Season企画小説 狂おしくキミを恋う(Side A) 2 教授がアメリカの学会で論文を発表することになって、教授本人は勿論、その下の講師の先生や助手の先生を始め、オレ達研究室所属の学生まで、年末からスゲー忙しかった。 雑用ぐれーしかできねーけど、その雑用がスゲー多い。 しかも、カテキョーの教え子が、大学受験間近になっちまったのも重なって、殺人的なスケジュールになった。高3だから時給も高ぇーし、毎日入ってくれって言われんの、ありがてーし、力になってやろうって思うけどさ。 でもそうなると、今度は家に帰れねー。 カテキョー先は大学の近くだから、晩メシ食うんだって、近くの定食屋じゃねーと間に合わねー。 三橋には、メシ食えねー理由を話したと思うけど、分かってくれたかどうかは怪しかった。あいつには多分、理解できねーだろう。野球のことしか頭にねーもんな。まあ、プロを目指すんなら当然だし、あいつはそれでいいいと思う。野球のことだけ考えて、生きてて欲しい。 オレは……まだ今が忙しくて、就職のことも考えらんないでいるけど。でもプロになった三橋の側で、あいつをしっかり支えて、サポートしてやれるような……そんな存在でいたいと思ってる。まあ、面と向かって言ってやった事はないけどさ。 もうオレは、あいつの捕手じゃねーけど。 捕手じゃ、ねーけど。 「あー、くそ」 いやなこと思い出しそうになって、頭を振る。学食は鬼門だ。 備え付けの大テレビは、ワイドショーを映してる。あの時とは違う。でもこの大テレビを見るたび、思い出したくもねーのに思い出す。 あの秋の日。 大学野球が映ってた。 何かの中継か、特集だったのか。よく見てねぇから分からねぇけど、三橋が投げてた。 甲子園で1勝した後くらいから、三橋は実力というよりキャラクターの面で、マスコミに受けていた。 なにしろ、マイクを向ければ赤面するし、どもってうつむいて小さな声しか出さねぇ。加えて、男っぽくないルックスで色白で、物腰も柔らかい。いつの間にか「レンレン」って呼び名が広まって、アイドルみてーにされちまった。 だから三橋をテレビで見るのは、そう珍しいことじゃなかった。学食の列に並んで、相変わらずきれーなフォームだな、とか思いながら見てた。 定食を持って会計を済ませ、テレビをちらちら見ながら、空席を探そうと歩いて……。 足が止まった。 テレビの向こうで。 マウンドの三橋に、捕手が駆け寄り。 ……右手を掲げた。 三橋はその手に右手を合わせて。 笑った。 ガシャーン! 大きな音を立てて、定食のトレーを落とした事にも気付かなかった。次々に肩を叩かれ、声を掛けられたけど、何にも反応できなかった。 ショックだった。 目を疑った。 勿論、あれがただの瞑想の一環だってのは知ってる。手のひらの温度で、緊張してっかどうか判るんだ。ただの確認。ただの習慣だ。 オレが試合出れねー時、田島や花井とやってんの見たこともある。だって、ただの確認だ。 でも、あんな笑顔は。 正捕手のオレしか知らねーと思ってた。 そこをどけ。それはオレのだ。 胸のうちをどす黒く渦巻く、汚い感情。 独占欲とか。嫉妬とか。絶望とか。 浮気現場を見ちまった気分。 なあ、それって、裏切りじゃねーの? けど、三橋を責める権利がねぇのは解ってた……。 ブーブーブーブー、とケータイのバイブ音を感じて、我に返る。田島だ。 「おー」 電話の向こうで、田島が喚いた。 『おー、じゃねぇよ、どういうことだよ! お前、今、どこだ?』 「あー? 大学に決まってんだろ」 『危機感ゼロかよ! バカか! 三橋が……』 田島はそこまで喚いて、『あ、やべ』と言った。 『ワリ、後で電話する』 そうして一方的に切られちまった。 何なんだ。……三橋がどうかしたか? オレは三橋にメールを送った。そういや、メールなんてずっと送ってねーな。メールする程の用事もねーし、家に帰ったらいるもんな。 「田島から電話あったけど、お前どうかしたのか?」 送信。 結局、学食にいる間、三橋からの返信も、田島からの電話もないままだった。 次にケータイを開いたのは、大学の前の定食屋で、晩メシ注文した後だった。午後6時過ぎ。 電話着信1件。田島だ。メッセージはねぇ。 ムリだろうな、と思いながら掛け直す。田島と三橋はスケジュールが一緒のハズ。だから多分、この時間帯は練習中だ。 案の定の留守番電話に、一応メッセージを入れておく。 「阿部だけど。7時までは電話出れっけど、その後はバイトだから、用事あんならメールしてくれ」 から揚げ定食を食べながら待ったけど、やっぱり返信は来なかった。すれ違いになんのは分かってた。三橋ともこんな感じなんだから。あいつと生活パターンが同じなら、同じようにオレとはすれ違う。 午後6時50分、会計を済ませて店を出る。大学用に置いてある自転車に乗って、これから受験生の相手だ。 その前に、ちょっと一服。 店の中は禁煙だから、店の外に灰皿がある。学生の苛立ちが積もってるように、灰皿の中は満杯だった。 タバコ始めてから、ため息が増えたような気がする。紫煙を思い切り吐くせいかな。色んな余計なことを考えちまうせいなんかな。 「はーあ」 オレは最後に煙を吐いて、タバコをギュッと押し消した。 バイト終わった後、ケータイチェックすんの忘れてた。だからそのメールを見たのは、家に帰ってからだった。 鍵を開けて、あれ、と思ったのは、明かりが一つも点いてなかったからだ。珍しかった。三橋の方が帰りが早いし、先に寝ちまってる時でも、キッチンの明かりは点けっぱなしになってんのに。 手探りで玄関の明かりを点け、リビングダイニングを点ける。ダイニングテーブルには、昼間のチョコが置きっぱなしだ。……指輪も。 「三橋、いねーのか?」 三橋の部屋のドアを叩く。ドンドンドンドン! けど、ドアは開かなかった。 「キャンプってまだだよな?」 ダイニングの壁のカレンダーを見る。予定を書く欄は、1月から真っ白だ。三橋はもともと、そんなにマメに書き込む性格じゃなかったし、オレはもう忙しくて、そんな書き込みする余裕さえなかった。 キャンプなら、いくら何でも行く前に言うだろうし。田島のアパートに泊まんのかな? 田島の電話は、このことだったのかも……。そう思って、ケータイを開く。 メール着信は二件。田島からと、花井から。 花井からのメールを開く。 −−荷物取りに行くけど、日曜でいいか?−− 荷物って何だよ? たまの日曜くらい休ませろっての。そう思いながら、「OK」のみの返信する。 次に、田島のメール。 「なんだ、これ……?」 短い文なのに頭に入って来なくて、何度も読み直す。 −−三橋が家出して、アパート借りるとか言ってんぞ。取り敢えず今日はうちに泊める−− 家出って、何で? 最近、でっかいケンカもしてねーのに? つか、昼間いたじゃねーか。 「疲れてんのに、考えさせんなよ」 オレはダイニングのイスを引いて、どっかりと座った。頭を伏せて考える。ここで三橋と向かい合って座ったのって、一体どんくらい前だった? 三橋はいつから、ここに座って笑わなくなった? 「コーヒー淹れてくれよ……」 返事は無い。 テーブルの上には、銀の指輪が光っていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |