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頂き物小説
彩 Aya 別章  『漆黒の風神』(後編)
※諸注意

今回は以前投稿した彩 Aya『漆黒の風神』(前編)の続きを投稿しますが、前回のお話をまだ読んでいないという方は、一度前編を読んでから今回のお話を読む事をお勧めします。

既に読んだという方は下からどうぞ↓



  彩 Aya 別章
 『漆黒の風神』(後編)




「───ッ!! ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」
 アッパーカットの体勢から身体を戻した洋子は、両手を膝に置き、肩で大きく息をしていた。
 過剰なまでに身体を酷似して放ったファントムブレイクは洋子の体力を根こそぎ奪うだけでなく、急激な動作の連続で筋肉に負荷を掛け過ぎた為、凄まじい程の疲労感に襲われる。
 しかも今まで無呼吸だったせいか、体内が本能的に生命危機を察して酸素を要求しており、大口を開けて懸命に酸素を取り込んで血液を循環させ、心臓と肺を正常な動作に戻そうと必死になっていた。
 余程苦しいのだろう。本来の呼吸の仕方も忘れて遮二無二といった様子で鼻と口から酸素を補給している。
“流石に・・・・・・立たれへんやろ”
 アスファルトに落下し、大の字になって倒れた彩を一瞥してから洋子は額と鼻頭に浮かぶ玉の汗をトラックジャケットの袖で拭った。
 急速な体温の上昇により、身体がオーバーヒート直前になっている為か、動いていなくても全身の水分が全て排出されるかの如く膨大な量の汗が毛穴から際限なく吹き出てくる。
「彩ちゃん・・・・・・しばらく眠っとき。そのまま起きんかったら何もせんよ」
 未だ顔から滴り落ちる汗を再び邪魔臭そうに拭う洋子は、ダウンしたままの彩に呟く。
「ぐっ・・・・・・うぅ・・・・・・」「────ッ!!」
 これで決まっただろう・・・・・・そう思っていた彼女の予想に反し、彩は総身を震わせながらゆっくり立ち上がった。
 その光景に洋子だけでなく、柚華やちより、そしてギャラリー達も目を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべている。
「まだ・・・・・・だよ・・・・・・まだ・・・・・・ボクは・・・・・・闘える!!」
 ファントムブレイクを受けたのと地面に落下した二重の衝撃からか、額と頬がざっくりと裂けて頭蓋骨の一部分が剥き出しになり、まるでペンキを被ったかのように傷口から鮮血を垂れ流して顔全体を赤く汚していた。
 それでも彩は、息絶え絶えになりながら鉛のように重くなった両腕を上げて再び半身の構えを取る。
 本人の言葉通り、まだこの少女の心に宿る闘いの火は消えていない。
 寧ろ、その炎火は激痛という名の薪を投げ込まれて更に燃え盛っているように見えた。
 これが街で無敗のストリートファイターと呼ばれた少女の底力・・・・・・と言うべきか。
 その屈強な精神力は賞賛にも値する。
「言った側から立ち上がってどないすんねん・・・・・・アホやろホンマに」
 驚いているのか呆れているのか判別し難い表情を浮かべ、洋子はため息混じりに悪態を付く。
 だが、彼女もまだ戦意は失っておらず、それどころか厚みのある唇には喜悦の証である笑みさえ張り付いていた。
 自分の切り札を受けても、なお立ち上がってくる彩が嬉しくて仕方ないのだろう。ここまで餓狼の如き執拗さで喰らい付いて来る手合いは、中々いない。
 なるほど、これなら彩が格闘技界で名を馳せてきた少女達を路上で打ち倒してきたというのも合点が行く。
 聞きしに勝る猛者とは正にこの事だ。
 それならと・・・・・・洋子は垂れ下げていた頭をもたげ、バンデージを巻いた両拳を握り締める。
「はぁぁぁっ!」
 疲労困憊である身体を叱咤する為の気合いと共に、洋子は先程のアップライトからクラウチングスタイルへと構えを切り替え、俊敏なフットワークで彩の懐に潜り込むと同時に右のフックを繰り出した。
