小説 3
彼の気持ち、オレの気持ち・1 (20万打キリリク・高1・片思い)
いつから好きだったのか訊かれても、多分はっきりとは答えられない。
気が付いたら好きになってた。
オレにとって、野球部でバッテリーを組む阿部君は、相棒というよりも、ずっとそういう存在だった。
――あの日、彼の気持ちを知るまでは。
これでラスト、と気合を入れて投げた球で、阿部君のミットがパシィンと、いい音で鳴った。
「おし、いいだろ。調子上がってんな」
阿部君がマスクを外してオレに言った。
「う、ん」
うおお、褒められた。
密かにほっこりと胸を温めていたら、カチャカチャと防具の音がして、阿部君がこっちに歩いて来た。
やがて俺の前に立った阿部君の、キャッチャーらしい、肉厚の大きな手が、キャップを外したオレの頭をわしゃわしゃと撫でる。
温かい手。乱暴な仕草。
バッテリーコミュニケーションとしての、別になんてことないスキンシップ。
気持ち良くて、嬉しくて、でも心臓が激しく打って、泣きそうに苦しい。
色んな感情があふれそうになって、オレはとっさに下を向いた。
バッテリーとしてのオレに許されてるのは、「褒められて嬉しい」っていう笑顔だけ、だ。
だって――こんな想い、おかしい。男が男に「好きだ」とか思うなんて。もっと触って欲しいとか、オレだけ見てて欲しいとか、その鍛えた厚い胸に、抱き寄せて欲しいとか……キモい、よね。
なのに、何も知らない阿部君は、すごーくすごーく優しい目で、オレをじっと見つめて来るから……時々、「好きだ」って、ぽろっと言っちゃいそうで怖いんだ。
もしそんなこと言ったらどうなるか、オレだって分かってるよ。
軽蔑されるし、「キモい」って言われるし、最悪、口さえきいて貰えなくなる。存在自体、なかったことにされちゃうかも。
そんなのはイヤだ。
イヤだ。
イヤだから……この気持ちは、絶対に隠さなきゃいけないんだ。
「んと、顔……洗って来る」
オレは阿部君に言って、顔を伏せたままベンチに戻った。
ベンチ横の水道から勢いよく水を出して、汗をかいた頭ごと濡らす。キュッと蛇口を締めて、練習着の袖で顔を拭いてたら、目の前にサッとタオルが差し出された。
「うお、あ、りがとう」
タオルをくれたのは、マネジの篠岡さんだった。
「どういたしまして」
篠岡さんは、オレににこっと笑ってくれた。
マネジの仕事は雑用が多くて、色々大変なこともあると思う。けど、彼女はいつも笑顔で、愚痴1つこぼさない。ホントに野球が好きなんだなあって感じだった。
「三橋君、調子どう?」
話しかけられると思ってなかったから、オレはびっくりして、ちょっとキョドった。
「う、い、いよ」
どもりながら応えたら、篠岡さんはにっこり笑って……「阿部君も調子良さそうだね」って言った。
ドキッとした。
「さっき、阿部君と何の話してたの?」
そんなふうに訊かれて、オレはとっさに答えられなかった。何で阿部君の話を振られるのか、分からなかった。
オレが……阿部君に片思いしてるのとか、もしかして分かっちゃったりしたのかな?
「え、う、う、う、う、ん。何で……?」
思いっ切りドモリながら訊いたら、篠岡さんは「あはは」って笑った。
「何でって、別に。いつも仲いいなあって思ったからだよ。やっぱり、バッテリーの絆って、強いんだろうねぇ」
「う、お」
ホント? ホントにそんな風に見えるかな? だったら、オレ、すごく嬉しい。
オレのヨコシマな思いは置いといて……仲間として、特別って……他の人の目に写ってるなら。
だってオレ、両想いとか、望んでない。
望んでない。
望んでないけど――誰よりも近くにはいたかった。
その日以来、篠岡さんと、少しずつ話すようになった。
話題は、やっぱり阿部君のコトが多かった。
オレは阿部君がすごく好きで。だから、阿部君の格好いいとことか優しいとことか、どういうことでオレを褒めてくれたとか……そんなことを誰かに話したくて仕方なかったんだ。
それに、篠岡さんも、オレの話をちゃんと聞いてくれた。
時には、自分から「いつもは阿部君と何を話してるの?」とか、訊いてくれることもあった。
勿論、田島君や泉君だって、阿部君の話は聞いてくれる。
「三橋はホントに阿部を盲信してんなぁ」
そんな風に言われることもある。
阿部君がスゴイって言うのは、一応皆も認めてくれてるみたいだけど……でも、野球部の皆からすると、オレの言い分は「褒め過ぎ」になるみたい。
阿部君に片思いしてるのがバレるよりはマシだけど。でも、やっぱり、阿部君の格好よさとか優しさには、皆にうなずいて欲しかった。
その点、篠岡さんは、オレのよき理解者だった。
そんな……ある日のことだった。
いつものように午後練を終え、ベンチサイドで着替えてる時に、阿部君がオレに訊いたんだ。
「お前ら、付き合ってんのか?」
一瞬、何を言われてるのか分からなかった。
「え、うぇ?」
キョトンとして阿部君を見ると、阿部君は……いつになく怖い顔で、オレをしっかり見つめてる。
ベンチの周りには、勿論他の皆もいたんだけど、皆しんとして、オレ達の会話に注目した。
「つ、きあ……?」
オレは周りの空気に気おされて、でもやっぱり会話の意味が理解できなくて。ただ、バカみたいに視線をキョドキョドとあちこちに揺らした。
オレが分かってないって、分かったんだろうか。阿部君が、手に持ってた練習着を、苛立ったようにパンとベンチに投げた。
そして、もう1度言った。
「お前と篠岡だよ! 正直に言え。付き合ってんのか!?」
「う……」
オレは、即答できなかった。何でそんな誤解されてるのか分からなかったし、なんでそんな、きつい口調で詰問されるか分からなかった。
「えええええっ、付き合ってないよ!」
答えたのは、篠岡さんだった。
「違うよ、阿部君。誤解だよ。私達そんな関係じゃないよ! ねえ、三橋君、付き合ってないよね!」
篠岡さんに促され、オレはガクガクと首を縦に振った。
そうだ、付き合ってない。うなずくしかない。
けど、阿部君は……篠岡さんを押しのけるようにオレの前に来て、オレの胸倉を掴み上げた。
「ハッキリ言え!」
阿部君の怒鳴り声が、オレの胸を切り裂いた。
ぐうっと喉が詰まった。
「つ、き、あって、ない……」
やっとの思いで、小さな声で答えたら――阿部君は苛立ったように、ため息を一つついて、オレの練習着から手を放した。
篠岡さんが小さな声で、「阿部君……」と呟いた。
(続く)
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