小説 1−9
桜が咲けば恋も咲く・1 (作業員阿部×社会人三橋・雷鳴ればの続編)
※この話は「雷鳴れば恋が生まれる」の続編になります。
すっかり春らしくなった4月の初めの土曜日の昼、天気が良かったので、買い物の帰りにちょっとだけ遠回りした。
土手の桜並木が、そろそろ満開だなって思ったんだ。
毎年この時期になると、土手はお花見客でいっぱいになる。でっかい敷物しいて、お弁当開いて、みんなすごく楽しそうだ。
そういえば社会人になってから、1回もお花見ってやってない。
大学の時はみんなでお酒持ち寄って、毎年花見に行ったもんだった。OBさんも集まって、うわーっと騒いで飲み食いして、楽しかったなぁと思う。
仕事仲間とはやっぱり、なかなかそういう話にはならないし。なんだか物足りないなぁと思った。
土手の桜は、今がちょうど満開だ。
来週になるとかなり散っちゃうだろうし、葉っぱも出て来ちゃうだろうから、今日と明日がお花見のピークかも。
そんなことをぼんやりと考えながら土手を歩き、桜並木を存分に眺めた。
お花見してないし、満喫したとは言い難いけど、ずらーっと並んだ薄紅色の並木道は、ほっこりするくらい壮観だった。
思ったより遠回りしちゃったみたいで、土手を降りると知らない通りだったけど、何となく方向は分かるし、適当に歩いてれば着くだろう。
買い物袋をぶら下げて、見知らぬ通りをてくてく歩く。
ほんの近所のハズなのに、道を何本か外れると、景色も全く違うんだ、な。
小さな喫茶店を見付けたり、クリーニング屋さんを見付けたり。小さな発見を楽しみつつ、キョロキョロしながら歩いてると、前方にまた何かの看板が見えた。
「阿部メンテナンス」って――これは事務所かな? 会社かな? なんか聞き覚えあるんだけど、何だったっけ? 土日もやってるとこなのかな?
前を通りながらちらっと見ると、自動ドアがガーッと開いて、中から誰か出て来たから、ドキッとした。
パッと顔を背けて、さっさと立ち去ろうとしたオレに、「あれっ」って声が掛けられる。
「あんた……えーと、三橋さん?」
名前を呼ばれて、またドキッとした。「は、い」とうなずきながら足を止め、声の主の方に目を向ける。
ネイビージーンズに黒のパーカーっていう、すっごくラフな格好だ。
短く刈られた黒い髪、ちょっと垂れ目の整った顔立ち。目の前に立たれて、ようやくその人が誰だったか思い出した。
「う、あ……っ」
ガス屋さん、だ。
ほんの2ヶ月ほど前、うちのガス給湯器が壊れた時、修理・交換を担当してくれたガス屋さん。
『西浦ガスです』って名乗ってはいたけど、最初スーツ、次に作業服で現れたガス屋さんの、作業服の胸元には、「阿部メンテナンス」の刺しゅうの縫い取りがあったっけ。
確か貰った名刺に書かれてた名前も、会社と同じ阿部さんだった。
スーツも作業服も格好良かったけど、私服も格好いい。
惚れ惚れしながら頭を下げて、「こんにち、は」と挨拶を返すと、彼の方もちゃんと覚えててくれたみたい。
「ガスの調子、どうっスか?」
世間話みたいな口調で、にこやかに訊いてくれた。
「ご覧の通りご近所なんでね、何かあったらすぐに電話してください」
格好いい顔でにっこりと言われると、お客様サービスだって分かってても嬉しい。
「ホ、ントに近所なん、ですね」
そう言えば、電話してすぐに来てくれたから、掃除する暇もなかったんだっけ。あのフットワークの軽さは、そうか、この距離だったからなんだ、な。
「きょ、今日もお仕事、です、か?」
自動ドアの方をちらっと見ながら訊いてみると、阿部さんは一旦否定した後、同じく会社の方に目を向けて、「ああ……」って納得したように声を漏らした。
「いや、ここ、裏が自宅になってんスよ。ほら」
ほら、と言いながら駐車場の向こうを指差され、つられるままに目を向けると、確かに彼の言う通り、民家の裏に事務所がくっ付いてるみたいな構造だ。
駐車場のフェンスを挟んだ向こう側は、ご自宅の裏庭みたいで、キレイに整備された花壇が見える。
あ、チューリップ、だ。
ぼんやりとそう思ってると、「寄ってきます?」って言われてビックリした。
「うち、オールガスですよ」
って。それって、電気を一切使わない住宅、のこと? じゃあ電化製品はどうやって動くんだろう?
「オールガス、省エネだし面白ぇぜ」
そう言う阿部さんは、いい笑顔だ。
これってセールストーク? モデルルームのご案内?
正直興味はあったけど、でも、だからっていきなり寄ってくとか有り得ない。それにうちは借家だし、勝手にオールガスとか、ムリ、だし。
「い、き、今日はいい、です」
ぶんぶんと両手を振って断ると、冗談だったみたいで「ははっ」と快活に笑われた。
じわーっと赤面してると、今度は逆に言われたんだ。
「じゃあ、あんたんちに点検に行ってもいーっスか?」
点検、って。それも冗談? それとも本気? 心臓がきゅうっと痛くなったのは、どういう心境のせいだろう?
「い、いいです、よっ!」
オレは思わずそう言って、ちらっと阿部さんの顔を見た。
「へ、部屋も、今日は片付いてます、し。あ、洗い物だって……」
オレの言葉を聞いて、工事の時の部屋の惨状を思い出したのかな? 阿部さんが「ぶはっ」と吹き出した。
くっくっく、と楽しそうに笑われて、ますます顔が熱くなる。
「ホント? もうパンツ落ちてねーか?」
「ぱっ……」
パンツなんて、前の時だって落ちてない。それとも……落ちてたの、かな?
ドキドキしながら格好いい顔を見返すと、前の時と同様、頭をふわっと撫でられた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ニヤッと笑いながら囁かれ、こくりとうなずきながら買い物袋を握り締める。
思いがけない再会に、気分がどんどん上向いた。
(続く)
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