 剃刀のような鋭さを持つそのフックは、ボクシング界から姿を消したとはいえ、やはり洋子が一流のプロボクサーだという確固たる証拠。素人ならまず、その軌道を見切れる事なく顔を打たれ、アスファルトに沈むだろう。
「────ッ!!」
 風切り音とともに差し迫ってきた洋子のフックに対して彩はパクサオで拳撃を下方へ弾き落とし、目標を失ってあらぬ方向へと逸れた洋子の腕───正確にはトラックジャケットの袖の内側を絡め取るように掴んで押さえ付ける。
 パクサオというのはボクシングのパーリングをストリート用にアレンジしたものであり、相手の拳撃を弾くだけのディフェンスとは異なってパンチを弾いた後に腕を掴む、或いは押さえ付ける等して相手の自由を奪う事を目的とした防御法だ。
「なっ・・・・・・!?」
「遅いっ!!」
 得意のフックを楽々といなされ、洋子が絶句していたその刹那、意趣返しとも言うべき彩の掌底フックが洋子の顎を斜め下から撃ち抜く。
「あぁっ・・・・・・あがっ・・・・・・」
 皿に乗ったプディングのように人体の司令塔である脳をシェイクされた洋子は地についていた脚がぐらつき、今にも崩れ落ちようとしていた。
「すぅぅぅぅ・・・・・・」
 身体を傾がせた洋子に追い討ちを掛けるべく、彩は調息によって鼻孔から吸い込んだ内気を丹田に満たし、骨が軋みを上げる程、拳を強く握り締める。
「やぁぁぁぁぁっ!!」
 刹那、彩は凄まじい爆発呼吸とともに、殆ど揉み合うような超至近距離から洋子のボディに拳撃を叩き込んだ。
「がはっ────!!」
 彩の得意技、寸勁・・・・・・別名、ワンインチパンチ。
 相手が連撃で来るなら自分は一撃で打つ・・・・・・そう物語るかのような一打は体格の勝っていた筈の洋子の身体を軽々と浮上させ、密着していた状態から数メートル先まで吹っ飛ばした。
 殆ど予備動作の無い動きから繰り出されるその一打は、紛れもない本物の功夫である。
「あ・・・・・・がぁ・・・・・・うぅ・・・・・・」
 先程とはまるで立場が逆転していた。
 洋子がファントムブレイクを放った時、彩は何も出来ないまま打たれ続け、宙に放り出されて落下したが、今度は洋子がワンインチパンチの衝撃で吹き飛ばされ、先刻の彩同様に背中から地面に落下していった。
 鳩尾に強烈な一打を放たれ、呼吸困難になった洋子はアスファルトに倒れたまま両手で胸を押さえ悶絶している。
 しかも落下した時、恐らく後頭部を地面に打ち付けてしまったのだろう。瞳孔が開ききって危険な状態になっていた。
“負ける・・・・・・負けるんか? うちは・・・・・・嫌や・・・・・・そんなん嫌や!! うちが負けたら、加奈が・・・・・・加奈がぁっ!!”
 意識が混濁している洋子の脳裏に、一人の少女の笑顔が浮かぶ。
 それは、いつも自分に優しく微笑んでくれた・・・・・・大滝加奈の笑顔だった。
 二年前、高校へ入学すると同時にプロテストに合格してライセンスを取得した洋子は、その会場で同じ志望校に入学した加奈と出会い、互いにプロボクサーとしての道を歩む二人は意気投合し、いつしか惹かれ合うようになる。
 そして、二人が恋人同士という特別な関係になるまで、さほど時間は要さなかった。
 同性愛という異質な恋愛ではあるが、洋子も加奈もお互いを愛し合っている事に変わりは無い。
 普段は洋子が甘えるように擦り寄っても呆れ顔で素っ気ない態度を取る加奈だが、それでも自分と同じ道を志す洋子を励まし、支えくれる。
 そして、何だかんだ言いつつも自分だけを見て愛してくれる・・・・・・それだけでも洋子は嬉しかった。
 充分過ぎる程の幸せを感じていた。
 全てを狂わせたあの忌まわしき事件が起きるまでは・・・・・・。
 プロデビュー戦の最終ラウンド・・・・・・対戦相手であった加奈をコーナーにまで追い詰めた洋子がストレートを放った時、加奈はリングロープを支えるコーナーポストに後頭部をぶつけて頸椎を骨折してしまい、全身麻痺になってしまった。
