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小説 3
No longer・前編 (大人×子供)
「たぁ君、たぁ君」
 少し高めの気弱げな声を、夢の中で聞いた。
 たぁ君。オレをそう呼ぶのは、今も昔も1人しかいねぇ。
「なんだ、レン……」
 12歳下の少年の柔らかな髪を思い出し、いつも通り手を伸ばす。
 出会った当時4、5歳だったレンの身長は、オレの腰のあたりまでしかなくて。頭を撫でんのにはよかったけど、顔を覗き込むにはしゃがまねーとダメだった。

 思い出すのは、日に透けて金色に輝く麦穂色の髪。
 幼児特有の甘い匂い。
 締りのねぇ口元に、つり目がちの大きな目。オレをまっすぐ見上げて、にへっと笑う、無防備な顔。
 いつもオレの試合や練習を、楽しそうに見に来てくれた。
 オレのコト「たぁ君」とか呼ぶもんだから、チームの連中には人気で。
 人見知りのくせに人懐っこくて、気を許した相手には、平気で抱っことかさせてたっけ。
 オレはそれが気に食わなくて――。

「レン、こっち来い」
 チームメイトの腕から取り戻すべく、ぐっと少年を引き寄せると、「ふわっ」っていう悲鳴と共に、何かがドシンとぶつかった。
 それは幼児の軽さじゃなくて、重くて。
「いてっ……」
 短くうめくとともに、ふわふわと漂ってた意識が、急速に現実に舞い戻る。
 浅い眠りから覚めて目を開けると、胸元には柔らかな薄茶の髪。
 レンだな、と悟ると同時に目が合って、記憶よりも大人びた少年の顔が、次の瞬間、真っ赤になった。
 その肩には、オレの右腕がしっかりと巻きついて、胸元に引き寄せてる。

「あー、悪ぃ……」
 謝りつつもパッと放すと、廉は「うお」とか「ごめっ」とかごにょごにょ言って、さっとベッドから遠ざかった。
「ご、ご、ごはん、だよっ」
 赤い顔でそれだけ言って、ぱたぱたと部屋を出ていく廉。
 成長期を迎えたばかりの16歳の体は、まだまだオレより小さくて細い。けど、もう「子供」とは呼べなくて――。
「やべぇよな」
 オレはぼそっと呟いて、布団から起き上がり、ため息をついた。
 右手にはまだ、寝ぼけて抱き寄せたぬくもりの感覚が残ってる。

 両親の海外転居をきっかけに、三橋家に居候になって、12年。
 幼児期から小学校卒業まで一緒に暮らした少年は、中学3年間を群馬で過ごし、すっかり大人びて戻ってきた。
 いつまでもガキじゃねーんだな、と、最近まざまざと思い知る。
 記憶の中のレンは、いつまでも飴玉みてーに甘ったるい匂いの幼児だっつーのに。
『たぁ君……』
 昔のままの呼び方をして、上目遣いにオレを見上げる赤い顔を思い出す。
 ひまわりみてーに笑う幼児だったくせに。そんな風に赤い顔で、はにかんで見上げられると、心臓が跳ねる。
 単に人見知りが発動して、赤面してるに違いねーのに、気になって仕方ねぇ。

 ぬくもりの名残の薄れた、自分の右手をじっと見る。
 もっと触れてぇような、触れたくねぇような、複雑な気持ちだ。
 同居っつっても、2世帯住宅を3人+1人で使う訳だし、そんな密接した生活じゃねーんだけど。大丈夫だろうとはもう思えなくて、最近迷う。
 うっかり「間違い」を起こしちまう前に、ここを出た方がいーんかな……?

 Tシャツとジーンズに着替えてダイニングに行くと、廉がコーヒーを淹れようとしてるとこだった。
「おい、湯、危ねーぞ」
 注意しながら近寄ると、「大丈夫、だよっ」つって、赤い顔で言われた。
「お、オレ、もう、小っちゃい子じゃない、よっ」
 一瞬、まっすぐな目を向けられて、でもそれをぎくしゃくと逸らされて、余計に気まずい。
 小っちゃい子じゃねーのは分かってる、っつの。
 つーか、分かってるからヤベェんだっつの。

 文句を頭ん中だけで言って、代わりにはぁ、とため息をつく。
「……指、気ぃ付けろよ? 今日、投げるんだろ?」
 頭1つ分下にあるふわふわ頭をぽんと軽く撫でてやると、廉は驚いたみてーに顔を上げて、それからじわっと赤面した。
 照れ屋で人見知りで赤面症なだけだっつーのに、そんな顔されると期待しちまう。
 オレはその顔を見て見ぬふりで、くるっと背を向けてダイニングに座った。
「ブ、ラックで、いい?」
 たどたどしい問いと共に、ことんと目の前にマグが置かれる。

 ダイニングには2人きり。
 三橋家の両親が留守がちなのは昔からで――そんな特別なことじゃねーのに、言葉に詰まる。
 廉の方も、やっぱ緊張感は感じてんのかな?
 トーストをかじりながら、ちらちらと物言いたげにオレの様子をうかがってた。


 西浦高校野球部1期生のオレらが、久々に母校に集まろうって話になったのは、当時キャプテンだった花井が教師として、西浦に赴任することになったからだ。
 どうせ集まるんなら、ついでに現役野球部の後輩らとOB戦やろうって話になるのは、まあ自然な流れだろう。
「うちの生徒を舐めんなよ」
 そう言って胸を張った花井は、赴任早々野球部の顧問に就任したらしい。練習試合用に公営のグラウンドを借りられたのも、メンドクセー手続きを全部やってくれた、初代キャプテンの尽力だ。
 1期生のオレら対、11〜13期生の廉たち現役部員。
 まだ1年生の廉も登板予定だっつーんだから、オレらは相当舐められてる。

 でも――。
「今日、楽しみだ、ねっ」
 赤い顔で廉にそう言われれば、「おー」つって返事するしかねぇ。
「手加減しねーで打つからな」
 精一杯軽い口調で言いながら、ふわふわの頭をぽんと撫でると、廉は赤い顔のまま、オレを見上げて「うんっ」と言った。

「オレ、できたら、たぁ君と組みたいんだ、けど、な」
 ぼそりと呟かれた一言は嬉しかったけど――リアクションに困ったから、聞こえねぇフリをするしかなかった。

(続く)

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