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Season企画小説
Hの襲来・6 (完結)
 阿部の姿が見えなくなってから、榛名がひひっと笑った。
「ようやく邪魔者がいなくなったな〜」
 邪魔者というのは阿部のことだろうか?
「ふえ?」
 三橋は驚きに変な声を漏らして、キョトンと首をかしげた。
 意味が分からなかった。邪魔者は自分の方だろうと、ずっと感じていたのに。
 いつ「お前、邪魔だから帰れ」と言われるだろうかと、内心びくびくしていたというのに。

 阿部よりも背の高い榛名の顔を見上げると、目が合った。意思の強そうな瞳が、まっすぐ三橋に向けられている。
 口元は笑みに緩んでいて、相変わらず機嫌が良さそうだ。
「昨日からのタカヤの警戒っぷり、おかしかったよなぁ?」
 榛名はまた同意を求めるように「なあ?」と言ったが、三橋はすぐには理解しきれず、オウム返しに呟いた。
「警、戒?」

 阿部が警戒していた?
 意外な言葉に驚いた反面、同時に三橋は納得もした。
 榛名が来てから、阿部は妙にピリピリしていた。それが警戒のせいだというなら……阿部は何に警戒したのだろう?
 榛名に?
 それとも、榛名に近付く三橋にだろうか?

 そう考えて思い出すのは、三橋に向けた幾つかの拒絶と、初めて見せたキツい眼差し。
 三橋が榛名と話そうとする度、余計なことは言うなとばかりに、たしなめられて睨まれた。
 ズキッと胸が痛む。
 自分の知らない過去が痛い。
 阿部を独り占めできない現実が痛い。

 三橋はコートの胸元を固く握った。
「阿部君、は、榛名さんのコト、大事なんです、ね」
 ぽつりと呟いてから、ハッと口元を押さえる。
 こんな嫉妬丸出しの愚痴、榛名に聞かせるべきじゃない。浅ましくて恥ずかしい。榛名も困惑するだろう。
 しかし、榛名は「はあ?」と驚いたように目を見開いて、それから大声でゲラゲラと笑った。
「ギャハハハハ、ないない。逆だって!」
 大きく力強い左手が伸ばされ、頭をガシガシと撫でられる。

「タカヤが大事でたまんねーのは、むしろお前じゃん?」

 むしろ……お前?
 その意味を理解する前に、ぐいっと背を押された。
 えっ、と思った時にはもう抱き締められていて、阿部よりも固く厚い胸元に囚われてしまう。
 反射的に身を退こうとしたが、がっちりと抱かれていて身動きもできない。
 頭1つ分低い、三橋の頭に顔をうずめるようにして、榛名はくっくっと喉を鳴らした。

 ふうっと耳元に息を吹きかけられ、三橋の全身がびくんと跳ねる。
 何が何だか分からなくて、何も考えられない。
 榛名は――阿部の大事な人ではなかったのか? 阿部に会いに来たのではなかったか? 榛名の目当ては阿部のハズだ。
 なのに、どうして三橋の耳元に「可愛いな、お前」なんて囁いてくるのだろう?
「オレ別にゲイじゃねーけど、お前なら勃つわ」
 とか。
「なあ、タカヤなんかやめて、オレんとこ来ねぇ? 贅沢させてやるぜ?」
 そう言われても、冗談なのか本気なのか、いや、そもそも本当に自分に向けて言われてるのかも、全く判断できなくて、三橋はその場でフリーズした。

 三橋の硬直に気付いたのだろうか、榛名が「んー?」と不思議そうに腕を緩め、顔を覗き込んで来た。
 勝気そうな、ひどく整った顔を寄せられて、ギョッと我に返る。
 何か言いたいのに言葉が出ない。
 三橋は榛名から数歩下がって、はくはくと口を開けた。
 榛名はというと、そんな三橋の慌てようを、おかしそうに見つめている。

「警戒すんなよー」
 と、明るく手招きされても、素直には応じられない。ニヤニヤ笑いがちょっと怖い。
 そういえば、昨日から榛名は三橋に対し、ずっとそんな笑みを向けていた。阿部に不釣合いだと笑われてるように思えて、居心地が悪かったのを覚えている。
「お前、ホントいい匂いすんだよなぁ。タカヤがベッド使わせねーハズだわ」
 くっくっと音を立てて笑いながら、榛名が言った。
 阿部が榛名を自分の部屋に押し込んでしまったのは、三橋に触れさせないためだった、と。三橋のベッドを榛名に使わせる訳がない、と。

「あいつ、昨日からウゼーくらいオレに貼り付きやがってよー。お前にちょっと近寄るだけで怒るし、喋っても怒るし。目が合っても割り込んでくるし! ゲイじゃねーっつーんだから、警戒しすぎだっつの。なあ?」 

 なあ、と振られてもうなずきようがなかった。再び手を伸ばして来られて、じりじりと後ずさる。
「朝メシだって、お前の手料理食わさねーつもりだったんだぜ? けど、年越しソバに大感謝だよな。大晦日狙って来て良かった」
 美味かったぞ、とまた褒められたけれど、喜んでいいのか、もうよく分からない。
 返答に困って黙っていると、肩に手を回された。呆れた手の早さだ。
 整った顔を寄せて来られ、思わず顔を背けると、耳元で囁かれる。
「なあ、タカヤ当分帰って来ねーだろうしさ、ココ寒ぃーし、ホテルで待ってようぜ?」

 ぐいぐいと背中を押され、三橋はギョッとして踏ん張った。けれど、そもそも体格がかなり違うから、強引に動かされていく。
 阿部から、「ここを動くな」と言われたばかりなのに。
 ホテル? どこのホテルだというのか?
 そう思って、ふとさっき見たNYの地図が脳裏に浮かんだ。ブロードウェイ沿いにつけられた、赤い丸印。あれがもしかしてホテルなのか?
 阿部を待つって、ホテルのロビーで?

