風の放浪者&Memoir
其の8

「……い、嫌だ」

 その瞬間、悲鳴が響いた。




「……凄い力。こんな力を秘めていたのね。どうしてこの力を、わけてくれなかったのかしら」

「創造主の考えなど、わからないものさ。あの方は、気紛れだから。さて、はじめるか。用は済んだし」

「ええ、そうね」

「俺は、手出しない。後は、任せた」

 そう言うと草の上で胡坐をかき、ことが終わるのを待つ。肝心な部分だけは、関係ないと決め込むらしい。

 そんな素っ気無い態度にイドゥンは肩を竦めると、再び呪文の詠唱をはじめる。薄れる意識の中であったが、二人の声はハッキリと聞こえた。急激な眠気と、倦怠感が身体に広がる。力を奪われた所為だろう、手足が重い。

 急に胸が苦しくなり、熱いものが流れ落ちる。それは、一筋の涙。裏切られて悲しいのか、それとも自分の弱さに嘆いているのか。流れる涙の理由は、わからない。頬に触れる草が痛い。

 その痛みは、心を深く突き刺す。唇を動かし、言葉にならない言葉を発する。すると再び、涙が頬を伝った。

 その時、呪文が完成する。刹那、巨大な暗闇が覆い被さってきた。視界から色彩が奪われ、周囲が黒一色と変化していく。二人の嘲笑う声――それが最後に聞いた、言葉でもあった。

 何も無い空間を落ちていく。此処は暖かさも冷たさも、時間の概念さえない場所。広く永遠に落下していく感覚があった。

(僕は、貴方達を……)

 無意識に目を閉じる。音のない空間に聞こえるのは、自らの心音。

(はじめて、恨むでしょう)

 背中に、何かが当たった。どうやら、底についたらしい。

(そうでしょ……姉さん、兄さん)

 その瞬間、僕は悲しみという感情を消した。


◇◆◇◆◇◆


 記憶が途切れ、眠りから目覚める。いつの間にか深い眠りにつき、夢を見ていた。遠い……それも忌まわしく、悲しい夢を。

 顔を上げた視界の先には、朝霧に包まれる森が広がっていた。白く透明な布を森全体に覆い尽くし、幻想的な一枚の絵画のようだ。ふと、鳥達の囀りが耳に届く。彼等は、早起きのようだ。

 ユーリッドの近くで、数匹の鳥達が何かを啄んでいた。あそこは確か、エリザが落とした食べ物があったはず。その時、木々の間から朝日が差し込まれた。光は霧に反射し、眩しいほど輝きだす。

 優しい朝の光は、冷えた身体を暖めてくれた。徐々に、感覚を取り戻してきた身体。今度は凝り固まった筋肉を解そうと立ち上がった瞬間、ユーリッドの動きに驚いた鳥達が一斉に飛び立つ。

「大丈夫だから。怖がらなくいい」

 枝に止まる鳥達に、此方に来るように促す。すると言葉を理解したのか、鳥達がユーリッドの腕に止まる。

「僕は、この森を守る精霊を知っている。それに、僕は……」

 彼等は頭を振りながら、話される内容を聞く。どうやら鳥達は、ユーリッドの正体に気付いたのだろう。先程までの緊張感がない。

「ひとつ頼みがある。彼等に知らせてほしい。この森に人間が入るなんて、前代未聞だから」

 互いに顔を見合うと、暫し相談をはじめる。そして結論がまとまると腕から飛び立ち、ユーリッドの周囲を飛び回る。それはまるで「わかりました」と、言っているようでもあった。そして可愛らしい声で鳴くと、霧深い森の中に消えていく。

「……あれ? もう起きていたんだ。いつも早いですね。ま、眩しい。朝ですね……ね、眠い」

 半分寝ている状態で、エリザが身体を起こす。寝癖によって髪は逆立ち、服は皴だらけだった。

「早くしないと、置いてく。昨日、早朝に出発すると言っただろ? まさか、忘れていたとは思わないけど」

「……そうでしたっけ?」

「僕が昔いた場所に、行きたいのでは?」

 何気ないユーリッドの言葉に、眠気が一気に吹き飛ぶ。エリザは大声を上げながら立ち上がると、急いで支度をはじめた。エリザの大声に、森にいた鳥達が一斉に逃げ出す。一瞬にして、周囲が静まり返った。

「行きます。絶対に行きます。すぐに支度します」

「なるべく早く。頼むよ」

 薪の炎は消えており、炭だけが残っていた。ユーリッドはそれらの後始末をすると、自分の荷物の整理をはじめる。一方エリザは髪を梳かし、散らかした荷物をリュックに詰め込んでいく。


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