小説 3
アフター9の恋人・2
いつものように激しく愛し合った後、オレのヒザの上で、三橋が言った。
「あの、噂聞いた、けど」
「噂?」
そんなこと話題にするのは初めてで、おや、と思う。
「誰か、ヘッドハンティングされた、って……ホント、かな?」
三橋はおずおずと、オレの顔色伺いながら訊く。
あー、なんでそんなこと言い出したか、何となく分かった。
「噂だろ? ただの。それがどうした?」
すると三橋は思った通り、上目遣いにでこう言った。
「あ、べ、くん、じゃないよ、ね」
「はははっ」
やっぱり、そう来たか。
オレは笑い飛ばして、ヒザの上の恋人を、ギュッと抱き締める。
「阿部君……」
三橋は不安そうに、オレの首んとこに腕を巻きつけ、肩口に顔を寄せた。
「心配すんな、オレじゃねーし。お前がいんのに、よその会社行く訳ねーじゃん」
優しく背中を撫でてやると、三橋は身を起こし、けど、やっぱり不安そうに眉を下げてる。
「つか大体、そういうのは実践力欲しくてやるんだから、もっと上の人だろ?」
「そう、か。で、でもオレが……もし……経営者なら、阿部君、そばに欲しいけど、な」
「ははっ」
何つー可愛いコト言うんだろ。
オレは嬉しくて、お礼に濃厚なキスをした。
「くそ、このポンコツ!」
ガン! と鈍い音がして振り向くと、隣の1課の課長が、フロアの入り口のシュレッダーを蹴飛ばしていた。
その人は直接の上司じゃねーけど、いつも冷静な印象の人だったから、結構驚いた。
昨日三橋が言ってたヘッドハンティングだって、その人じゃねーかって噂、あるくらいだし……。シュレッダー蹴飛ばすような人には見えなかったけどな。
そう思ったのはオレだけじゃないようで、部内の人達が皆、デスクの影からちらちらとそっちを見てる。
そこへ、ゴミ収集カートを押しながら、三橋達がやって来た。
「失礼、しまーす」
入り口でぺこりと頭を下げた三橋に、課長が「おい」と呼びかけた。
「このポンコツ、中のゴミが満杯なんじゃねーのか? 早く中身、処分しろ!」
「う、は、い」
言われるままにシュレッダーに近寄ろうとした三橋を、いつも一緒に組んでる、坊主頭のゴツイ奴が押しとどめた。
「コラ! お前は機械なんかに触るんじゃねーよ! トロイしグズだし、何壊すか分かんねーんだから! いーから、さっさとゴミ集めしてろ!」
フロア中に響くようなデカイ声で罵倒し、そいつは三橋にゴミカートを押し付けた。
三橋は「は、は、はいぃっ!」とどもりながら返事して、逃げるようにこっちに来る。
いつもながら、ヒデー言いようだ。
三橋はちょっと要領が悪ぃだけで、別にトロくもグズでもねぇし、何より人一倍頑張ってんのに。
オレはムカついて、一言文句言ってやろうと立ち上がった。
けど、その時、三橋と目が合った。
三橋は……たった今罵倒されたってのに、オレを見て、ふひっと笑った。
何だ、平気そうじゃん。
そう思ったら、すとん、と苛立ちが抜ける。
「失礼、し、ます」
三橋は一つ一つのゴミ箱を空にしながら、ゆっくりとオレの方にやって来る。
二人の仲は誰にも内緒だから、言葉は最低限交わすだけ。
「ご苦労さん」
「は、い。失礼しま、す」
デスクの影で、一瞬手を握り合って、すれ違う。
夜には、あんなに大胆な事をしてるくせに……そんだけの事で、ドキドキした。
結局シュレッダーは故障してたみてーで、午後には業者が交換に来た。
修理にちょっと時間掛かるからって、代替機を置いてったんだが、それが旧式の奴だったんで、先輩らが文句言ってる。
いつものは、CD−ROMも粉砕できる奴だった……とか言われても、別にオレは、そんなのシュレッダーにかけねーから、困らねーんだけどな。
トイレで用を足してたら、ガコンガコンという音と共に、「清掃、させて頂き、まーす」と言う声がした。
振り向けばやっぱり三橋で、そんでやっぱり、いつもの同僚と一緒だった。
三橋はそいつの背中越しに、小さくオレに手を振った。オレからは、同僚に丸見えだから手を振ってやれなかったけど……手を洗いながら、鏡越しに笑いかけてやった。
一旦廊下に出て歩きながら、ふと気になって、ちょっと戻る。
二人っきりのトイレで、あのゴツイ坊主頭が、三橋をひどくイジメんじゃねーかって思ったんだ。
でも、聞こえてきたのは……意外な会話だった。
「お前、シュレッダーは危ねーんだから、触んじゃねーよ。怪我すっぞ」
「う、分かった。いつも、ありが、とう、畠君」
「おー。まー、その為にオレがいんだかんな」
「う。ふひ」
いつも大声で罵倒してるくせに。それにいつも、びびってるくせに。
一体……何なんだ?
(続く)
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