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ひとりの夜 一
コトン、と音がする。
天井からの物音なんて物騒なものに、すっかり驚かなくなってしまった。只ただ、腹が立つ。弟は泊まり込みの仕事、自分は休日の夜。
茶碗と漬け物と弟が作りおいてくれた煮物が一鉢、侘びしい食卓。弟がいれば、あと味噌汁と魚と卵焼きでもつけるところだ。けれど自分だけだと面倒で出来ない。
貧相な食事。ズボラな性質。プライベート。プライバシー。
それを見られているのは、とんでもなく不快。しかも天井裏から。
それもウンザリするほどいつものことだから、きちんと支度すればいいのだが、闖入者に合わせて生活するのも癪で仕方ないではないか。

一口咀嚼して飲み下すのも、妙に意識してぎこちなくなってしまう。ひとり寂しい夕餉が、さらに味気ない。
武器でもふるって追い出してもいいが、存在を認識して顔を合わせるだけで喜ぶストーカーを、わざわざ嬉しがらせるのも癪である。
柴漬けがカリッと鳴るのが静まり返った部屋と天井裏に響いて、思わず舌打ちしたくなった。その時だった。玄関の戸が叩かれて、ホッとしてしまった。









「屋根裏、ですか」

「そういう泥棒なんですって。夜中寝静まった頃に屋根裏から入るらしいのよ。恐ろしいわ」

渡された回覧板には、江戸で泥棒被害が続出していることがかかれていた。一番最近被害にあった家は、隣町。

「斜向かいの旦那様のお友達が品川にいらっしゃってね、その方は戸締まりもきちんとなさったのに屋根裏から入られてしまったんですってよ。通帳から貴金属まで盗られて」

「あらまぁ」

同意というよりは、よくまぁそんなことを知っているという感嘆だったのだが、相手はあまり気にしなかったようだ。
隣に住む若い夫人は、器量のせいで下世話な様子には見えないが、噂好きには違いないのだろう。

「刃物もね、持っているんですって」

「まぁ」

「隣町の土田さんのお宅なんだけどね、先週やっぱり屋根裏から入られた。お嬢さんが刃物で脅されたらしいのよ。お手洗いに起きたところはちあわせて」

屋根裏。はちあわせ。
頭のなかで、嫌なイメージが閃いた。

「こう首筋に当てられてはねぇ。怪我がなくて幸いといっても、怖いわよねぇ」

もやりと浮かんだイメージに気を取られて、相槌を忘れてしまった。それを不安ととったのだろう、夫人は気遣わしげに言葉を添えた。

「こちらは弟さんひとりの日が多いし、妙ちゃんも暗いなか帰ってくるみたいだから、気をつけてね。おやすみなさいね」

すっと辞儀をして、夫人は玄関戸をあける。と、ふいと男性が顔を覗かせて会釈した。
一瞬ギョッとしてしまうが、隣家の主人と気づいて慌てて会釈を返す。

「これが夜道を怖がるもので」
隣家からうちまでの30秒足らずなのに。
夫人もそう思ってはいるのだろう。恥ずかしそうに笑う。

「ふふ、可笑しいわね」

「いえ、でもお優しい旦那様ですね。」

そういうとほっこりと笑った。








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あきゅろす。
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