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雨続きの日には (モブ視点)
※モブのオッサン客視点になります。


 連日の雨に辟易とし始めた梅雨の中日、空を見上げるとどんよりと雲が広がっている。
 今日の天気予報は何だったか? 雨のち曇り、曇りのち雨、曇り時々雨、曇り一時雨、雨時々曇り……たまに曇り、とだけある日もパラッと来るので油断はできない。
 何にせよ梅雨明けはまだ当分先のようで、空気も気分もじめじめして仕方ない。
 こんな時は雨音を楽しむつもりで、オープンカフェに籠るのに限る。幸い、梅雨時の平日には客足もあまりないようで、1、2時間過ごしていても周りの席が埋まることはなく、罪悪感も湧かなかった。

 今日から始まる「7月のコーヒー」は、トラジャらしい。
 トラジャといえば、幻のコーヒーとして有名だ。というのも、戦時中に農場が荒れ果て、大事なコーヒーの木が死滅しただろうと思われていたからだ。
 元はオランダ領だったことから、オランダ王室でも飲まれていたという高級豆。赤く完熟した豆だけを収穫し、1粒1粒熟練の職人によって選別されているとも聞く。
 そんな幻のコーヒー、トラジャ。この梅雨の真っ盛り、客足が鈍るだろう時期に、こんな高級豆を提供する辺りが心憎い。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
 いつもと同様、愛想に欠けるオーナーが淡々とした口調で注文を取りに来る。
「トラジャ。まずはホットで」
 「まずは」との私の言葉に、オーナーがわずかに眉を動かしたが、彼は何も言うことはなく、「かしこまりました」と注文を受けた。

「当店のコーヒーは、バリスタが1杯1杯丁寧に淹れておりますので、少々お時間を頂いております」
「んん」
 いつもの口上に軽くうなずき、お絞りを手に取る。ここのコーヒーに時間がかかるのは、承知の上だ。だが、今日は客も少なそうだから、いつもよりは早かろうと少し期待する。
 オーナーが伝票を置いて去った後、私はカバンからタブレットPCを取り出した。本来ならばカフェでゆったり文庫本などを開きたいところだが、数年前からめっきり視力が落ちたため、最近はもっぱらこれである。
 さて、今日は何を読むとするか?
 ダウンロード済みのラインナップを拡大表示でゆっくりと眺めながら、少しレモンの香りのするお冷やを一口、口にする。
 カランと涼やかに鳴る氷。
 汗をかき始めたグラス。
 読む作品を決め、ページを表示させると同時に、「お待たせしました」とオーナーがテーブルの横に立った。
「トラジャでございます。ごゆっくりどうぞ」
「ああ」

 言われるまでもなく、ゆっくりと過ごすつもりだ。
 ややスモーキーで爽やかな香りを楽しみつつ、少し吹き冷ましてコーヒーカップに口をつける。
「美味い」
 絶妙な苦さと甘さ、そして後に引きつつもキレの良いコク。まったく、ここのバリスタは本当に腕がいい。また、きっと豆の焙煎もいい仕事をしているのだろう。
 最高のコーヒーを楽しみながら、屋外でゆったり過ごすのは最高の贅沢だ。
 冷めないうちに、もう一口。
「うん、美味い」
 苦みとコクを味わいつつ、電子書籍のページをめくる。
 やがてコーヒーカップが空になる頃、ぽつりと頭上の屋根に雨が落ちる音がした。

 視線を上げると、落ち着いた深緑色の屋根の向こう、どんよりと曇った空がさっきよりも翳りを増している。
 ぽつ、ぽつ。屋根を打つ雨はゆっくりとその量を増し、やがてパラパラと音を響かせた。
「降って来たか……」
 私の独り言に、返事をする者は誰もいない。
 街角のオープンスペース、周りのテーブルには他の客の姿もない。少し寂しいが、まあこんな日もあるだろう。
 さあ、次は何を飲むか。もう1杯トラジャにするか、それとも気分を変えてアイスコーヒーにしてみるか?
 テーブルのメニューを開き、ちらりと店の入り口に目をやると、真っ黒な上下を着たオーナーの隣に、真っ白な上下を着た誰かが立ち、共に空を眺めていた。
 ああ、あれがバリスタだろうか? 随分若い。
 ……オーナーと仲が良さそうだ。

 そんなことを思いつつ、何も気付かないフリで手を挙げる。間もなくオーナーが近寄って来て、「何かご用でしょうか?」と私に声を掛けて来る。
 その声は若干不機嫌そうに聞こえたが、私はそれにも気付かぬフリで、「トラジャ、今度はアイスで頼む」と彼にオーダーをキッパリ告げた。

   (た、タカ、お客、さん)

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