[携帯モード] [URL送信]

空色少女 再始動編
374 林檎


 真っ赤な林檎がある。


 いつからか。

 足を運ばなくなった場所に立ち尽くした骸は、それを見下ろした。


 ゴミ捨て場の横にあるそれは。
 誰かが、投げて捨てて、それが落ちただけだろうか。

 それとも。

 膝を抱えて俯いて待っていたあの少女が置いたものだろうか。


 まさに彼女がいた場所にある、その林檎に手を伸ばす。

 一度は躊躇した。それでも、手に取った。


 少し、腐りかけているそれを見て。


 何を思えばいいのだろうか。


 本当に。どちらなのだろうか。


 赤い林檎が、ここに置いてあるのは。

 偶然なのか。

 それとも。期待を持たせておいて、それっきり。

 会わなくなった彼女が、来た証だろうか。


 骸は本当に、自分がどう思えばいいか、わからなかった。


 ただ。忘れかけた無邪気な笑みが、閉じた瞼の裏に浮かび、それから。

 胸にある苦痛。顔が歪む。


「――……クフッ」


 片手で顔を押さえてから、やがて噴き出す。

 自嘲だった。


 まだ期待を持つのか、と自分を嘲笑う。

 それでも拭いきれず、立ち尽くす。


 会ったのは、たった二回だ。それなのに。

 どうしてあんな小さな少女に、とてつもない期待を抱いてしまったのだろう。


 もう。わからなかった。


 最後に会った日が遠くに感じるようで、昨日のように感じるようで。曖昧過ぎる。


 忘れてくれても構わないと冷たく言い放った。無駄な期待を差し出す小さな手。


 期待を裏切られれば、きっと必然的に、幻滅しては。


 たった二回、会っただけの少女を。

 嫌ってしまう。


 彼女が持ち掛けた契約。それは、もうないに等しい。


 彼女が会いに来なければ、ないと同じだ。


 正直、どんな生活が待っていたかは、想像出来なかった。彼女が約束を果たして、自分達を救ったあとのことは、泡沫の夢のように見えやしない。

 想像出来たのは、ただ。隣で笑う少女と、一緒に楽しげに笑う自分達だけだった。

 そこは多分、穏やかだ。まるで日向のように温かな、場所。

 愛が大事だという少女の居場所。

 そんな幸せを、いつまで期待出来ただろうか。


 いつから、この場所に足を運ばなくなったのだろうか。


 振り払うように、進んできた。彼女の居場所から、恐らくずいぶん遠ざかったはずだ。


 なのに、どうして。自分はここに来てしまったのだろうか。


 ここは。ここには。希望の残骸が、ある。


 どうしようもないくらい惹きつけておいて。

 大きすぎる期待を持たせておいて。

 この場所に現れない彼女に。

 まだ未練があったのか。自分で、自分に驚いてしまう。


「骸さん?」


 ハッとして顔を上げれば、犬がそこにいた。そして千種も後ろに立っている。


「その林檎は……? まさかっ! アイツ!?」


 ピリッと焦った。二人にまで、期待を抱かせてはいけない。


「いいえ。これは、ただの――」


 確証のない期待。


「ゴミですよ」


 そう言って、ゴミ捨て場に放り込んだ。

 それを一瞥しては、二人を連れて、その場をあとにする。


 まだ未練が。

 後ろ髪を引くのを感じながらも。

 骸は、振り払うように歩き続けた。


 それでも脳裏にちらつくのは、無邪気な笑みを零す少女だ。


 ここに来たのが、間違いだった。こびりついたそれを。

 もう少しで終わるところで、思い出してしまうなんて。


 なんて、愚かなんだろうか。


 忘れよう。あれはただのゴミだ。ゴミなのだ。


 彼女だって、とっくに忘れている。きっとだ。


 自分が諦めていた間に、そこで待っていたわけがない。


 膝を抱えて俯いて、骸が来ることを、待っていたはずはないのだ。


 そんな姿を想像してしまい、ギュッと胸が締め付けられた。

 振り払う。

 振り払え。

 もう。

 互いに忘れてしまえ。






[次へ#]
[戻る]

[小説ナビ|小説大賞]