小説 3
ガーディアン・5
騒ぎは、向かい近所にまで広まっていたようだ。
さすがに心配してくれたのだろうか、朝、いつもの登校時間より少し早くに、幼馴染が迎えに来た。
「三橋、学校行こうぜ」
昨日までならば、喜んで泣いて嬉しがっただろう。いや、それでも、素直にはうなずけなかっただろうか。
「叶君……なん、で?」
理由を訊かれるとは思ってなかったのだろうか? 相手は驚いて、猫のような目を見開いた。
叶修吾は、向こう隣りに住む幼馴染だ。しかも同じ学校の、同じ野球部で、同じピッチャー。
本来なら大親友になっててもいいような間柄だが、実際には、随分前から疎遠になっていた。
原因は……今朝の猫に付けられていた荷物タグが、全部物語っている。三橋が全負投手だから。ヒイキのエースだから。イジメの被害者でありながら……加害者でもある、から。
黙り込んでしまった幼馴染の会話を、ばっさりと終わらせたのは阿部だった。阿部は三橋の肩を抱きながら、さりげなく二人の間に割り込んだ。
「悪ぃな。こいつ、オレと一緒に行くことになってっから」
「お前……三橋のクラスに来た転校生!? 何でお前がこの家にいるんだよっ?」
叶が不愉快そうに訊いたが、阿部は余裕の顔で「部外者には話せねぇ」と応えた。
「部外者っ!?」
叶が、カッと頬を赤らめた。そして、猫目を吊り上げて三橋を見た。
「三橋! こいつ何なんだ? お前とどういう関係だよ!?」
叶の大声に、三橋はびくっと身を竦め、阿部の背に隠れた。
「阿部君、は、オレの味方だ、よ」
三橋の言葉に、叶は何か返そうととしたのか、口を少し開けたが……結局絶句して、目を逸らした。
それでも、三橋と阿部との登校に、叶は後ろからついて来た。
三橋家から三星学園の校門まで、徒歩15分。
叶は三橋の代わりに、三橋と同居するイトコの瑠里と、並んで歩いている。瑠里に阿部の素性について訊いてるらしい。
やがて、校門が近付いて来た。道路を歩く生徒達の姿が多くなる
三星学園は男子女子で敷地が分かれるが、校門までは一緒だ。叶も、瑠里も、同級生下級生も……。たくさんの生徒が集まり、校門に向かって歩いていた。
その、朝の平和な空気の中に、甲高い大声が響いた。
昨日といい、たくさんの人間のいる場所を選ぶのは、敢えて三橋をさらしものにする為なのだろうか?
「Son of a Bitch! 報いを受けろ!」
そう言って、あの女子高生が取り出したのは、緑色の酸性トイレ洗剤。
登校時、校門前。耳馴染みのない言葉、他校の女子高生、そして何故かトイレ洗剤……その組み合わせのシュールさに、みんなが一瞬、呆然とした。
三橋もとっさに動けなかった。
大きな釣り目を見開いて、口をひし形に開け、ぽかんとした。
その洗剤の成分が希塩酸だとか、いくら薄くても目や口に入ったらどうか――とか、そんな考えも浮かばなかった。
しかし、三橋も誰も、それを引っ被ることはなかった。
「やめろ!」
阿部が、叫ぶと同時に素早く動き、女子高生の手から、その洗剤を蹴り落としたからだ。
「キャアッ」
女子高生の悲鳴とともに、トイレ洗剤が地面に転がる。
その洗剤を避けて、人の波が一歩退いた。
「子供のイタズラで済んでる内にやめんだな」
阿部の言葉に、彼女は「子供ですって!?」と喚いたが、またすぐに視線を三橋へと戻した。
「イタズラじゃないわ、Bitch の子! あんたなんか生まれて来なきゃ良かったのに!」
「んだと、てめぇ!」
阿部が凄むが、女子高生はふん、と鼻を鳴らして立ち去った。
三橋は制服の胸元をギュッと握り締め、うつむいて立ち尽くした。
「レンレン、気にすることないわ」
瑠里のフォローにも、笑って応えられなかった。
「おい、あの女、逃がしちまって良かったんかよ?」
叶が阿部に食って掛かる様子も、ちゃんと耳に入らなかった。
胸に響くのは阿部の言葉だけだった。
「オレは、三橋を護るだけだ」
阿部がきっぱり言い放ち、「大丈夫か?」と顔を覗き込み、もう一度言った。
「オレがお前を護ってやる」
そして阿部は、胸元を握ったままの三橋の右手に手を伸ばし、その手をガシッと握り締めた。その手の暖かさに、三橋はようやく顔を上げた。
阿部の言葉は信じられる、と――何故だか本当にそう感じた。
三橋の両親は、駆け落ち夫婦だった。
当時父には婚約者がいたが、進学した首都圏の大学で恋人ができ、さらにその恋人が妊娠して……そして、色々あって、駆け落ちしたらしい。
そうして生まれたのが、三橋だ。
今まで三橋は、両親が駆け落ち婚だったことや、できちゃった結婚だったことを、それ程気にしていなかった。
「あなたが大事だったから産む決心したのよ」
「家族より家より、何よりお前とお母さんが大事だったんだ」
そう、小さい頃から言われて育ったし、周りの大人も優しかった。
自分は望まれた子供だと……ずっと信じて疑わなかった。
中学で三橋をイジメてる連中だって、「部を辞めろ」とか「エースを譲れ」とか言いはしても、「死ね」とか「生まれて来なきゃ良かった」とか、そんなことまで言ったりはしなかった。
なのに、何故……?
一体何の権利があって、あの女子高生は三橋に、そんな呪いの言葉をぶつけるのだろうか……?
(続く)
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