Season企画小説
憧れからの卒業・2
先輩からメールが来たのは、夜7時、晩メシを食べ終わった後だった。
――今から、うちに来れませんか?――
来た、と思った。
緊張に胸が詰まる。
即行で「行きます」つって返事して、親に言ってから家を出る。
わざわざ会ってくれるってのは、期待してもいいんだろうか? いや逆に、律儀なあの人のことだから、断るのも直接、と思ってっかも知んねぇ。
つーか、だって、男同士だし。普通は断るだろ。つかむしろ、困るだろ。
でも少なくとも、「迷惑だ」なんて突き放されたりはしねーと思う。三橋先輩は優しいからな。
先輩がモテんのは知ってた。
甲子園行って以来、注目されて。呼び出されて告白されんのもしょっちゅうだったらしい。
それを全部、断ってたのも知ってた。
真っ赤な顔で、照れながら「ありがとう、ごめん、ね」って。そう断るんだって、誰かから聞いた。
バレンタインはどうだったんだろう? その頃はすでに自由登校だったし、推薦で合格を決めた先輩は、もう学校に来てなかったから、よく分かんねぇ。
よく分かんねぇから余計に不安で。
このまま会えねぇまま卒業しちまうのかな、とか、誰かのものになっちまうのかな、とか、考えたらもう黙っていらんなくなっちまった。
監督とマネージャーからのチョコ、1年マネージャーが下心見え見えで「おうちまで届けに行きますぅ」とか言ってんの、聞いちまったせいもあるかも知んねぇ。
「オレが行く!」
チョコを強引に奪い取り、マネージャーを黙らせたのは、今考えても大人げなかった。でも女から告白されんの、見過ごすのはイヤだった。
だって多分、オレの方が好きだし。
告白するつもりなんか、ずっとなかったけど。隣に立てるだけでよかったけど。卒業になったらもう、それもできねーし。だから。
預かって来たチョコと一緒に渡したんだ。コンビニで買ったチョコ。
「これは、オレからです」
「うえ?」
先輩はそれを見て、不思議そうに首をかしげた。
そりゃそうだ、だってオレが用意したの、受験応援チョコだったし。先輩がとうに合格決めてたの、直に報告貰って知ってたし。
だから言った。ハッキリ。
「バレンタインですよ、先輩」
って。
「好きです」
って。
先輩は、じわっと顔を赤らめた。
急に怖くなったのは、誰かから聞いた、先輩の断り方を思い出したからだ。――赤い顔で、照れながら。「ありがとう、ごめんね」って言うんだって。
先輩が口を開くより先に、オレは大声で言った。
「返事は! 急ぎませんから!」
それから、自転車に飛び乗って逃げた。
全力で必死こいて漕いで、漕いで、うちの近くまで来てから、ようやく後ろを振り向いたけど……先輩は追い掛けては来なかった。
今思い出しても、恥ずかしい告白だ。ガキっぽくて、余裕がなくて。
けど、オレはオレなりに、真剣だった。
呼び鈴を押すと、しばらくしてガラッと玄関の引き戸が開いた。
「久し、振りー」
先輩がオレを見て、にへっと笑った。
入って、と促され、ためらいながら靴を脱ぐ。
「お邪魔します……」
広い家の中は、不自然なくらいしーんとしてた。いつもなら「あら、いらっしゃい」つって出迎えてくれる、先輩のお母さんの姿もねぇ。
「先に上がって、て」
オレにそう言って奥に入ってく先輩の髪から、一瞬、甘いニオイがふわっとした。
風呂上がり、かな?
ドキッとして、カーッと体が熱くなる。
けど、そうして浮かれかけた気分は、先輩の部屋に1歩入った瞬間、一気に冷めた。
部屋はガランとして整ってた。
あれほど乱雑に積み上がってた机の上も、散らかってたベッド周りも、何もねぇ。
ボール1つすら転がってねぇ部屋の隅に、明日着るんだろうか、スーツが1着掛かってる。
ああ、先輩はもうここに住んでねーんだな――。
実感して、呆然とした。
しばらくして階段を上がって来た先輩は、呆然と立ちっぱなしになってるオレを見て、不思議そうに笑った。
「す、座って」
そう言われても、テーブルも何もねぇとこには座りにくい。
仕方なくその場でドカッとあぐらをかくと、先輩もオレの目の前にぺたんと座って、ジュースの載った丸盆を床に置く。
シャンプーのニオイが、また香った。
ドキッとして、でもそれどころじゃなくて、居心地が悪ぃ。
沈黙に耐えられそうになくて、オレは先輩から目を逸らした。
「随分片付きましたね」
部屋をぐるっと見回しながらそう言うと、先輩がふひっと笑った。
「片付けた、んだ、阿部君、呼ぼうと思っ、て」
片付けた――?
え?
オレを、呼ぼうと――?
「……はあ?」
驚いて先輩を見ると、潤んだ瞳で見返された。顔が赤い。
ちょっと緩めのパーカーの襟から、キレイな形の鎖骨が見えてる。白い肌は、ちょっとピンクで。
七部丈のパンツからは、白い脚が覗いてて――。
「いや、その」
やばい。
「あの、今日」
何言ってっか、自分でもワカンネー。オレ、何しに今日ここに来たんだっけ?
なんで呼ばれたんだっけ?
「おばさん、いないんスね」
どうでもいい会話を振りながら、どぎまぎと先輩から目を逸らす。そしたら、「うん」って静かに言われた。
「今日、誰もいないん、だ」
って。
「阿部君、1ヶ月経った、けど。気持ち、変わってない、です、か?」
その先輩の言い方に、全身がカッと熱くなった。
(続く)
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