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小説 3
信号は青だった・4
 今までずっと、青信号ばっか続く道を進んでたのかも知れない。
 進むには勿論努力したし、辛いことも悔しいことも勿論あった。しんどいことだってあった。
 中学の時はオレ自身が、みんなにとっては赤信号みたいなものだったと思う。でもそこから反省して、チームの為に投げること、引くこと、走り続けることを学んだ。
 高校からずっと、順風満帆だった。
 ずっとピッチャーやれてたし、球も速くなった。試合にもいっぱい出して貰えたし、チームとの関係も良好で、大好きな人と恋人にもなれた。
 試合で何度も負けたけど、そのたびに「次こそは」って前に進んだ。
 オレの隣にはいつも阿部君がいて――それが当たり前だと思ってた。

 いつの間に離れちゃったんだろう?
 オレが前ばっか見て、走ってたせいなのか? 阿部君もそれを望んでたんじゃなかったの?
 一緒に走ってるとばっか思ってた。一緒に、同じ景色を見ながら、同じペースで走ってるって。ゴールだって、一緒なんだと思ってた。
 なのに、ふと気付くと阿部君はいなくて……。

 赤信号に阻まれ、戻りたくても戻れなくて、目の前のたくさんの車の群れを呆然と見る。
 道路の幅はどんどん広がって、向こう岸からオレだけが遠ざかって、どんどん阿部君が遠くなる。
 信号が青に変わらない。
 なんで? 阿部君の元に戻りたいのに。阿部君に、こっちに来て欲しいのに。大声で「阿部君」って呼びたいのに。なんで信号が変わらないんだろう?
 なんで声が出ないんだろう?
 なんで体が動かないの?
 なんで……目を閉じられないの? 阿部君が他の誰かと談笑しながら歩いてるとこ、見たくない。
 オレの隣で走るのをやめて、あの子の隣を歩くことにしたんだろうか?
 オレが前ばっか見てたから?

 でも、進行方向の信号が青なら、そのまま走って渡るよね?

 いくら考えても分かんない。何が悪かったんだろう? 何が間違ってたんだろう? どうすればこんな風にならなかったの?
 どうすれば、裏切られずにすんだんだろう?

「三橋……」
 阿部君の声が聞こえる。
 でもそれは幻聴だ。脳が記憶にあるデータを、勝手に再生してるだけ。彼がオレを呼ぶことは、もうないんだ。
 ぶるんと首を振り、前を見る。
 胸はもう痛まない。
 ……ホントか?
 誰かの問いに、心の中で「ホントだよ」と答えた。
「痛くない、よっ」

『てめーっ、意味ねぇウソついてんじゃねーよ!』

 阿部君の怒鳴り声を思い出し、一瞬ビクッとなったけど、でももう、怖いとは思わなかった。
 ずっとオレ、阿部君にこうやって怒られるの怖かった。嫌われたり、呆れられたり、見限られたりするんじゃないか、って。怖かった。
 もっと前は、サインを出して貰えなくなるんじゃないかとか、オレの球、受けて貰えなくなるんじゃないかとか、そんなことまで心配したっけ。
 バカみたい。
 バカみたいだ、オレ。バカだ。
 もう考えるのやめたい。
 阿部君を想うの、やめたい。
 裏切られたこと認めたくない。捨てられるんじゃなくて、捨てるんだと思いたい。

「阿部君……」
 呟くと、誰かが「三橋っ!?」と声を上げた。
 右手をガシッと掴まれて、「起きたのか!?」と強く訊かれた。
 わななきながら息を吸い、息を吐きながら目を開ける。白い天井の次に見えたのは――。
「三橋、オレが分かるか?」
 右手を強く握りながら、オレの顔を覗きこむ、泉君のぱっちりと大きな瞳だった。
 くっきり二重の切れ長のたれ目じゃない。ああ、そうか、阿部君はもういないんだ。

 ため息をつき、自由な方の左手で顔を覆おうとして、頭の包帯に気が付いた。
「包、帯……?」
 なんで? そう考えて、交差点での事故のことを思い出した。
 目の前で人が人形みたいに飛ばされて、こっちに飛んで来たから、思わず受け止めちゃったんだっけ。
 あの人、どうなったんだろう?
「頭のケガ、大したことねーってよ。なっかなか起きねーから心配して、何だっけ、CTかMR何とかか、忘れたけどそういう検査もしてさー。でも内出血もねーし、骨も折れてねぇって。良かったな」
 ニカッと笑われて、ホッとする。
「うん……」
 うなずいて起き上がろうとすると、それは泉君に止められた。安静にしてろって。あちこち打ち身してるんだって。

「焦ったんだぜー、お前、うわ言で『胸が痛い、痛い』って言うからさー、肋骨の2、3本でも折れてんのかと思った。けど、骨には異常ねーってよ」
「そう、か……」
 返事をしながら、天井を見上げる。
 なんか、夢を見てた気がする。どろーっとした、重い夢。

 胸が痛かったのは、失恋したからだ。
 あれも夢だったらいいのにな、と思うけど、やっぱりどう考えても現実で、胸がどんどん冷えてく気がした。
 阿部君がここにいないのが、何よりの証拠だ。
「さっきまでみんないたんだぜ」
 泉君は笑顔で教えてくれたけど、きっとその中に、阿部君はいなかったんだろう。
 いなくて当然だし、いても気まずい。
 顔合わせるの、イヤだなぁと思う。早くあの家を出たい。
「いつ退院できる、かな?」
「さーな、頭打ってっからなぁ……」
 泉君の言葉を聞きながら、オレはもっかい目を閉じた。

 体が重くて、あちこち痛くてどうしようって思ったけど、軽傷ですんだのはすっごくラッキーでツイてると思う。
 オレはまだ、投げられる。野球できる。
 ほら、信号は青だ。
 前に進め、と、言われてる気がした。

 ――例え阿部君が、もう隣にいなくても。

(続く)

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