 当時、スポーツ新聞や格闘技雑誌でも大きく取り上げられて大騒動になったそのアクシデントは、二年という月日が経過した今でも加奈の安否を気遣う声が上がっている。
 病院のベッドで寝たきり状態になってしまった加奈に、洋子は涙を流しながら床に頭を付けて何度も何度も謝り続け、その度に首を動かす事すらままならない加奈は消え入りそうなくらい小さな声でこう言い続けた。
『洋子のせいじゃないよ・・・・・・謝らないで』
 精一杯の力を振り絞って洋子に語りかける加奈の表情は、今でも洋子の網膜に焼き付いて離れる事は無い。
 加奈の治療を担当した医師の話では、損傷した頚椎が治ってリハビリを続けれていけば完治は難しいが、日常生活を送れるまで回復する事は可能だと言っていた。
 だが、その治療には長い年月と莫大な費用が掛かる・・・・・・そう聞かされていた洋子は加奈の治療費を稼ぐ為にボクシング界を去り、破格の賞金が出る地下格闘技場やストリートファイトに身を投じて金を稼ぎ回るファイターとなる。
 噂は真実であり、実際に洋子は今日までアンダーグラウンドファイターとして幾多もの修羅場を潜り抜けてきた。
 表舞台のルールが通用しない地下闘技場の中で、がむしゃらに闘い続けた結果、いつしか地下闘技場ではトップクラスのファイターにまで登り詰めていたのだ。
 だが、それも全ては加奈の為。
 自分が弱かったから・・・・・・加奈の人生を狂わせてしまった・・・・・・だからこそ、加奈を助けるのは・・・・・・自分だ。その為なら汚泥を被る事もいとわない・・・・・・・・・あの日から洋子はそう決意していた。
 もう一度、加奈の笑顔を取り戻したい───それだけを支えにして今日まで闘い、勝ち上がってきた。
 だから、自分はこんな所で負ける訳にはいかない。
 例え相手が百戦錬磨の喧嘩屋だろうと、勝ってファイトマネーを得なければならない。
 それが、中野洋子が自らに課した宿命だった。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
 顎骨が外れるのでは無いかと思いたくなるほど、大口を開けて咆哮し、洋子は立ち上がる。
 まるで、縛られた鎖を引きちぎる為に暴れ回る野獣のように・・・・・・。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・絶対・・・・・・絶対助けるんや・・・・・・あの娘を・・・・・・加奈を!!」
 聞くものを震え上がらせるような叫び声の後、荒い吐息に混じって最愛の人の名を呟きながら洋子は顔の前に置いた両拳越しに彩を睨み付ける。
「・・・・・・加奈?」
 相変わらず頭から血を滴らせる彩はすっかり赤く染まってしまった細眉をひそめて訝しげな表情を浮かべる。
「アンタには関係無い・・・・・・・・・うちはうちの、背負っとるもんの為に闘っとるんや」
 冷たく言い放つ洋子に対し、彩もその眼光に答えるかの如くティーブラウンの瞳を三白眼にして洋子を睨み付ける。そして、緩慢な動作で傍らに落ちていたアポロキャップを拾って目深に被り直した。
「じゃあ・・・・・・来なよ。路上にインターバルは無いよ」
 血まみれた顔もそのままに、彩は掌を上に向けて手招きをする。
 彼女がこうやって対戦相手を挑発するのはかなり珍しい。
 恐らくは、洋子の気概に触発されたのだろう。
「いちびんな言うたやろこの糞餓鬼。そこの縁石で頭カチ割って脳味噌ぶちまけたろか?」
 彩の挑発で怒りをあらわにした洋子もまた、こめかみに青筋を浮かべて般若のような形相で彩を睨み付ける。
 先程の祭り騒ぎとは一変して水を打ったような静けさが周囲を包む中、二人は視線を逸らす事なく睨み合ったまま摺り足で間合いを詰めていった。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 靴底とアスファルトが擦れる度、ざりっ・・・・・・ざりっという硬質な音が響き渡る。
 やがて、二人の間合いはものの十秒と掛からず互いに打撃を放てる距離まで近付き、彩と洋子はその場で膠着状態となった。
