聞かれた。けど、はぐらかした。

俺の前にコーヒーのマグカップを置いて、向かいの椅子に座った春馬さんが「ふぅん」って俺の目を見た。

ヤマナツが夜な夜な出掛けてる内容と、その付き合いの種類を口にしたら、ヤマナツがこっそりと何をしているのかがきっとバレてしまう。

「同じアイドルでも、その辺は別行動なんだ?」

「そうですね。俺の付き合う種類は柄が悪いのが多いので。」

「ははは、じゃあ夏希の種類は?」

「ヤマナツは皆に可愛がられてますね。殆ど年上のお兄さんお姉さんに囲まれてますから。」

俺の言葉に不可解そうに眉を顰めた春馬さん。

「吾妻君、手強いなぁ。」

マグカップを口に付けながら春馬さんが苦笑いしてた。

「先々月、電話…ありがとうね。」

「あ、いえ、スミマセンでした。」

「あの後、ノブオから連絡もらって様子を聞いたけど、吾妻君に世話を掛けたみたいで。」

そんな事、一緒に住んでるんだから、お互いの不調時くらい。

「基本丈夫に育てたつもりなんだけどね。」

秋には弱いみたいで、と腕を組んで椅子に凭れて溜め息を吐いてた。

「秋の花粉症かもって本人言ってました。」

「そう、それでそのまま風邪になるみたいなんだ。」

困ったような顔で息子の心配をする父親。

「丈夫に育てたって、何かしたんですか?」

「そりゃね、色々と……男の子だし。」

タバコを箱から出して口に咥えてライターで火を点けた春馬さんが思い出し笑いしてた。

「まずケンカの仕方。」

「ブッ。」

「その次は逃げ足を鍛えて。」

「………は?」

「大事でしょ?」

「はぁ。」

体力づくりの為に体育会系の習い事でもしてたのかと思いきや……、いやある意味体力づくりには間違い無い。

「それで、あんなに反撃が早いのか。」

俺も思い出したようについ口にした。

「一応自分から仕掛けるなって教えたんだけど。」

「そう、ですね。ヤマナツからは無いですけど。」

「殴られた?」

「しょっちゅうです。」

「何したの。」

「………初めて手を出した時は蹴られました。」

タバコを咥えたまま足を叩いて笑う春馬さん。

「役立ってるみたいで何よりだ。」

満足そうな顔でタバコの煙を吐き出してる。

「夏希は小学生の時虐められてたからね、低学年の頃だけど。」

また初めて聞くヤマナツの情報に胸がドキリとした。

「その時かな。男には戦わなければならない時があるって………、ノブオが。」

「は?ノブオさんが?」

「そう、いじめに気付いたのノブオだったんだ。気の進まない夏希を無理矢理空手の道場に連れてって……ノブオが。」

またノブオさんかよ。

「4年生になる頃には立派に帯も濃くなって。で、殴られりゃ痛いって知るでしょ?自分より強い奴の見極めも出来てくる。そしたら次は、」

「逃げ足?」

「うん。朝と夜にジョギングして何本も全速力ダッシュとかさせて。……ノブオが。」

「…………。」

そろそろ突っ込むべきなんだろうか。

「足、速いでしょ?夏希。」

「足どころか、泳がせても俺らの中で一番速いし。」

海やプールで競争をしたら、全く歯が立たなくて。運動神経がいいんだろうなとは思ってたけど。

空手道場に通って、朝夜ジョギングする小学生って。

「え、いつピアノの練習してたんですか?」

「学校から帰ったら母さんの教室で弾いてたかな。」

そんな、教室で習った程度であんなに弾けるもんなのか?軽く言ってるだけで、本当はたくさん弾き込んでるのか?

「ピアノね、……それも虐められる原因だったんだ。」

タバコを灰皿に押し付けて、冷めたコーヒーを口に含んだ春馬さんが困ったように笑ってた。

「今はそうでも無いかもしれないけど、男の子がピアノ習ってるって、からかわれる対象じゃない?俺も弾けるの隠してた位だし。」

「………子どもの内は、そうかもしれません。」

「それまでは褒められるばっかりだった夏希の得意なピアノがね、からかわれてバカにされて、自信を無くしたんだろうね、きっと。」

確かに、High-Gradeでデビューしてからも、プロフィールにピアノが趣味と書いてたけど、ヤマナツは自分からピアノを弾くとは言い出さなかった。

「その上に……母親が居なくて参観日にもろくに顔を出さない父親。格好の標的だよね。」

ゆっくりと立ち上がってコーヒーポットを手に取り、俺と春馬さんのカップにコーヒーを注いだ。

立ち昇る湯気を見つめてると、春馬さんが皿に並べたクッキーを一枚摘んで皿を俺の方へ寄越した。

「その時の俺は、大学通いながら会社も手伝ってて余裕なくて、家に帰っても夏希に会えなかったりで。」

最低でしょ、と自分を悪者呼ばわりしてクッキーを齧ってた。

「でもさ、夏希は何も言わないんだ。たまに夏希が夜更かししてて会えたりするじゃない。そしたら、」

マグカップを手に持って、ふぅ…と熱を冷まそうと息を吹きかける春馬さん。

「お父さんに会えたから、今日はいい日になった…って、小さい身体でハグしてくれるんだ。」

「……………。」

「一年生の男の子が、そんな細やかな事を喜びにするなんてって、かなり胸に響いた。」

静かに、何の音も無い時間。でもきっと数秒の間だけど。

「父親の俺という存在は、小さな夏希の中で大きなものなんだってね、実感した。俺が22歳の時。」

22歳で……7歳の父親。

きっと世間からは異色なものだったんだろう。

「あれ、何でこんな話してんだっけ?」

ふ、と息を吹き返すように空気が和らいだ。

穏やかな笑顔が、またいつもの春馬さんだと変に安心した。



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