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オーナーのレアな笑み (モブ視点)
※モブおっさん客視点になります。


 オープンカフェの深緑の屋根に、雨粒が当たってパラパラと音を立てる。
 大きく張り出した屋根のお陰で雨には濡れずに済んでるが、屋外はさすがに肌寒い。
 こんな日は雨音を聞きながらホットコーヒーをゆっくり飲むのが1番だ。
 屋根と同じく深緑色したイスに座り、同色のテーブルの上でコーヒー色の革表紙のメニューを開く。
 今日はどのコーヒーにするか。そういえば、「今月のコーヒー」は何だったか? 店の入り口に置かれた黒板ボードに目を向けて、読むのを忘れたなと気付く。
 そういえば、もう6月だ。このカフェの名物である、月替わりコーヒーを楽しみにしていたのに、すっかりチェックするのを忘れていた。
 忙しいと、忘れっぽくなるのが困る。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
 黒服を嫌味なくらいにキッチリと着こなした男が、銀盆で水とお絞りを運んでくる。阿部、と名札を着けた彼は、この店の若きオーナーでもあるらしい。

「『今月のコーヒー』は何だ?」
 私の質問に、「コロンビア・コロナでございます」と簡単に説明を始めるオーナー。甘く豊かな香りが特徴で、酸味やコクのバランスの取れた豆だとか。
 コーヒーを楽しむのは私の趣味の1つだが、マニアという程詳しくはない。そんな私には、これくらいの簡単な説明が丁度いい。
「ではそれをホットで」
「かしこまりました。当店ではコーヒーの1杯1杯をバリスタが丁寧にお淹れしておりますので、少々のお時間を頂いております」
 オーナーの早口の口上に、「ああ」とうなずき、メニューを閉じる。
 このカフェには何度か通っているので、時間がかかるのは了承済みだ。そもそもその程度の時間が待てない客には、コンビニコーヒー程度がお似合いだろう。
 手元の機械を手早く操作して、オーナーが伝票をプラの伝票入れに挿し入れる。彼が去ってから水を飲み、私は降り続く雨に目を向けた。

 パラパラと屋根に響く雨音。植え込みの向こうの車道で、時々車が水を跳ねながら行き交う。
 カフェの屋根の端を、傘を差したまま通過する通行人。
 繁華街の中、雨音をひっきりなしに聴かされているというのに、妙に静かに感じるのが不思議だ。
 この雨はいつまで続くのだろう?
 冷たい水より、早く熱いコーヒーが飲みたい。
 そんなことをぼんやりと考えていると、再び黒服のオーナーが、私のテーブルの側に立った。
「お待たせいたしました。コロンビア・コロナでございます」
 にこりともせず、しかし丁寧に、オーナーがコーヒーをテーブルに置いた。途端にふわりとチョコのようなバニラのような、甘い香りが立ち上る。
「ごゆっくりどうぞ」
 軽く頭を下げ、銀盆を抱えたまま去って行くオーナー。
 ブラックのまま、薫り高いコーヒーを一口飲むと、舌先に熱さと美味さがじわりとにじむ。

 相変わらず、このカフェのコーヒーは美味い。オーナーと同様、バリスタもまだ若いというのに、いい腕をしているものだ。
 とろりとした独特の質感からして、布ドリップを使っているのだろう。
 さらりとしたペーパードリップの飲み口も悪くないが、やはりオイルをそのまま味わえる、布ドリップの方が好ましい。
 甘い芳香を楽しみながら、もう一口。
 そうしてゆっくりとコーヒーを味わっていると、オーナーが銀盆にケーキを乗せて現れた。
 どうやら、1つ向こうのテーブルの女性客が、ケーキセットを頼んだらしい。
「本日のケーキは、大粒イチゴのショート、リンゴとプラムのパイ、レモン風チーズケーキの3種になります……」
 オーナーの淡々とした説明に、「きゃあ」と歓声を上げる女性客。だがその声も、雨音の中に消えて騒々しいとは思えない。思えないが、なぜか気になる。
「少々お待ちくださいませ」
 淡々とそう言った後、オーナーが再び私のテーブルの横を通る。その彼を、「キミ」とつい呼び止めてしまったのは、ほんの少し興味を引かれてしまったからだ。

「はい」
 にこりともせず、ケーキの載せられた銀盆を掲げ、オーナーが私の横に立つ。
「ケーキを見せてくれないか」
「かしこまりました」
 軽く頭を下げ、ケーキ3種をよく見える位置に差し出すオーナー。いつも無愛想な彼が、その瞬間にやりと笑ったように見えて、不覚にもドキッとした。
 まさか、狙って見せびらかしていたのだろうか?
 まさかな、と思いつつも、ケーキを目の前にして今更「いらん」とも言い難い。あまり甘ったるいものは好きではないが、ほんのり香るケーキの匂いと魅力的なフォルムに、目と鼻が誘われる。
「リンゴとプラムのパイを1つ」
 私のオーダーに「かしこまりました」と返事して、オーナーが片手で機械端末を操作した。

「ケーキセットに変更させていただきます」
 にやりと満足げに笑いながら、伝票を再びプラの伝票入れに差し込むオーナー。いつも愛想が無く、淡々と接客をこなす彼が笑みを見せるのは珍しい。
 珍しいが……なぜか、あまり嬉しいとは感じなかった。

   (ケーキセット追加な!)

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