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小説 3
信号は青だった・6
 喜んだ後だったから、余計にショックが身にしみた。
 ヒドイ裏切りだ。無防備に開け放した心に、ビシッとヒビが入ってく。
 分かってたハズなのに、やっぱり心のどこかでは、まだ阿部君のコト、信じてたのかも知れない。オレ、バカだ。
 まばたきすら忘れて、その子の姿を凝視して――阿部君がハッと息を呑んだのに気付いた。
「三橋……」
 名前を呼ばれて、ビクッと全身が跳ねた。
 目が合ったような気がするけど、分かんない。回れ右して、ダッと病室を出る。
 逃げてばっかだなと思ったけど、逃げずにはいられない。体中が痛くて、走れなくてもどかしい。
「待て、違う……」
 阿部君の大声が廊下まで聞こえたけど、何が違うのか分かんない。

 背中が痛い、胸が痛い、脚も手も、頭も痛い。病院の廊下、走っちゃまずいなと思うのに、立ち止まれない。
 逃げるように自分の病室に戻って、戸を閉めようとした時、「待って!」って声が響いた。
 女の子の声。誰かと思ったら例のあの子で、飛び上がるくらいギョッとした。
「三橋君、待って」
 って。
「な……っ」
 何? なんで追いかけて来るの? オレに何の用? 何を言いに来た? 宣戦布告?
 オレはもう、阿部君のコトなんかどうでもいいよ。奪いたいなら奪えばいい。あんな人、知らない。だからオレの前に来ないで。

「なっ、何も話すこと、ない、です」
 キッパリ言って、ドアを閉めようとしたら「ごめんなさい!」って謝られた。
「あ、あや……」
 謝ることない。
 謝って欲しい訳でもない。カーッと顔に血が上り、同時に胸が冷たく凍る。
 でも、意地でも涙なんか流したくなかった。ギリッと奥歯を噛み締め、わななきそうになるのを抑える。
 頭の中ぐるぐるで、文句も何も出て来なくて、オレはそのまま黙ってドアを閉めようとした。けど、その直前、「待って」って隙間に指が挟まれる。
 ギョッとして手を緩めると、その隙にバッと大きく開けられて――。

「ごめんね、あたし、図々しいって言われるの!」
 そんな意味の分かんない謝り方をされて、一瞬ぽかんと立ちよどんだ。

「あたしね、『ここまでならシャレで済まされる』っていう判断が、普通より甘いんだって。さっきも、阿部君のベッドに座っちゃったの、冗談のつもりだった。阿部君に『降りろ』って言われたけど、笑ってそのまま話してた。よその家で勝手にエプロン借りたり、勝手にお部屋探検しちゃったり、あと何かあったかな? えっと、キャンディ食べた後のゴミを、ひとのポケットに入れちゃったり? そういうの、怒られるかもって予想はつくんだけど、ウケるかなって思ってやっちゃうの。ごめんなさい!」

 それと浮気と何の関係があるのか分かんなかったけど、図々しいって言われてる理由はちょっと分かった。
 ああ、じゃあ、オレのエプロン勝手に使ったのも、ウケるかなって思ってやったんだ? オレんちのキッチンで勝手に料理して勝手に洗い物したのも、悪気は一切なかったの?
 お部屋探検って、誰の部屋? 誰に対してもそんな感じ?
 阿部君は……こういう子が好きなのか?
 もしかしたら、メンドクサイ子が好きなのかも知れない。オレだって多分、相当メンドクサイ。
『アイツ、変わっててさ』
 いつだったか阿部君が、苦笑しながらそんな話してたの思い出す。
 ぼうっと考えてたら、もっかい謝られた。
「昨日も、ごめんなさい」
 って。

「誤解を招くみたいな真似して、ホントにごめんなさい。みんなで横を通ってた時、ふと思いついて、冗談で、ロビーに引っ張り込んじゃっただけなの。似たようなことって、いつも色んな人にやってて。女子トイレに引きずり込んだり、女子更衣室に引っ張り込んだり……。みんなが慌てて怒るのが楽しくて、ツッコミ待ちで、ついやっちゃって。阿部君は慌てなかったけど、『バカじゃねーの』って呆れてて……」

 ツッコミ待ち、で、何だって?
 彼女の言ってること、半分も理解できない。頭がしっかり働かない。
「ロ、ビー?」
 ロビーに入っただけ、って。そんなことあるのかな? 無理矢理引っ張り込まれて? ホント?
 昨日のホテル街、「他の人もいたんだよ」って言われたけど、ちっとも記憶にない。人は多かったし、笑い声は聞いた気がするけど……。
 黙ってると、いきなり彼女が土下座した。
「ご迷惑おかけしました!」
 って。
 いきなりこういう行動しちゃう子、周りにいなかったからビックリする。阿部君の言ってた「変わってる」って、こういうこと?
 とにかく立って貰いたいけど、動揺し過ぎて言葉が出ない。キョドってると、「おい!」って阿部君の声が聞こえた。

「何やってんだ、てめー。いい加減、怒るぞ!」
 聞き慣れたハズの大声に、心臓が縮こまる。
 会いたくない。話したくない。でも、ちゃんとホントのこと知りたい。
 この子の言ってること、ホント?
 戸口に目を向けると、阿部君が痛そうに脇腹を押さえてて、ケガしてるんだと気付いてハッとした。
「あっ、阿部君、寝てなきゃダメだよぉ」
 土下座してた彼女が、さっと腰を上げたけど、阿部君はその子を押しのけて、オレの病室に入ってくる。
「いーからもう、触んな! ややこしくなるから帰れ!」
 女の子は「ホントにごめんね」って謝ってたけど、阿部君はもう無視することに決めたみたいで、じっとオレだけを見つめてる。

 代わりに口を開けたのは、阿部君の後からやってきた男女数人だ。
「すみませんねー、うちのマネジが」
「ホントに、こういう子ですので」
 って。
「昨日事故、ビックリしたねぇ。大丈夫だった?」
 阿部君のチームメイトだったかな。見覚えのある顔の人に声を掛けられて、「はい……」とうなずく。
 ビックリしたっていうことは、あの時あの場にいたのかな?

「とにかくコイツ、やり過ぎるトコがあるから。でも悪気はないし、悪いヤツでもないんだ。許してやってくれる?」
 あの子の頭をぐいっと押し下げながら、その人が言った。
 他チームの人にそう言われれば、「はい」と返事するしかなかった。それに元々、彼女に対して怒ってた訳じゃない。
 正直、彼女の説明の半分も分かんなかったけど、どうでもよかった。
 遠慮のなさも、屈託のなさも、身近にいれば色々思うこともあるんだろうけど、オレにとってはどうでもいい。浮気じゃないなら関係ない。
 違うんだ。
 誤解だって分かっても、「ああよかった」って思えないのは、他に原因があるからだ。
 ホテルは誤解。親密さも誤解。オレが色々邪推しただけで、ちっとも怪しくないのかも。でもそれでも納得できなくて――。

「ごめん」
 2人きりになった後、阿部君に謝られて涙がこぼれた。

(続く)

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あきゅろす。
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