小説 1−9
雷鳴れば恋が生まれる・前編 (作業員阿部×社会人三橋)
きっかけは、先月の雷だったかも知れない。給湯機が壊れた。
パソコンは過電流対策のテーブルタップ使ってるから大丈夫だったんだけど、電子レンジは設定がリセットされてるし、TVの時刻表示もリセットされてたから、きっとかなりの過電流だったんだと思う。
チカッと窓の外が光ったと同時に、部屋の明かりも一瞬暗くなって、直後、ドーンと轟音が響き渡った。
雷で怯える程子供じゃないけど、ファックスとか電子レンジとかその他もろもろが一斉にピーッて鳴った時は、さすがにビビった。
もっとビビったのは、給湯器だ。
『電源電源電源電源ボタンを押し、給湯給湯給湯給湯温度を設定してください。電源電源電源電源ボタンを押し、給湯給湯給湯給湯温度を設定してください……』
って。
ガーガーピーピーと怪しい音を立てながら機械音声が言い出して、ホントに焦った。
電源ボタンを押してもオフにならないし、長押ししてもリセットにならないし。結局、お風呂の方じゃなくて、台所側のパネルにリセットボタンがあったんだけど、普段聴き慣れた音声だけに、調子が狂った時の違和感はハンパなかった。
リセットボタンで、あの不気味な『電源電源電源……』っていうのはなくなったんだけど、その後がまたエラーの連続だった。
お風呂を入れようとしたらエラーになるし、食器を洗おうとしてもエラーになる。
洗面所のシングルレバーの混合栓から水を出しただけでエラー音が響いた時は、さすがにちょっとドキッとした。
最初は2回に1回ぐらいの割合だったエラーが、3回に2回になり、4回に4回になり、ついには100%になっちゃったのが昨日。何度やってもお湯が出ないし、お風呂にも入れないし、途方に暮れた。
唯一ラッキーだったのは、それが金曜だったこと。
土日だから不動産屋さんへの連絡も、仕事のこと気にしなくていいし。土日の間に修理もきっと終わる、よね。
「すみません、給湯器が壊れたみたい、で」
さっそく土曜の朝に不動産屋さんに電話をすると、すぐにガス屋さんが来てくれることになった。
フットワーク軽いなぁと思ったけど、よく考えたら給湯器の修理、うちの中に入る、よね?
「うお、やばい……」
ぐるっと部屋の中を見回して、今更ながらに焦った。
昨日脱いだコートも、後でクリーニングに出すつもりだったスーツも、後で洗濯機に入れるつもりだったあれこれも、全部床の上だ。
ローテーブルの上は書類とノートパソコンでいっぱいだし、テーブルの下にはさらに書類や雑誌が積んでるし。
昨日飲んだビールの空き缶や一昨日飲んたコーヒーの空き缶やその前に飲んだコーラの空き缶や、もっと前の空き缶・空きビンも転がってる。
慌てて足元のレジ袋を拾い上げたけど、部屋のゴミ箱は満杯だった。どうしよう?
お、お風呂掃除もしてないんだけど、どうしよう?
拾い上げたレジ袋を握り締めたまま途方に暮れてると、ピンポーンと呼び鈴が鳴ってドキッとした。
えっ、まさかガス屋さんじゃないよね?
だってさっき不動産屋さんに電話したばっかだよ?
「はい……」
恐る恐るインターホンに応じると、『ちわーっ、西浦ガスでーす』って声がした。
『は、い……』
予想外の素早さに焦りながら、取り敢えず衣類だけはまとめてベッドに放り投げた。上から布団を被せちゃえば、見かけ上は普通だ、よね。
「散らかってます、けど……」
精一杯の牽制をしつつ、玄関扉を大きく開けると、ガス屋さんは足元を見て一瞬固まってから、靴を脱いだ。
紺のスーツをビシッと着こなした、同い年ぐらいのお兄さんだ。
なんで一瞬固まったのかと思ったら、うわ、靴もオレ、いっぱい出しっぱなしだ、な。
通勤用の革靴も、普段用のスニーカーも、つっかけも、それから夏に履いてたクロッグス……。何人で住んでるのって感じだけど、残念ながら1人暮らしだ。
「えーと、給湯機の不調ですよね」
キョロッと部屋の中を見回すガス屋さん。
お風呂は掃除できてないから、比較的キレイにしてるつもりの台所を指差して、「こっちです」と誘導する。
これも混合栓のシングルレバーを思いっ切り赤に回して、どばどばとお湯を出して見せると、10秒もしない内に、いつものエラー音が鳴り響いた。
『運転を停止しました』
続く機械音声。
ガス屋さんは「あー……」と唸りながらパネルを見て、「166か……」って呟いてる。
そういえば、そういう数字がたまに出てたなぁって、ぼうっと考えながら見守るしかない。
台所回りはゴキブリも怖いし、比較的キレイにしてたつもりだったけど、昨日はお湯が出なかったから、洗ってない食器がごちゃっと置きっぱなしだった。
うわー、と思ったけど、もう仕方ない。お風呂まで見るって言わないよね?
ピッ、と電源を入れ直し、再びお湯を出すガス屋さん。
再び鳴り響くエラー音の後、パネルを見たガス屋さんは、「122!?」ってビックリしたように声を上げ、ポケットからケータイを取り出した。
「最初166、もっかいやり直したら122……マジだって……おー」
誰かと電話越しに話しながら、ガス屋さんはもっかい電源を入れ直し、また台所のお湯をどばどばと出した。
ピりピリピリピリピリー。間もなく響くエラー音。
『運転を停止しました』
無常な機械音声を聞き流しながら、ガス屋さんがパネルを覗き込む。
「あー、今度も122。ダメだな……うーい」
そんな通話の後、ケータイを再びポケットに入れたガス屋さんは、パネルから目を離し、オレの方に向き直った。
「いつからっスか?」
ぼうっとしてたから、いきなりの質問にちょっと焦った。
「ふえっ? えっ、えっと……か、雷、から」
思いつくまま答えると、ガス屋さんは「はあ?」って、くっきり濃い眉をきゅっとしかめた。
「あ、え、えと、1ヶ月くらい前、から、です。あの、雷で停電になって、から……」
しどろもどろに説明すると、「ふーん」って言われた。
「この給湯器、大分古いタイプなんスよ。ここ住んで何年スか?」
「えっ、えっと、3……4年?」
なんでそんなこと訊かれるのかと思ったら、更に訊かれた。
「自炊してんの?」
ちらっと洗い桶の中に目を向けられて、じわーっと顔が熱くなる。
「カノジョいないでしょ?」
その質問には、図星過ぎてとても答えられなかった。
この部屋の惨状、見れば分かる、よね。
「う、えと……」
ますます赤面してくのを自覚しながら、ギクシャクと視線を下向ける。
ふわっと頭を撫でられたのは、その時だった。
(続く)
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