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Season企画小説
我がままの言える日・前編 (2011榛名誕・切ない)
 得意先から指定されたのは、球場から程近い居酒屋だった。
 そこには、試合の終わった選手たちが顔を覗かせたりするんだそうで、どうもそれが目当てらしい。
 道理で夜9時なんて、接待にしては遅い時間に集合だと思った。
 のれんをくぐると、意外に広い店内で、ちょっと戸惑う。
 店の真ん中から、カウンター席が奥まで続いていて、店内を左右に分けている。右側にはテーブル席がたくさんあって、左側には座敷がずらっと並んでる。

 その座敷のすぐ手前のところに、相手先の社員が3人、向かい合って座っていた。
「阿部君、こっち」
 すっかり顔馴染みの商談相手は、接待される側でありながら、すでにささやかに始めていたらしい。
 空になった定食らしき盆と、中ジョッキ。それがきっちり3人分あって、苦笑する。

「オレ達、会社から直行だから」
 というと、もう2時間以上もここにいたのだろうか? 2時間も……ああ、野球中継を見ていたのか。
 カウンターの上だけじゃなく、広い座敷席の両端の壁に大画面TVが置かれてる。
 画面には、見覚えのある白い顔が映っていた。
 オレは一瞬顔をゆがめ、TVを見ないようにうつむいた。

「阿部君は、ホント野球、興味ないんだねー」
 オレにメニューを差し出して、先方社員の一人が言った。
「はあ、いえ」
 興味がないんじゃない。勿論。
 ただ、辛くて直視できないだけだ。
 高校時代にバッテリーを組み、それからずっと恋人だった、さっきの白い顔の投手……三橋廉を、傷つけて捨てたのは、オレ自身だから。


 三橋は高3のときドラフト下位で指名されて、関東の球団に入った。
 背はぐんぐん伸びたけど、体質のせいか、なかなか筋肉がつかなかった。
 だからかな、成績も評価も伸び悩んだ。
 ずっとファームで投げる日が続いて、でも、それでも投げられればいいんだ、と三橋は笑っていた。
 ただ明日の投球の為にと、無心にストイックに練習を続けてた。

 泣き言も愚痴も、聞いたことがなかった。
「投げるのが、好きだ」
「阿部君が好き、だ」
 三橋の口から聞くのは、いつもそういうことばかりで……くすぶっていても、輝いていた。

 だから、見ていられなくなった。
 眩しくて、目を逸らしたくなった。

 別れを切り出した直後、三橋の笑顔がすーっと消えた。無表情の表情があるなんて、その時まで知らなかった。
 色の薄い長い睫毛がゆっくりと閉じられ、涙が静かに頬を流れた。
 理由も訊かれなかった。
 責められもしなかった。
 ただ一言、「ごめん」と三橋が謝った。

 オレがダメだから。ごめんなさい、と……。


 久々に聞いた、ネガティブな言葉。
 必死に強がっていたんだと、どうして気付いてやれなかったのか。
 でも……後悔しても、遅かった。


 あれから5年の月日が経って。
 三橋は、もうすっかり1軍に定着し、先発投手に名を連ねている。
 オレがいなくても、あいつはちゃんと自己管理できるし、ちゃんと前向きに努力できる。
 頑張ってるあいつが好きだ。今でも。
 だけど、その姿を直視できねぇ。

 オレと別れてから、めきめき頭角を現したあいつの……一人で立つあいつの……変てこな笑顔を、見たくなかった。



 小1時間程で商談を終えて、後は何となく、そのまま飲み会になった。
 プロ野球交流戦は、三橋のチームの勝ちだったようだ。結果がどうとか、勝利投手が誰とか、聞きたくなくても耳に入って辛かった。
「野球、嫌いなのかー、阿部君は。面白いぞー?」
 得意先の部長が語る。
 野球の楽しさなんて、わざわざ語られなくても分かってるし、聞きたくない。

 早く、試合帰りの選手か誰か、有名人が来てくれりゃいいのに。
 そしたら部長の興味も逸れて、「じゃあ」って帰ることもできるのに……。

 そんなことを、強く願ったからだろうか。
 のれんをくぐって、大スターが現れたもんだから、さすがのオレも驚いた。
「榛名だ!」
「うぉー、榛名!」
「いらっしゃいませー! どうぞ奥へー!」
 店中がどわっと盛り上がる。
 スターってのは、どこに行ってもスターだよな。こんな奴と、昔バッテリー組んでたとか、誰に言っても信じねぇだろう。
 そういや、今日が、誕生日じゃなかったか………?

 苦笑しながら眺めていると、目が合った。

「あ、隆也だ」
 榛名が、大声で言った。
「隆也がいるぞ、廉!」

 榛名に肩をぐいっと抱かれて――今日の勝利投手が、顔を出した。

(続く)

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