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小説 3
アフター9の恋人・8
 お前の事は知ってるよ、とそいつは言った。
「いつも残業してる奴だろ? 一人きりのオフィスでさ、何やってんだよ?」
 ああ、やっぱ怪しいと思われてんだな。
 内心苦笑しながら、取り敢えず、はぐらかす。
「かませてくれんなら、教えてもいーぜ。まずは紹介してくれよ」
「あー? まだ分かんねーよ。先方が、増員してもいいっつってくれたらな」
 そいつはニヤニヤ笑いながら、そう言った。
 余裕ぶった態度にムカついたので、軽く釘を刺しておく。

「いーけどさ、オレ、そんな口固ぇ方じゃねーんだわ。あんま待たされっと、ついうっかり、お宅の課長とかに喋っちまうかもな。この間、こういう現場を見たんですけどー、つって」

 そう言うと、そいつは一瞬青ざめた。
「課長は知ってんの? 部下がイケナイコトやってるって」
「……てめぇ、ざけんなよ?」
 押し殺した声で凄まれても、全然怖くねーし。むしろ反対に、くくっと喉で笑ってやる。
 正直に言うと、スゲー楽しい。
 オレ、こういう内偵っての? 意外と向いてんのかも知んねー。
「別にふざけてねーって。ただ、今の立場っての、あんたに分かって欲しかっただけ。拒否権はねーんだよ、ってな」
 くくく、っと笑ったところで、ランチが来た。
 オレはまたナイフとフォークを握り締め、チキン料理を丁寧に切った。プロヴァンスチキンは、やっぱり量が少なかったけど美味かった。



 毎週月曜とか、必ずあの店で、とか。密会にはそんな決まり事なんか無くて、普通に個人のケータイで、メールを使って時間と場所の約束をしてたらしい。
 だから、オレがあの現場に出くわしたのは、スゲーラッキーだったようだ。

 まずは、紹介されて一ヶ月。
 それらしい偽情報を3回くらい渡した頃、オレもようやく先方に信頼されたようだった。
「阿部さんは、何でまた協力しようと思ったんですか?」
 そう訊かれて、オレは打ち合わせどおりの答えを言った。
「1課の課長のヘッドハンティングの噂、聞いたんですよ。うらやましくって。あれも、そちらの関係なんでしょ?」
 すると先方は、「さあねぇ」とかわした。
 けど、それを聞いてちょっと驚いた顔したんだから、別件なんだろう。
 1課の奴を脅した時にも感じたけど、やっぱ課長は無関係なんだな。あれはあれで怪しいんだけど、そっちはまあ、三橋達が動いてる。
 オレはオレで、そろそろこっちを仕掛ける頃だ。

「噂って言えば、知ってるか?」
 オレはちょっと声をひそめ、1課の社員に囁いた。
「近々、内部調査が動くってよ」
「マジか!?」
「半年前から調べてたって。お前、やり始めたの、そんぐらいから? もっと前?」
「半年……そんくらいかもな」
 先方の社員も、二人、顔を見合わせてる。
「オレら、やばくなった時って、助けて貰えるんスよね?」
 オレがじっと睨むと、連中は黙り込んだ。
 やっぱ、使い捨てな感じだな。予想通りだから、驚きゃしねーけど。
 でも、1課の奴は、立ち上がって取り縋った。
「約束してましたよね、好待遇で迎えてくれるって」

 オレはそれを聞いて、バカだな、とちょっと思った。
 だって、情報漏えいするような奴、信用できねーじゃん。そんな、いつ裏切るか分かんねー人間、誰が好待遇で迎えるか?

「まあ、キミらの処遇はちゃんと考えてるから。まだ告発されるって決まった訳じゃないし、普通に、今まで通り勤務してた方がいい。けど、もうこうやって頻繁に会わないのが、キミらの為だな。どうするか決まったら、またメールするよ。キミらも、何かあったら、すぐに連絡して」

 そんなもっともらしい事を言って、漏えい先の社員二人は去って行った。
 多分、もう連絡は二度と来ねぇだろう。
 このメアドだって、すぐに変更されちまうに決まってる。
 けど……オレのやるべきは、先方に手を引かせることだったから、これでいい。
「オレらも、もう話しねー方がいいな」
 1課の社員に言われて、「ああ」とうなずく。
 ホントは、まだ目を離したくねーんだけど。人間、追い詰められたら、何すっか分かんねーかんな。

 オレは三橋に、メールを打った。
「終了」
 後は……あいつらの番だ。



 オフィスに戻ると、1課の課長がまたシュレッダーと格闘してた。
 シュレッダーは未だに旧式のままで……それは勿論、わざとだった。
「くそっ」
 課長は苛立ちながら、裏向けた書類を数枚ずつ入れ込んでいる。
「あのー」
 オレは課長の背後から、遠慮がちな声を掛けた。
「すんません、シュレッダー使いたいんで、何ならオレ、後全部やっておきますけど」
 普通なら。ここで「じゃあ頼む」って言うだろう。
 でも1課の課長は、じろっとオレを睨みつけ、イライラと言った。
「結構だ! キミの分こそ私がやっておく。貸しなさい」

 ああ、オレに見られるとヤバイ書類、決定。
 残念だ。こっそり憧れてたのに、課長。

 こっちに近付く3人組に、オレは小さくうなずいて合図した。そしてさり気にデスクに戻った。
 先頭で入って来た叶が、まずシュレッダーのコンセントを抜いた。
 突然止まった機械に、課長が慌てた声で怒鳴る。
「何するんだ!」
 スーツ姿の叶が、応える代わりに書類を突き出す。
 オレは知ってた。その書類には社長と、三橋の祖父である、会長のハンコが押してあるって。

 叶は書類の上下を持って、全員に見せ付けるように広げ、ハリのある声で言った。
「内部調査委員です」

 フロア中が、しん、と静まった。

(続く)

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