Season企画小説
思い出して欲しいこと・2
阿部君が怒らなくなったと気付いたのは、それから数日後のことだった。
田島君や泉君と一緒に廊下を走って移動してて――うっかり阿部君にぶつかっちゃったんだ。
「うおっ、ゴメン!」
謝りながら、怒鳴られるって思って反射的に身構えた。
「コラ、何やってんだーっ」って両腕振り上げて大声で怒鳴って、ウメボシされるんじゃないかって、ビクッとした。
田島君や泉君も、慌てて立ち止まってくれたくらいだ。
けど――。
「三橋、廊下は走んなよ。ケガしたらどーすんだ」
阿部君は呆れたように苦笑しながら、ゴツンとオレにゲンコツを落としただけだった。
「お前らも、大会近いんだし、無茶すんなよ」
田島君と泉君を、冷静にたしなめる阿部君。ドカーンと怒鳴られた時より、なんか正直怖かった。
前にモモカンと話してた、「感情のコントロール」って言葉がふっと頭に浮かんだけど、試合ならともかく、こういう場面でそれはちょっと変だよ、ね?
田島君や泉君も、同じように思ったんだろう。
「ああ……」
「ワリー……」
阿部君に謝りながら、顔を引きつらせて首をかしげてる。2人に視線を向けられたけど、オレも一緒に首を振るしかできなかった。
そういうことがあったせいで、午後練にもあんま集中できなかった。
ストレッチを終え、軽いキャッチボールとランニングを終え、素振りとバッティング練習を始めても、阿部君のことが気になって仕方ない。
キン、カキン、とボールを打つ音が響く中、向こうのブースでバットを振る阿部君を、じっと見る。
花井君に話しかけられ、ふっと笑みを浮かべる阿部君。水谷君の言葉に、呆れたような目を向ける阿部君。パッと見た感じ、いつも通りには思うけど――。
「コラ、そこ、バット持ってる時によそ見すんな、危ねーぞ」
後輩を注意する声は、いつもよりひどく冷静で、なんだかオトナみたいだった。
違和感は、投球練習の時も感じた。
「三橋、集中」
ピッチャープレートの前でぼうっと立ってたオレに、阿部君の指示が飛ぶ。
「何考えてる? ぼうっとしてる暇ねーぞ」
ホームから張り上げられた声は冷静で、ちっとも怒られてるように感じない。別に怒鳴られたい訳じゃないけど、何だか「これじゃない」って思った。
特に顕著だったのは、オレが体育の時間にケガした後だ。
サッカーでドリブルしてる時、相手チームの子の足に、つまづいちゃって。それはパスする相手を探してて、足元を見てなかったせいでもあるんだけど、転んで両ヒザを擦りむいた。
「あーあ、阿部に怒られるぞー」
田島君に苦笑交じりに言われた時は、オレもちょっとビクついた。今度こそウメボシを覚悟した。
けど、阿部君はでっかい絆創膏を両ヒザに貼ったオレを見て、「何だ、それ?」って冷静に言っただけだった。
正直なところ、すっごく意外で面食らった。
「う、えと……ばんそう、こ」
「んなの見りゃ分かるっつの。痛みはねーの? 投げられそうか?」
キリッとした眉をしかめて尋ねられ、こくこく何度もうなずいた。心配されてるって思うと嬉しいけど、違和感がスゴイ。
「阿部君……怒って、ない?」
ドキドキしながら訊くと、「なんで?」って言われて、逆に何だか不安になった。
「気ィ付けろよ」
ポン、と頭を撫でられて、「うん……」と覇気のない返事する。
数日前に見た、うなだれて覇気を失くした阿部君の姿が、なんでか一瞬思い浮かんだ。
『怒ってねーだろ!』
どう見ても怒ってる顔で、オレを叱りつけてた過去の彼を思い出す。本気で怒ってる訳じゃないって気付くまで、それはそれで怖かったけど、怒られない今の方がドキドキする。
試合でピンチに陥った時みたいなドキドキ。でも目の前に阿部君はいなくて、どうしようって思った。
やがてチームのみんなも、阿部君が怒らないのに気付いたけど、みんなそんな大して問題には感じてないみたい。
「最近、阿部の怒鳴り声、聞いてないねー」
おにぎり休憩の時、誰かがそう言い出して、ドキッと心臓が跳ね上がった。
「平和でいーじゃん」
「それもそーだな」
ははは、と笑うみんな。「はあ?」ってキョトンとする阿部君。
「1つ大人になったんだよな」
からかうような誰かの言葉に、阿部君が怒り出すこともない。声を荒げることも、眉をしかめることも、不機嫌そうに睨むこともなくて、平和なんだけど不安が募る。
このまま、オレが何しても怒って貰えなくなったらどうしよう?
それはすごく怖いことだと思うんだけど、みんなは違うのかな? オレが、阿部君のこと好きだから、そんな風に思うだけ?
訊きたいけど、誰にも訊けない。
オレだって、怒られたい訳じゃない。でもなんか、放っといちゃいけないような気がした。
阿部君の方をちらちらと見ながら、右手のおにぎりをもそもそ食べる。
「牛乳お代わりいる人ー」
マネジの言葉に、「うーい」って手を上げる阿部君。
「サンキュ」って軽く礼を言う仕草も、カップを一気にあおり、口をぬぐう仕草も、いつもと何も変わらない。
喋らない訳じゃない、飲み食いしない訳でもない。じゃあ、オレの気のせい、か?
おにぎりを食べ終え、カップの牛乳を飲み干して、立ち上がる。
後輩の1人が「わーっ」と声を上げたのは、その時だった。
「すげー、夕陽キレー!」
つられて振り向いて、おお、と思う。
フェンスの向こう、西の空を染める夕陽は鮮やかな茜色で、空と雲とがキレイなグラデーションに染まってた。
「あー、ホントだなー」
花井君が感心したように目を細める。
「うわー、写真撮りてぇー」
残念そうに言うのは、水谷君。みんなしばらく手を休め、一時の光景に見入ってた。けど、阿部君は――。
「そういや日が暮れんの、遅くなったな」
ちらっと夕陽に目を向けて、無感動に言うだけだった。
「おっ前、相変わらず情緒がねーな!」
呆れたように花井君がツッコみ、「阿部だから」ってみんなが笑う。
笑う気になれないのは、オレだけかも知れなかった。
(続く)
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