「あ、あ、あ、あ、あ、の……」
 ぐいぐいと押されるままに歩かされながら、三橋はたどたどしく口を開いた。
 キョロキョロと周りを見回すが、阿部の姿はまだない。
 待っているように言われた場所から、徐々に遠ざかってしまう。
 やはり自分が行けばよかった。いや、そもそも栗の屋台のことなど、口に出さなければ良かった。後悔しても遅い。
 タイムズスクエアに少しずつ近付いて行く。丸印を打たれていた場所は、確かワン・カウントダウン・ビルを通り過ぎてやや向こうだ。

 阿部もあの地図を見ただろうか? ぐるぐる誤解して悩んでいたせいで、阿部の行動をまるで見ていなかった。
 待っていろと言われた場所に三橋達がいないのを見て、あのブロードウェイ沿いの場所がそうだと、すぐに気付いてくれるだろうか?

 タイムズスクエアが近付いてくる。色とりどりのネオンの中、ビルの屋上付近にある、日本企業のデジタル時計が見えて来た。
 その少し上に輝いているのは、1万個近くのLEDで彩られた、ニューイヤーボール。
 阿部と2人で眺めたかった光景を、榛名に連れられて歩いている。
 カウントダウン会場には相変わらず人があふれているが、そこにはちゃんと柵があって、通行できるようになっている。
 NY市警の警官に何やら通行証を見せ、榛名が日本語で「ホテル」と言った。すぐ間近のスピーカーから大音量で音楽が流れ、警官との会話も聞こえない。
 けれど、警官に面倒くさそうにうなずかれたから、一応会話は通じたのだろう。通行を許可される。
 阿部が遠ざかる。

 7番街と交差した後、さらに南へ伸びるブロードウェイの道を、三橋は榛名に手を引かれて歩いた。ワン・タイムズスクエア・ビルの前を通り過ぎて行く。
 振り返っても、阿部はいない。
 今何分だろう? カウントダウンまでどのくらいだろう?
 榛名の手を振り払って逃げようとしたが、手首を強くつかまれていて逃げられない。
 榛名が笑顔で何か言ったが、音楽がうるさくて聞き取れなかった。

 しかし――突然、その手が緩んだ。
 榛名と同じ通行証を片手に、メガネの日本人が現れて、榛名をベシッと殴ったのだ。
「イテーな、秋丸。何すんだ!?」
 榛名が怒鳴ったのが聞こえた。
 その名前には聞き覚えがあった。けれど、思い出している暇はない。チャンスだ! 三橋は榛名の手を力一杯振り払い、今来たばかりの道を戻った。
 入るときは揉めても、出るときはスルーで。さっきの警官も、誰も三橋を見咎めない。
「あ、おい!」
 榛名の声が後ろから聞こえたが、三橋はちらっとも振り返らなかった。
 もう心の中に、阿部しかいない。
 阿部に今すぐ会いたかった。

 と、突然頭上で花火が上がり、観客が奇声を上げた。
 ハッと見上げると、1分前からのカウントダウンが始まっている。56、55、54……と見る見るうちに減っていく数字。
「あ、阿部君……」
 三橋はタイムズスクエアの端でうろたえた。
 年越しの瞬間、世界一のカウントダウンの場所にいながら、その隣に阿部がいない。
 阿部は元の場所に戻っているだろうか? それとも赤丸の記憶を頼りに、ホテルに向かってる?
 阿部に会いたい。でも、どちらに行けばいいのか分からない。
 刻一刻と迫る時間。ニューイヤーボールが静かに降りる。20、19、18……電光掲示板が時を告げる。観客は熱狂し、音楽が鳴り響く。
 それに負けないように、三橋は大声で叫んだ。

「阿部君!」

 その声が聞こえたのだろうか?
「三橋!」
 名前を呼ばれ、直後、強い力で抱き締められた。
 10、9、8、7、……。100万の観客たちが、一斉に声を合わす中、三橋は恋人の腕の中で、彼の名前を涙声で呼んだ。
「阿部君……」

 返事はなかった。
 代わりにキスされる。目を閉じた三橋の頭上で、ブザーが鳴り響いて花火が上がった。
 ドッと降り注ぐ紙吹雪を痛いくらいに浴びながら、三橋は初めての恋人と、初めての年明けを迎えた。
 それは、ずっと夢に見ながらも諦めていた事だった。



 榛名が、秋丸と名乗るマネージャーに連れられて謝罪に来たのは、それから数日経ってからの事だ。
 どうやら彼らはかなり前からホテルに滞在していたらしく、スーツケースも仕込みだったらしい。
 アパルトマンの話は本当だそうだが、泊りに来たのは単に、阿部とそのパートナーに会いたかっただけだったようだ。
「二度と来んな!」
 振り回されて迷惑でしかなかった――と、阿部は栗の件もあって、大いに怒っていた。
 けれど、三橋は怒る気にはなれなかった。

 いたずらに抱き締められたり、連れ出されたりして冷や冷やしたし、ハラハラもしたけれど。榛名の強引な介入がなければ、あんな思い出深い年越しを迎えられなかった。
 その事だけはこっそりと、感謝していたのだから。

  (完)
※2013ハロウィン・Iの襲来 に続きます。

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