小説 3 アフター9の恋人・3 ぼんやりとオフィスに戻ると、1課の課長が、まだシュレッダーと格闘してた。 「遅い! くそ、まどろっこしい」 さすがに蹴ったりはしてなかったけど、やっぱイライラしてるみてーだった。 そういや先輩らも言ってたっけ。一回当たりの処理枚数が少ねーし、遅いって。おまけに、ホッチキスの針が不可だって。 まあ、旧式だってんだから、仕方ねーよな。 見兼ねた1課の女子社員が、「やっておきましょうか」と申し出たけど、課長はあっさり断った。 「結構。キミはキミの仕事をしなさい」 こういうとこ、格好いいよなと思う。仕事できんの鼻にかけず、そういう雑用を押し付けねー。 直属の上司じゃねーから、よく知ってる訳じゃねーけど。はたから見てたら、見習いてーなと思うような人だった。 いや、だからって別に、うちの2課の課長がダメって訳じゃねーんだけどな。 午後4時。また三橋達が、ゴミカートを押しながら入って来る。 三橋が「畠君」と呼んでた坊主頭は、シュレッダーのサイドを開けて、手際よく中のゴミ袋を入れ替えてる。 旧式だから、ゴミが細かく裁断されなくてかさばんのかな。昼間に来たばっかりの代替機なのに、もうゴミ袋がいっぱいになってた。 その間三橋は、「失礼し、ます」と言いながら、やっぱり各デスクのゴミ箱を空にして回ってた。 「失礼しま、す」 三橋がオレの側に来た。何の屈託もねー顔で、にこにことオレに笑いかける。 オレは、さっきトイレで聞いた会話がまだモヤモヤしてて、ふっと三橋から目を逸らした。 「あ、の、ゴミ、箱」 「あー」 三橋がオレの足元に屈みこむ。 いつもみてーに笑いかけてやれなかったの、こいつ、どう思っただろうか? 一瞬、胸が痛んだ。 だから、すれ違いざま、手をぎゅっと強く握って、ぱっと離した。 「失礼、します」 「失礼し、ます」 手を離した後も、三橋はいつもの少し高い声で喋りながら、次々とゴミを片付けていく。 そして、やがて。 「失礼、し、ましたー」 フロアを出て行く挨拶が聞こえた。けど、オレは何か、顔を上げらんなくて、パソコンの陰に隠れてた。 「おい、ここに置いてたCD−ROMがない! 誰か机触ってないか?」 1課の課長がそう叫んだのは、午後5時。そろそろ終業定時って頃だった。 「厄日か、今日は!」 そう叫びたい気持ちも分かる。 けど、同情してた気持ちが、次の瞬間すーっと冷えた。 「さっき、ゴミ回収の奴が触ってたように思いますよ」 1課の社員がそう言ったんだ。 ゴミ回収の奴って……三橋じゃないか。 まさか。三橋は他人のデスクを勝手に触るような奴じゃない。 要領は悪ぃけど、一生懸命仕事やってて、手だってガサガサになるまで頑張ってんだ。 でも、そんな事言ったって、何の弁護にもならねぇ。 くそ、と思う。 いつもならオレ、三橋のことずっと目ぇ離さねーで、さり気に見つめてんのに。何でつまんねーヤキモチ焼いて、目ぇ逸らしちまったんだろう。 オフィス中が、ちょっとざわめいた。 あの子がまさか、って声もする。 そりゃそうだ、三橋がいつも掃除頑張ってんの、オレだけじゃなくて、皆見て知ってるハズだし。 と、そこへ――。 「失礼、しま、す」 三橋が一人で、オフィスに入って来た。手に、透明ケースに入ったCD−ROMを持って。 「あの、これ、ゴミに紛れてました、けど。大事なもの、じゃ、ないです、か?」 シン、としてしまった周囲の様子に、三橋はちょっとびびってるらしい。もう片方の手で作業服をギュッと掴み、うつむいて、キョドキョドと視線を巡らせてる。 ああ、そんな態度はダメだ。 オレは思った。けど、言えなかった。 そんなキョドってたら、いかにも怪しい奴じゃねーか。三橋! 「キミ、中を見たか?」 1課の課長が言った。三橋のとこまでゆっくりと歩き、その手からCD−ROMを受け取る。 ケースを開けて、中のCDを片手に取り、裏と表をチラチラ眺めて、もう一度訊いた。 「キミ、このROMの中、見たのかね?」 「い、え」 三橋は緩慢に首を振った。気のせいか、ちょっと青ざめてる。 課長はしばらく黙って……それから、静かな声で訊いた。 「機密漏えいの噂、知ってるか?」 そんな事は初耳だった。 噂にすらなってねぇ。 でたらめだろう。そう思ったけど……。 三橋はびくっと全身を震わせ、鋭く息を吸って、顔を上げた。 ああ、そんな態度じゃダメだ、とは――。 やっぱり教えてやれなかった。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |