空色少女 再始動編 390 幻覚を注文 (……強い、ですね…) ハァハァ、と荒くなる息を吐く。 初めは紅奈の実力を把握しようとしたのが、骸は悠長なことをしていられなかった。 すぐに格闘能力の修羅道を使ったのだ。 さもなきゃ、叩き潰されていただろう。 骸の三叉槍に合わせて、紅奈はスクアーロと稽古するための木剣を持った。 スクアーロ仕込みの剣技を防戦していれば、隙をついて蹴りを入れられる。 最初から本気で来る紅奈に、本気で戦わずにはいられなかった。 「ハァハァ……これで、弱いと自己評価なさっているのですか? 末恐ろしいですね…」 「…ハァハァ……バーロー。これから強くなれなきゃ、最強なんて夢のまた夢じゃん」 紅奈も何発か骸の攻撃は受けたが、勝敗をつけるなら骸の負けだろう。 同じ荒くなった呼吸を整えておく。 「てかさぁー……あれ、何?」 グッと腕で顎下の汗を拭いながら、紅奈はこちらを捉えるビデオカメラを指差した。 何故か、稽古前に骸がセットしたのだ。 「スクアーロに頼まれたのですよ。稽古の様子を撮れと」 「……ふぅん。いつの間に。さん付け、やめたんだ?」 「いえ、本人に胸くそ悪いからやめろって言われましたので、お言葉に甘えて呼び捨てをさせてもらうことにしました」 骸もシャツの袖で汗を拭うと、にこっと笑って見せる。 その際に見えた腹部。 今までの生活のせいで、余分な肉はなく、心配すら覚える貧相さが見えた。 「? どうかしました?」 じとーっと、紅奈に凝視されていることに気付く骸。 しかし、意味まではわからない。 「いや……未来に期待しよう」 「え? は、はい……?」 強さについてだろうか。違う気もしたが、とりあえず、骸は頷いておいた。 「さっきは、なんで幻覚使わなかったの?」 「紅奈が使う暇もなく攻撃を繰り出すからじゃないですか……そもそも、幻覚は通用しないのでは?」 苦笑を零してしまう骸。皮肉を言われているのだろうか。 常に修羅道を発動していなければ、紅奈の攻撃の嵐など防げなかった。 「んー。ちょっと、骸に頼みたいことがあるんだ。やってもらっていい?」 「ええ。僕に…出来ることならば…なんなりと……?」 紅奈がビデオカメラの方へと行ってしまうかと思えば、ピッと撮影を止めたらしい。 「幻覚使って。水に沈める系で」 変な注文だ。 元の位置に戻った紅奈の注文に応えて、地獄道の能力を発動して幻覚を見せる。 紅奈の足元を、水に変えて沈める幻覚。 あっさり、幻覚を見破る紅奈に、意味などない。そう思っていたのに、骸は違うことを知った。 紅奈が膝をつく。苦しんでいる。幻覚に呑まれていた。 このままでは紅奈が倒れると思い、慌てて幻覚を解く。 「ゲホゲホッ!!」 飲んでもいない水を吐き出すように、紅奈は咳き込む。その紅奈に駆け寄れば、仰向けに横たわってしまう。 「だめかー……ちくしょー………」 そう零しては、右手で顔を覆った。 呼吸が、まだ荒い。 幻覚だとわかっていても、紅奈は幻覚に呑まれた。それも、パニック状態に近いほど、早かったのだ。 「溺れたせいですか?」 隣に膝をついて、骸は静かに尋ねる。 海に墜落した飛行機事故で、溺れかけては死にかけた。 そのトラウマのせいで、幻覚に呑まれるのか。 「……」 「危険ですから……もうこんな頼みをしないでください。幻覚で何度やったって、克服するとは限りません」 頼んできた意図を理解して、骸は先回りで告げる。 弱いせいで紅奈は、部下を一人失った。また弱さを見せないように、ビデオにすら残さないようにしたのだろう。 そして、これから、克服するつもりでいる。強くなるためにも。 「……骸…」 紅奈は顔から手を退かすと、真上の空を見上げた。 「……もうすぐ学校でプールの授業が始まるんだ」 「それは……休みましょう…」 差し迫った問題。当然、泳げなくなった紅奈には、参加が不可能だ。 無理に参加すれば、幻覚で荒治療どころではない。溺死の危険があるため、絶対に休んでほしい。 