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小説 1−10
鬼子ども・6 (完結)
 廉に呼ばれて円座に座り、冷たい水を貰って飲んでいる間に、隆也という名の廉の保護者が帰って来た。
 あの道を往復してきたとすると随分速い到着だったが、梓にはよく分からなかった。ただ、「これだろ?」と渡された自分のカバンが無事で、教科書も無事で、ホッとした。
 廉のランドセルも、無事だったようだ。
 弁当は残念ながら食われてしまったが、それくらいは仕方ないだろう。
「熊はまだいましたか?」
 隆也に訊くと、どうやらとうに逃げた後だったらしい。
「いや、いなかったぜ」
 ニヤッと笑いながらそう言われて、よかったと思った。

「腹減っただろ? 廉も」
 男はそう言って、肉や野菜のたっぷり入った雑炊を作ってくれた。その匂いにつられてか、悠一郎も目を覚ました。
「熊! 熊は!?」
 叫びながら飛び起きて、小屋の中をぐるりと見回し、キョトンとする。直後、ぐーっと腹の鳴る音が響いて、おかしくてみんなで笑った。
 悠一郎も笑った。廉も……隆也も。
「熊はもういねーから、安心してメシ食いな」
 隆也が汁椀に雑炊をよそって、悠一郎に差し出した。
「おおっ、美味そう!」
 悠一郎は破顔して、汁椀を無邪気に受け取った。さっそくガツガツ食べ始めるのを見て、梓もガツガツと口に運ぶ。自分より小さい体をしているくせに、廉も負けじともりもり食べた。

 競うように雑炊を食べる3人の子供たちを、隆也は目を細めて穏やかに見つめていた。
 時折、廉が隆也を振り向いて、にへっと笑いかける。それに応えるように、隆也の大きな手のひらが廉の頭を優しく撫でる。
 言葉を交わさなくても分かり合える、そこには確かな愛情と信頼があって、ああ家族なんだなぁ、と梓は思った。
 雑炊の鍋を空にした後は、カゴに盛った山ブドウを出して貰った。
 甘いのも酸っぱいのもあって、1粒ごとに味が違うが、みんなで食べればそれも美味しい。隆也が畑仕事に出た後も、3人はそのまま食べ続けた。

 わいわい食べて満腹になると、少し眠くなって来た。
 最初に毛皮の上に寝転んだのは、悠一郎。
「なぁなぁ、これ、自分で獲った毛皮か?」
「うん、そうだ、よっ」
 無邪気にうなずく廉に、「すげー、すげー」と繰り返しながら、毛皮の上をゴロゴロと転がる。
 廉も同じように転がって、やがて2人はほぼ同時に眠ってしまった。
 梓はしばらく起きていたが、2人の寝息を聞いてるうちに、自分もたまらなく眠くなった。
「ちょっとだけ……」
 言い訳しながら、床に転がる。
 床からは木の匂いがして、山奥にいるというのにホッとする。こんな家に住むのもいいなぁ、と――それが、最後の記憶だった。


 次に目が覚めると、そこは自分の家だった。
「あれ……?」
 夢かと思い、首をかしげる。どこから夢なのか、何が夢なのか、判断つかなくて混乱した。
 自分は山に行ったハズだ。山奥に住む廉の家に、悠一郎と3人で出掛けたハズ。道の途中で熊に遭い……そして?
「廉?」
 仲間になったばかりの、新しい友達の名前を口にする。
 けれど、ここは山小屋ではなく、廉が返事をするハズもない。梓はぞっとして、不安になった。
「お母さん?」
 母を探して声を掛けると、土間の方から「ここよ」と返事がある。急いで向かうと、割烹着を着た母と妹たちの姿があって、現実のようだとホッとした。

「お兄ちゃん、ようやく起きたの? もうすぐ夕ご飯だよ」
 呆れたように笑われて、「分かってるよ」と力なくうなずく。母の言うとおり、土間からは飯の炊けるいい匂いが漂ってきた。
「なあ、オレ、どうやって帰ったの?」
 恐る恐る訊くと、どうやら村はずれの木の下で、悠一郎と2人して寝転がっていたらしい。
「もうお兄ちゃんなんだから、バカなとこで寝ないでよ」
 母の説教を「ええー?」と躱しながら、一生懸命記憶をたどる。けれど、どんなに頑張っても、廉の住む山奥の小屋で寝てしまったことしか思い出せなかった。
 寝ていた内に運ばれたのか、それとも忘れてしまったのか、梓には分からない。
 鬼が自分たちを抱え、谷をひと飛びで越えたのだと、梓が知る由もない。自分がどんなルートで、どうやって、村はずれまで運ばれたのか、それも梓には分からなかった。

「そういえば、百枝先生、盲腸で入院だって」
 夕飯の席で、そう教えてくれたのは母親だった。母には母の情報網があるらしい。
 盲腸がどんな病気なのか、10歳の梓は知らなかった。ただ、無事だったと聞いて、ホッとした。
「しばらくは、町の本校の校長先生が、代わりに授業をしてくださるそうよ」
「へぇー」
 ご飯を口に運びながら、適当な返事を繰り返す。怖い先生でなければいい、と、梓が思うのはその程度だ。
 女教師の容体は大いに気になるが、臨時教師については、どう考えていいか分からない。

 山村の分校、たった9人しかいなかった教室に、新しい仲間が加わってから1ヶ月。
「夢……じゃねーよな?」
 山中にひっそりと建つ山小屋、そこで食べた具だくさんの雑炊の味も、甘酸っぱいブドウの味も、何もかも覚えてる。
 肩掛けカバンを見ても、おかしいところは何もなかった。教科書も筆記具も全部揃っている。
 3人で歩いた山道、朽ちかけた橋、濃密な森の匂い、そして突然現れた熊。熊より恐ろしい「何か」の気配と、廉とその保護者との静かな暮らし……。
 あんな濃い出来事が、全部夢なんてこと、ある訳がない。
 そう思いつつもドキドキが止まらなくて、布団に入ってからも、何だか眠れそうになかった。

 だから翌朝、分校の校門前で、黒い服の男と一緒に歩いて来た少年を見て、梓がホッとしたのは言うまでもないことだ。
「廉、おはよう!」
 梓が駆け寄ると、廉が嬉しそうにはにかんだ。
「おは、よう」
「おはよう、昨日は無事に帰れたか?」
 廉の保護者が目の前にしゃがみ、梓と目線を合わせて訊いた。「はい」とうなずけば、大きな手のひらで頭をわしわしと撫でられる。
「仲良くな」
 そう言い残し、立ち上がった隆也を廉と一緒になって見上げた。昨日は鬼と見間違えた相手だったが、2人を見下ろす目はひどく優しい。
 もう怖いとは思えなかった。

   (終)
鬼渡し に続く

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あきゅろす。
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