 ストリートファイターとアンダーグラウンドファイターの音無き鍔迫り合い。
 どちらがそれを制するかなど、最早誰にも予想出来ない。
 分かる事はただ一つ・・・・・・次の一合でこの闘いが終焉を迎えるという事。
「やぁぁぁぁぁぁっ!!」
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
 アーケード街に響き渡る闘士の咆哮。
 それと同時に二人の打撃が繰り出された───否、彩の方が僅かに早い。
 鋭角に曲げた膝が洋子の脇腹・・・・・・正確にはあばら骨がある位置を強襲し、そのまま洋子の肋骨に突き刺さる。「がぐぅっ!?」
 ゴキッという嫌な音が響き渡り、洋子は激痛の余りまともな声すら出せなくなっていた。
「ぐっ・・・・・・ぐっ・・・・・・うぁぁぁぁぁっ!!!!」
 人体の中で脆い部類に入る骨を鋭利な刃物で突き刺されるような感覚に、言語を絶する痛みが洋子を襲うが、その激痛を無理矢理振り払い、依然として自分のあばら骨に膝蹴りを決めている彩の顔面に照準を定め、一手遅れのストレートを繰り出す。
 いや、遅れたのではない。敢えて『遅らせる』事によりカウンターを成立させたのだ。
 肉を切らせて骨を絶つ───まさに捨て身の覚悟で洋子は素早く腰を切り、あらん限りの力を込めて繰り出した拳撃を彩の顔面へ放った。
「ぶぅはっ!?」
 絶大な威力を秘めた拳撃がクリーンヒットした彩は片足立ちだったせいもあって、いとも容易く弾き飛ばされる。
 そのままアスファルトに身体を投げ出されたまま、彼女はぴくりとも動かなくなってしまった。
「ぐっ・・・・・・あ・・・・・・」
 そして洋子もまた、限界が来たのかその場に崩れ落ちてしまうが、辛うじて膝を付き、ダウンを免れた。「ウィナー、洋子!!」
 熾烈を極めた二人の闘いを間近で見ていた立会人は、その迫力に気圧され暫し呆然としていたが、ふと我に返り、勝者の名を叫ぶ。
 だが、いつものようにギャラリー達の歓声や罵倒の声は上がらない。
 無敗のストリートファイターである彩が敗北を喫したという番狂わせの結果ではあるが、二人の壮絶な闘いに茶々を入れる無頼な輩は誰一人としていなかった。
「彩ぁっ!!」
「美島さんっ!!」
 完全に意識を消失した彩に慌てて駆け寄ってきた柚華とちよりが彩の身体を助け起こし、柚華は掌で頬を軽く叩いた。
「うぅっ・・・・・・うんっ・・・・・・」
 瞼を震わせて呻き声を漏らし、彩は弱々しく柚華の腕を掴んだ、それを見た二人は安堵の表情を浮かべる。
「ぐぅ・・・・・・・・・ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・うちの勝ち・・・・・・やな」
 吐息も同然の小さな声で勝ち誇る洋子だが、血の気が引いた容貌のまま脇腹を抑えて片膝を付く風体は、勝者のそれではない。
 この状態では、間違いなく肋骨が二、三本折れているだろう。
「がふっ・・・・・・! ごほっ! ぶぇぇっ!! ・・・・・・・・・げほっ、げほぉっ!!」
 喉から込み上がってくる何かに咳き込むと、突如洋子は夥しい量の血を吐き出した。
 壊死した肺胞の組織もろとも吐き出された褐色の血がアスファルトにグロテスクな『シミ』を作り出す。 血の色からして折れた骨が肺腑に突き刺さって血管が破れているのは明白だろう。
 常人であれば死亡に至る重症だ。
「ちより、応急処置頼んだわよ」
「はい。お任せ下さい」
 ちよりに彩の介抱を任せた柚華は未だ喀血している洋子に歩み寄る。
「・・・・・・早く病院に行った方が良さそうね?」
「こんなもん・・・・・・屁でも無いわ」
「肺に骨が刺さってる以上、そのままにしておけば貴女は死んでしまう」
「自分で腹かっさばいて・・・・・・げほっ、げほっ! 抜けば・・・・・・ええ話・・・・・・やろ? 外野が騒ぐほどの・・・・・・もんやないで・・・・・・極東の荒武者」
「無理に抜けば出血が酷くなって肺が壊死する可能性もある・・・・・・まぁ軽量化したいのなら私は止めないけどね」