「ちっ。バカ正直に、海に墜落した飛行機事故のトラウマで泳げなくなったって申告するしかないのか……くそが」 物凄く不服そうに顔を歪める紅奈を見下ろして、骸は苦笑を零す。 「……僕には、教えてくれるのですね」 紅奈は隠しておきたいのだろう。この弱点。 「苦渋の選択。幻覚が必要だから」 「クフフ、そうですか」 ぶっきらぼうに答える紅奈。幻覚を使えるから、教えてもらえただけのこと。 わかってはいたが、それでも教えてもらった優越感を覚えてしまう。 「あたし」 紅奈は手を伸ばした。空へ。 「XANXUSにプールに放り込まれたことがあるんだよね」 「それは……え? 酷い、ですね?」 「寝起きで、服のままで、溺れかけた」 「酷いですね……え? 部下ですよね?」 部下なのだ。目を覚まさせてやろうと、乱暴な手を使った。手が滑ったと言い張って認めなかったが、わざとだ。 「見えるんだ、その時の光景が」 紅奈は目を閉じた。 「水面の向こうで、アイツが見えるのに………海なのか、プールなのか、わからなくなる」 話が、トラウマと重なる。 「手を伸ばさないといけないのに……伸ばしても、伸ばしても、届かなくて……沈む」 溺れたことだけではない。紅奈のトラウマの要因には、手が届かない部下がいる。 「……紅奈」 伸びたまま、何も掴めない手を、骸は思わず握った。 「………死んでいる間、真っ暗なんだ。絶望の闇の中」 瞼を上げてくれない紅奈の気を引くように、きついほど握り締める骸。 「生きていれば、光がある。希望はあるんだ」 スッと開いた目に、絶望など映していない。 橙色の煌めきのあるブラウンの瞳。美しい強さを感じるそれ。 「救わせてくれてありがとう、骸。大事な部下を、救えるって勇気をもらえた。絶望に落ちず、希望を掴めたんだ」 そういう意味の希望だった。 骸の手を引き寄せて、紅奈は自分の頬に当てる。 きっと。骸達を救えなければ、絶望に打ちひしがれてしまった。 互いに掴んだ、希望なのだ。 他人を救えたことで、自分が救われるだなんて。 どこまで優しい人なのだろうか。 無邪気な笑みを見つめていれば、骸は吸い寄せられるように顔を近付けてしまっていた。 サラッと自分の前髪が、紅奈の頬にかかったところで、我に返る。 「あ…汗を拭いましょう! 風邪を引いてはいけません!」 バッと離れて、骸はそう急かす。 危ない、危ない。 またもや、紅奈の唇を奪ってしまうところだった。 再会の際はお詫びとして許されたが、今後断りもなく唇を奪ってはいけない。 「嫌ねぇ、夏が来る。……日本の夏って、ほんっと暑いって知ってた?」 ひょいっと起き上がった紅奈は、一括りにした髪についた砂をぽんぽんっと払い落とす。 背中の砂は、骸が払ってやった。 「イタリアよりですか?」 「うん。そういえば、夏休みはどうしようかなぁ……冬はイタリアでスキーしたいって家族旅行で行ったんだけど、流石に却下されるかな。骸達もいるし……スクアーロ達に来てもらって、稽古してもらおう」 夏の話ということで、夏休みの予定を考えた紅奈。 無断でイタリアに三週間滞在した件があっては、イタリア旅行を却下されても強く出れない。 「稽古中心となりますね……。本気の紅奈の相手が務まるなら、それまで僕が頑張りますよ」 ほぼ独占かと思ったのだが、骸は紅奈に不敵な笑みを返された。 「本気のあたしの相手?」 「……なんでしょうか? 変なことを言いましたか?」 覚えがあるニヤリとした笑みである。 ボンゴレだと明かされたあと、10代目ボス候補だと爆弾を落とされた時と同じだろう。 何かあると悟り、身構えた。 「明日は、犬と千種も参加させてい? あたしの本気、みたいでしょ?」 先程の紅奈は――――まだ本気ではない? 一体何を隠していると言うのだ。 まだまだ驚かせてくる紅奈に、骸は警戒せずにはいられなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |