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終末部
第一話
たとえ話をしよう。
ある日、目の前にもう一人の僕が居たとしたら。僕よりもはるかに優れ、ミス一つしない理想の僕が僕の居場所を奪っていたとしたら…。
それがたとえ話ならどれほどよかったか。僕はそれをこの目で見てしまったのだ。
いつだったか、それは僕の横を通り過ぎて違和感を感じることなく僕の場所に溶け込んでいたかもしれない。その時はそんなはずがない、幻だ、なんて鼻で笑って忘れていた。しかしそれは幻にはならなかった。
一瞬で全てが変わったわけではない。僕にしか分からないように徐々に何日もかけて、そいつは僕を蝕んでいった。いや、正しく言うなら修正していった。角だらけの僕の描いた丸の横に、誰もが見惚れるような綺麗な円を描くように。
僕は少しだけ勉強が出来る。友達もそこそこいるし、部活だってレギュラーには入っている。僕なりに満足な高校生活を築いていたつもりだった。
しかしアイツはそれを、『少ししか勉強が出来ない。友達も多いわけではないし、部活はただレギュラーに入っているだけ』に変えてしまった。
成績は全国レベルで高く、部活は聞いたこともないような名前の大会まで出場した。
勉強や部活などに限ったことではない。話すのも上手かった。巧みに面白い話を入れたり、思いも付かないような発想をしたりして、みんなを楽しませた。
アイツは出来すぎてしまったのだ。何もかも。僕だけではなく、誰もが見上げるほどずば抜けていた。今さら努力したところでどうしようもなくなるほどに、アイツは完璧な人間だった。
アイツはどうやら僕に気付いていないようだった。呼んだらもしかしたら振り向いてくれるかもしれない。が、呼んだところで何を言えばいいのだろう。目の前に僕より優れた僕がいるのに、そこを返せなんて言えやしない。
いつしか、みんなが僕の間を通り過ぎていくことも、僕の名前が呼ばれてアイツが返事をすることも日常と化していた。もう、それでよかった。
僕は誰にも見えない。聞こえない。これは死んでいることと同じだと思う。誰も僕の存在を認識出来なくなってしまったのだから。
最初は死のうなんてことは全く考えていなかった。
アイツの感覚や思考を、『僕』を介して感じ、まるで傍観者のように少し楽しい気分を味わいながら過ごしていた。僕の時には感じなった様々なこと。世界の色。形。くっきりと映ったその景色をまどろみながら見つめ、何を考えるわけでもなく僕の中に積もっていく。塵も積もれば山となるとはよく言ったもので、アイツが積み上げてきたそれは確かに大きく美しく見えた。僕には到底作れやしない。
ただ、僕はどうやら諦めきれなかったらしい。それでもまだ、アイツから欠陥を探そうとしていた。ほんのちょっとした傷でもいい。一つでもアイツより優れた部分が欲しかった。
僕はずっとアイツを見ていた。
僕であった時に振り返ることなんてほとんど無かった。後悔や反省なんて言葉だけだったし、過去の僕は過去の僕で、現在は現在だと割り切っていた。それなのに…。
だから僕は屋上に向かった。この僕をかき消すために。アイツが僕として生きるために。


ドアを開けたその先には、輝いた何かが満ちているわけでもなく、腐った何かが転がっているわけでもなく、ありきたりな教室の姿があっただけだった。
それと長髪の女の子と、僕の手を引いた男の子と背の高いたぶん先輩。
久しぶりの感覚だった。僕はまだ、生きているのだろう。
「サヨ、こいつが今回の被害者だ」
背の高い人が僕の背中をポンと押す。僕は数歩女の子の方に近づいた。
「ふーん……」
舐めるような視線が僕に降りかかる。女の子に見つめられたことなんてないから体が緊張した。
助けて、くれるのだろうか。期待してもいいのだろうか。何もかも奪われ、空っぽになった僕は救われる資格があるのだろうか。
「あ、あの…」
「分かった。もういいわ。元の場所に捨ててきて」
女の子は僕への関心を無くしたようで、くるりと背を向けると窓側の机に腰をかけてしまう。他の二人は慌てて女の子の方へと駆け寄った。
「お前はホント冷てェな!屋上に帰したら、死んじまうぞコイツ」
「あっそう。死ねばいいんじゃない?死にたかったんでしょ?」
「サヨ姉だめー!かわいそう!」
女の子は一度溜息をつくと、再び僕の方を見た。しかし、次第に眉間に皺を寄せ視線を外してしまう。
「被害者ヅラしたって私は何も出来ないわよ。わかったらさっさと屋上に向かいなさい」
投げ捨てられた言葉。僕。内心に湧き上がったのは悲しみよりも怒りで、それが悔しかった。他人に理解してもらいたいという考え自体が甘いのだ。わかっている。でも許せなかった。どうして、どうして分かろうともしてくれないのだろうか。
僕は緩みそうになる涙腺を必死に締めて、教室を飛び出し、音を立ててドアを閉めた。一度だけ振り返る。
『終末部』の文字。
ここは僕を終わらせてしまいたいんだ。僕の人生を終末に導くつもりなんだ。
いいじゃないか。僕はあの時死ぬことを決めたんだから。さっきと同じようにすればいいだけだ。今度こそ。僕は――。
「嘘だ…」
駆け出した僕の足は階段の前で止まった。
屋上が、ない。下に通じる階段はあるのに、屋上に繋がる階段が無かった。ここが何階かは分からないが、最上階であるなら屋上に繋がる階段があるはずなのだ。
とりあえず下の階へと下りる。最後の一段を下り、再び僕の足は止まった。
僕の正面に見えたのは、さっきまで僕がいた屋上だった。


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