「フンッ、浜崎あゆみかてスタイルよう見せるために肋骨抜いとるやろ? 二、三本取ればうちは憧れのくびれが手に入るんやからそれは喜ばしい事や・・・・・・げほっ! ぐぇぇ・・・・・・っ!!」
 柚華の軽口にシニカルな口調で返事を返す洋子は手の甲で口元の血を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
 そして、脇腹を抑えて足を引き摺りながらアーケード街を後にする。
「・・・・・・・・・」
 その背中をただ沈黙して見つめていた柚華だったが、やがて踵を返し、傷付いた彩の所へと歩み寄っていった。




 明野宮駅のプラットホームで帰りの電車を待つ洋子は、最早死人といった有り様だった。
 目の下にはくっきりと隈が出来ており、身体をメトロノームのように揺らしてふらふらになっている姿は、下手したらホームから線路に落ちてしまうのでは無いかと思ってしまうほど危なっかしい。
 とはいえ、彼女は三日間不眠の状態で今に至るのだからそれも無理は無いだろう。
 彩との闘いを終えた後、洋子はチェックインしていた駅前のビジネスホテルで休養を取っていたのだが、骨折や打撲の痛みで三日三晩一睡も出来ていなかった。
 本当ならもう少し休んでからこの街を出たかったのだが、二日後に地下闘技場の対戦カードが組まれているので、急いで東京に帰らなければない。
 そのため、疲労と激痛、不眠の三重苦で衰弱の極みにある身体に鞭打って何とか駅まで辿り着いたのだ。
「洋子さーん!!」
「・・・・・・うん?」
 電車が来る一分前に差し掛かった頃、聞き覚えのある底抜けに明るい声で自分の名を呼ばれた洋子が振り返ると、元気一杯に手を振りながら駆けてくる彩の姿が見えた。
「彩ちゃん・・・・・・どないしたん?」
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・洋子さんの落とし物拾ったから、届けに来たんだよ〜」
「落とし物?」
 頭に包帯を巻き、顔には止血テープを何枚も貼った彩が息を弾ませながら言った言葉に洋子は怪訝な表情を浮かべる。
「はい、これ! オリオン通りに落ちてたよ」
 スカジャンのポケットを探ってある物を取り出し、それを洋子に手渡す。
 それは、洋子が今まで加奈と一緒に撮ったプリクラが貼り付けてあるプリ帳だった。
 そのプリ帳は、加奈と付き合い始めてから肌身離さず持っているものであり、洋子にとっては何物にも代えられない宝物である。
 それを彩が自分の所まで届けに来てくれたという事は、恐らく彩と闘っていた際にポケットから落ちたのだろう。
「これ・・・・・・!?」
「誰のか分からなかったからちょっと中見ちゃったんだ・・・・・・ゴメンね」
「それは別にええけど・・・・・・わざわざ届けに来てくれたんか?」
「うん! 事情はよく分からないけど・・・・・・洋子さん、加奈さんの為に闘ってるんだね・・・・・・頑張って! ボクも応援するから!!」
 牙のように尖った犬歯を口から覗かせて満面の笑みで洋子を激励する彩。
 その彩に洋子は何も言わず、微笑みを浮かべたまま掌をそっと彩の頭に置く。
 その表情は、ストリートファイトの時に見せていた荒々しさは無く、慈愛と穏やかさに満ちていた。
「・・・・・・ありがとうな」
 優しい声色で感謝の辞を述べながらくすぐったそうに目を細める彩の頭をそっと撫でていると、スピーカーからアナウンスが流れて東京へと向かう電車がホームに停まる。
「もう時間か・・・・・・ほな、またな彩ちゃん」
「うん! またねー!!」
 別れの仕草に掌を小さく振った洋子が開いたドアから電車に乗り込むと、彩もそれに応えるように大きく手を振って動き出した電車ごと洋子を見送っていた。
「はぁ・・・・・・うちもまだまだ強くなれてへんな」
 肩に掛けていたスポーツバッグを金網の上に置き、洋子は座席に座り込んで独りごちる。
 それは、過小評価でも何でもなく、純粋に自分自身を未熟と感じた率直な感想だ。
 もっと強くならなければ・・・・・・また同じ過ちを繰り返してしまう。
 自分が何に対して弱いと感じるのか・・・・・・それはまだ漠然としていて、はっきりと分かっていないが、もっと強くならなければ加奈を助ける事は出来ない───そう考えていた。
 とはいえ、今はそれよりも二日後の試合に備えて体力を回復しなければならない。
 少しだけでもいいから休もう・・・・・・そう思って洋子はそっと瞼を閉じた。
 眠れなくてもいい。少なくとも休息くらいしておかなくては身体が持たないだろう。
 疲れ果てた今の身体には固いシートの座席すら有り難いと感じる。
 相変わらず痛みが全身を駆け巡るが、泣き声を言ってる場合では無かった。
 これからも様々な相手と闘い、加奈の治療費を稼がなければならない。
 そう・・・・・・洋子の闘いはまだまだこれからなのだ。
“加奈・・・・・・待っててな。必ず助けたるから”
 揺れ動く車内の中で、洋子は改めて決意を固める。
 大切な者の為に・・・・・・彼女はこれからも闘い続けるだろう。
 電車の窓から射す昼下がりの柔らかな陽光が、瞳を閉じた彼女の顔を優しく照らしていた。



  彩 Aya 別章     『漆黒の風神』

   【END】

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