Season企画小説 ジムランナーU・2 「三橋さん、これ、受け取ってください」 そんな声をうっかり聞いちまって、しまった、と思った。階段は鬼門だっつーの忘れてた。 インストラクターとして、スタジオでファイティングエクササイズを教えたり、ジムフロアで手取り足取り指導したりする三橋は、男女ともに人気があるらしい。 数人いるインストラクターの中でも、女性人気はダントツみてーで、よくこうしてタオルやらお菓子やらの貢物を貰ってる。 アドレスや電話番号をメモして渡される時もある。 そのたびに「困り、ます」つって断ってる現場を見かけるけど、イマイチ断り切れてねぇのが現状だ。 近くて遠いっつーか、遠いようで近いっつーか。インストラクターとジムの客との関係って、やっぱ独特の距離感があるように思う。 「あの人、格好いいねー」つって仲間内できゃあきゃあ言えるし。かといって、TVやネットの向こうのアイドルみてーに遠くもねぇ。しかも客商売が基本だから、多少のワガママは許される。 最初憧れだった気持ちに、熱が上がってくのも分かる気がした。 階段の踊り場の手前で立ち止まり、斜め上からの会話をじっと聞く。 「ちょっと早いですけど、バレンタインです。あの、義理チョコですから」 義理って。そう言いつつ、わざわざひと気のねぇとこ選んで渡してる時点で十分怪しい。どんな女だ? 気になりつつも、盗み聞きはマナー違反だし。今更三橋が女に惹かれる訳もねぇ。どうせ「困ります」っつーんだろう。そう信じて立ち去ろうとした時――。 「ありがとう、嬉しい、です」 三橋のそんな返事を聞いて、ずるっと足下を踏み外しそうになった。 今までそういう差し入れ、全部断ってたくせに。いや、断りきれずにぐいぐい押されて、結局受け取らされて困ってはいたけど。そんでも一応は断ってただろ? なのに、「嬉しいです」って、何だ、それ!? 客との恋愛って、禁止だったんじゃねーのかよ!? ムカムカを抱えたまま、再びジムフロアに戻り、マシンに向かう。 やけくそのようにエアロバイクをジャージャー漕いでると、いきなり横からぺちんと太ももを叩かれた。 「ヤミクモに漕いでもダメ、だ。心拍数、ちゃんと見て」 声の主は、見るまでもなく分かった。さっき階段でチョコを貰ってたインストラクター、三橋だ。 ちらっと目を向けると、三橋はいつも通りクリップボードだけを小脇に抱えてて、それ以外は手ぶらだった。 白と黄緑の派手な上下のスタッフウェアには、ポケットがねぇっつーし。チョコどうした? さっそく従業員控え室に大事にしまって来たんかな? 「ランニングの後、か。ヒザの負荷、は……」 淡々と真横で告げられる指導を、黙って聞き流しつつ胸ん中のモヤモヤを持て余す。 オレだって会社で義理チョコ貰ったし、三橋に貰うなっつー権利はねぇ。つーか、そもそも今のオレたちの関係性がよくワカンネー。 三橋からチョコなんて貰えるかどうかワカンネーし、つーか「欲しい」っつったら、受付のカゴからハイカカオのアレを数個掴んで、「はい」って渡されそうで怖ぇ。 オレからチョコ渡してもいーけど、さっきの女みてーに「ありがとう」とか「嬉しい」とか言って貰えなかったら地味にショックだ。 「阿部君!」 ビシッ、と背中を叩かれたのは、そんな時だった。 「阿部君、聞い、てる?」 責めるような固い声にハッと視線を向けると、デカい目でじろっと睨まれた。 「舐めてる、と、ケガする、よっ」 怒ったように短く言われて、ようやくぼうっとしてたのに気付く。 「……悪ぃ」 ため息つきながら謝ると、三橋はしばらくオレの顔をじっと真横で見てたけど、やがて諦めたみてーに平坦な声で、もっかい指導をしてくれた。 「考え事はいい、けど、ヤケクソみたいに漕ぐのはダメ、だ。心拍数、自分でちゃんと見て」 「……分かった」 ぼそっと返事すると、同じくぼそっと「うん」と言われる。 「どうした? 何か、あった?」 声を抑えての問いにドキッとしたけど、盗み聞きのことバカ正直に言う訳にもいかねぇ。このモヤモヤも正直には言えねぇ。 「別に」 短く答えて、今度は真面目にエアロバイクのハンドルを握る。 下半身重視だから、特にフォームは気にしなくてもいいらしーけど、やっぱ背筋は伸ばしてぇ。 慎重に漕ぎ出し、少しずつスピードを速めていくと、別の誰かに呼ばれたらしい。三橋が「はいっ」と返事して、くるっとオレに背を向けた。 ランニング30分、エアロバイク45分をこなし、しばらくベンチで一休みした。フロア全体をぼうっと眺めながら、手持ちのスポーツドリンクをゴクゴク飲む。 何度か三橋と目が合ったけど、そのたびに「三橋くーん」とか「すみませーん」とかの声に呼ばれ、アイコンタクトすらままならねぇ。 相変わらず人気あるなと思う。 前みてーにオレにだけツンツンすることは減って来たけど、オレにだけ甘いって感じでもなかった。 見てる内に、さっきのチョコを三橋がどうしたかも分かった。受付に預けてた。 ベンチに座って10分も経ってねーけど、その間に三橋は3つくらい義理チョコを貰った。そのたびに受付に寄り、カウンターの中に預けてて成程な、と感心する。 食い意地張ってるだけに、食うモン貰うと嬉しいんだろうか? 白い顔に照れ笑い浮かべてんのを見せられるたび、モヤモヤが再燃して困った。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |