小説 3
Only・9
「危ない」と口に出す間もなかった。
島崎さんに、「アイツです」なんて教えてる余裕もある訳ない。
ホクロ男が、右手をアゴの下でギュッと握る。その拳がギラッと銀に光るのが見えて、そしたら体が動いてた。
「やっ!」
叫んで、無我夢中で阿部君に飛びつく。
目の端に鈍く光る軌跡が見えて、咄嗟に目を閉じると、衝撃が来た。
ガッ、と頭のてっぺんをかすられて、カツラがズルッと持って行かれる。首がガクンと曲がって、阿部君の方に倒れ込む。
「くそっ、邪魔だ!」
「三橋っ!」
ホクロ男子と阿部君とが、オレを挟んで同時に叫んだ。
「キャーッ!」
女の子たちの悲鳴が上がる。
と、突然阿部君が「うわっ」と言った。同時に、抱き込まれたまま一緒に床に倒れ込む。
倒れる瞬間に見えたのは、島崎さんの靴底だ。
えっ、蹴った? 蹴られた? 状況が分かんないまま、直後、ドガン! と音を立てて、真横にあったテーブルが砕けた。
キャーッと響く女子の悲鳴。木片が飛び散るのが、スローモーションみたいにハッキリ見えた。
そんな場合じゃないのに、メリケンサックって凄いんだなぁって思った。
買うのは違法じゃないけど、持ち歩くのは軽犯罪法違反だ、とか。攻撃用であって、護身用じゃない、とか。ネットで見た情報を、ホントなんだなぁってぼんやり思う。
「ザコはドケや!」
ホクロ男が怒鳴りながら、右手をやみくもに振り回した。
大きなモーションで拳を伸ばして、空振りしてはよろめいてる。もう、阿部君だけを狙ってる訳じゃないみたい。
ガシャン、とまた何か割れる音が響いた。
「警察!」
誰かの言葉に、「いや、警察はヤベェ」って、また別の誰かが答える。
「呼べるもんなら、呼んでみろ警察!」
ホクロ男が大声で言って、倒れ込んだままのオレたちを見た。
目が合ったかどうかも分かんない。
ヤバい、と思うと同時に、ほんの1歩か2歩の距離を詰めて、男の左手が阿部君に伸びる。
「ダメッ」
もっかい庇おうとしたけど、逆に阿部君の背中に庇われた。胸倉を掴み上げられ、立たされる阿部君。
「ちょーしこいてんじゃねーぞ、てめぇ!」
鈍く光る右拳が、ぐーのままで彼を襲う。
テーブルを砕くような威力で、殴られたらどうなるの!?
「あ、あ……っ」
阿部君、と叫びたいのに、舌が凍り付いて叫べない。声にならない悲鳴を上げて、立ち上がろうともがいた時――。
「ぎゃあああああっ!」
ひしゃげたような悲鳴を上げて、ホクロ男が阿部君を放した。
ギョッとしてビクッとして、倒れ込んだ阿部君を支える。
そのすぐ目の前で、ホクロ男がガクッとヒザを突いた。
メリケンサックをはめた右手を、背中に捻じり上げられて、床に押さえつけられ、苦しそうに唸ってる。
「ぐうう、くそっ」
男の唸り声に重なるように、落ち着いた声を出したのは島崎さんだ。
「暴れんのは、そこまでにして貰うよ」
ひょうひょうとホクロ男の右腕をキメて、息も乱さずに制圧してる。
半眼を伏せたように、目を座らせて微笑んでる島崎さんは、なまじ整った顔立ちだけに、スゴイ怖い。
「器物破損に、傷害未遂。あと、威力業務妨害? 十分警察呼べる状態だと思うけど、どうしようか?」
島崎さんはにぃっと笑みを浮かべたまま、ホクロの男からメリケンサックを奪い取った。
カウンターの中にいた島崎さんの後輩が、白いロープを持って来て、暴れた男をぐるぐると縛る。男子数人がそれを手伝い、扉の向こう、お座敷の方に、ホクロ男を連行してった。
けど、ぼんやりそれを眺めてはいられなかった。
「三橋……」
阿部君が抑えた声で、怖い顔して、オレの前にひざまずく。
怒鳴られるのを覚悟して、うつむいてギュッと目を閉じると、ふわっと頭に触れられた。
「ケガねーか?」
そう言われて、ハッと頭に手を当てたけど、じんじんしてるだけでそんなにヒドイ痛みじゃない。
かすっただけだったし、カツラが守ってくれたみたい。血も何も出てなさそうで、「うん」ってこっくりうなずいた。
「……冷や冷やさせんなよ」
はーっ、と大きなため息の後、阿部君にギュッと抱き締められる。1ヶ月ぶりの彼の温もりとニオイに、泣きそうなくらい胸が痛んだ。
みっともなく泣かずに済んだのは、島崎さんのお陰だ。
「みーくん、さっきのアイツで間違いない?」
軽い口調でそう訊かれ、慌てて「はいっ」って返事しながら、さり気なく阿部君の腕を抜け出す。
仲間はいるかって訊かれて、黒縁メガネを探したけど、残念ながら店の中にはいなかった。
元々、知らない顔だった、し。メガネを外されると自信ないし、とっくに逃げたかも知れないし、よく分かんない。
「阿部、トモダチに感謝しろよ? お前の鼻っ柱が無事なの、みーくんのお陰だからな?」
島崎さんがそう言って、オレの肩を抱き寄せた。
阿部君は「はあ!?」って言ってたけど、なんかその顔を見つめるのも辛くて、居心地悪くて、うつむくしかできない。
「あ、べ君にケガがなくて、よかった」
ぽつりと言った言葉に、返事はない。
代わりに、ちょっと興奮したような、女の子の声が響いた。
「ホントだよぉぉ!」
「良かったねぇぇ!」
「もー、さっきの何ぃ? ちょう怖かったぁ!」
甲高い声できゃあきゃあと騒ぎながら、たくさんの女の子が阿部君や島崎さんの周りを囲む。
オレと阿部君の間には人垣ができて、自然に距離が開いた。
これが現実、だ。
阿部君には本命がいたのかも知れない。今はフリーなのかも知れない。
もうとうに女の子と遊ぶのはやめて、来る者拒まずじゃないのかも知れない。
真面目にやってて、乱交パーティもただのさくらで、去年みたいな爛れた生活じゃないの、かも。
でも、オレにはもう、関係ない。
やめたいって言ったのはオレだし、阿部君はそれに「ふうん」って答えた。それでもう、終わったんだ。関係ない。
たださっき、本気でケガないか心配して貰えて――それってトモダチには戻れるのかな、って、期待できそうで良かった。
最後にぎゅうっとして貰えて良かった。
奥歯をギリッと噛み締め、涙が出そうになるのをぐっと我慢する。
「オレ、帰り、ます」
島崎さんにぼそっと言うと、島崎さんは何も言わず、背中を軽く撫でてくれた。
(続く)
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