小説 3
forgive and forget・9
『文君のぉ〜、ちょっとイイトコ見てみたいぃ〜』
マイク片手に音頭を取ると、ソファで客の肩に腕を回してた文貴が、「ちょっ!」と焦った顔をした。
「タカ! それシャンコじゃないじゃん!」
早口で喚かれたけど、軽く無視してコールを続ける。
シャンコ、つまりシャンパンコールをすると見せかけ、ビンダで他のホストをハメるのは、よくある可愛いイタズラだ。
ちなみにビンダとはビンでダイレクトの略、要するに一気飲み。
『激しく3つぅ(パンパンパン)、優しく3つぅ(パンパンパン)』
オレのかけ声に合わせ、文貴以外のホストも客も、みんなノリノリで手拍子してる。文貴の目の前にドンペリのビンがドーンと置かれた。
「姫ぇ〜」
隣の客に助けを求めてっけど、客自体がいい笑顔だ。鳴りやまねぇ手拍子に、周りのホストが声を揃える。
『ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンタッ(パァン)! ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンダ、ビンタッ(パァン)!』
コールに合わせ、ビンダするホストにビンタかますのは、勿論客の特権だ。手拍子に混じって、容赦ねぇ音が客席に響く。
涙目で「ひどっ」とか言ってっけど、ちゃんとビンタを受けつつ飲み干すあたり、文貴もさすがにプロだった。
『姫から一言どうぞぉ〜』
客の前でひざまずき、マイクを向けると、機嫌よさそうな声が響いた。
『もう1本持って来い!』
うおーっ、と盛り上がるヘルプホスト。「ええ〜っ」って嘆きつつ、文貴も満更じゃなさそうだ。
「ドンペリ入りまーす!」
ノリを壊さねー内に、すかさず持って来られるドンペリ。わざと音を立てて栓を抜くと、「待って!」と文貴が焦ったように言った。
「次こそシャンコで!」
って、そんな注文つけられたって、客の要求なんだし、ここはやっぱビンダだろう。
大体これ、全部文貴の成績につくんだから、ちょっとした悪乗りに文句なんか言うなっつの。
「タカ、覚えてろよっ!」
涙目で喚く文貴に、ドンペリのビンが渡される。
ノリノリの客が文貴の首に「きゃあっ」と抱き着き、オレもニヤッと笑みを漏らした。
騒がしいビンダコールを終え、元いた席に戻ると、客の女がふふっと笑った。
「ワリー、待たせたな」
謝りながらテーブルを回り込み、客の隣にドカッと座る。
「お帰りぃ、楽しそうだったね」
「オーダーしてくれてもいーんだぜ?」
ニヤッと笑いながら顔を覗き込み、「ピンドン?」って囁く。丸椅子に座ったヘルプが、すかさず酒を作ってくれた。
レンとは大違いのスムーズさに、ちょっと感心する。誰かと思ったら辰で、空になったボトルを掲げられた。
「もう空ですけど、何か入れますか?」
「だってさ。どーする?」
客をじっと見つめながら、作って貰った酒を飲み干す。
さすが頭のいい奴は、フォローのタイミングも手際もいい。レンが作った水割りみてーに、濃過ぎたり薄過ぎたりもしねーし完璧だ。
けど何か、それが面白味ねぇような気がして、モヤッとした。
「ピンドン入れたら、ビンダしてくれるの?」
客の図々しい要求に、「はあ?」と冷めた視線を向ける。本来新人がやるべきビンダを、売れっ子の分際で喜ぶのは文貴だけだ。ビンタを喜ぶのも文貴だけだ。
「ゴールドかプラチナなら、やってやるよ、ビンダ」
さっきより少し距離を空け、いきなりハードルを上げてやると、本気でビンダさせたかった訳じゃねーんだろう。客が「怒んないで」って謝って来た。
閉店後、辰を誘ってさっそくタクシーに乗り込んだ。
「えっ、今日いきなり!?」
辰はちょっとビックリしてたけど、善は急げっつーし、焦らされんのも好きじゃねーし、早ぇ方がいいだろう。
――今から行く――
短いメールを打ち込み、レンのケータイにも送信した。
「せっかちな人って、ワーカホリックに陥りやすいらしいよ」
訳知り顔でにっこり告げる辰に、「はあっ?」と凄む。誰がワーカホリックだっつの。オレがそんな、仕事熱心に見えんのか?
「怪しい薬局か、ここは?」
ズバッとツッコむと、誰のこと言ってるか分かったらしい。辰が「あはは」と笑い声を上げた。
「松崎さん、メンタル心理カウンセラーの資格、持ってるらしいよ。まあ、オレも持ってるけど」
「マジかよ」
心理カウンセリングする薬局って、ますます胡散臭ぇだろう。つーか、心理カウンセラー弁護士ホストって、それもまた胡散臭ぇ。
顔をしかめて辰を見ると、「タカさんも取れば?」って勧められた。
「通信講座で2ヶ月、3万6千円くらいで取れるよ」
って。えらく短期でビミョーな値段だ。しかも試験は在宅で、カンニングし放題って。どんな資格だっつの、胡散臭さも極めればスゲーな。
「モエ・エ・シャンドンのロゼ入れるより安いじゃん?」
そんなことを言われて、ぶはっ、と笑う。確かにそうだけど、そういう問題じゃねーだろう。言い回しがビミョーに業界じみてて、こいつもやっぱホストだなと思った。
ひとしきり心理学ネタを聞いてる内に、やがてタクシーが、見覚えのある薄暗い路地で停まった。
レンの住むアパートは、相変わらず何の灯りも点いてなくて、どんよりと不気味に真っ暗だ。敷地ん中は草ぼうぼうだし、つぶれた空き缶は転がってるし、誰も管理してそうにねぇ。
「えっ……ここ!?」
さすがに予想外だったらしく、辰がドン引いた声を上げる。
「女の子がこんなトコに?」
「はあ?」
見当違いの問いを聞き咎めると、「えっ?」って言われた。
「大事な人が困ってんじゃないの?」
って。意味ワカンネー。
そりゃレンは、大事な同僚だし後輩だし仲間だけど、そんな特別じゃねーだろう。
「なんでそうなるんだよ? ここ住んでんのは……」
ため息をつきながら、1歩踏み出した時――。
ド――ン!
真夜中だっつーのにデカい音が響き、直後、誰かの叫び声が聞こえた。
(続く)
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