小説 1−8 キミのいない空・9 朝に夕に練習を重ね、練習試合を重ねてる内に、春の選抜の大会が甲子園で始まった。 TVから聞こえる応援歌、わあっという歓声、アナウンサーのよどみない解説……やっぱり、甲子園は特別だ。 たまたま点けたTVで中継の映像を見かけると、夏、あそこに立つんだって誓ったことを思い出し、頑張ろうって思いが強くなる。 でも同時に、桃李から乗ったバスでのことも思い出して、ずんと心が沈むこともあった。 あと2年。一緒にやろうって阿部君と誓ったのが、随分昔のことみたいだ。 強くなるためには、見学に行った時に感じた、あの独特の熱気を忘れないようにしないと。そう思うのに、ちらちらと阿部君の影が脳裏に差して、落ち着かない。 じわっと浮かぶ涙を誤魔化すようにあくびをして、「寝る」と言い残し、居間を出る。 「はーい、おやすみ」 何も知らないお母さんの声を聞きながら、トントンと階段を昇った。 寝る前にケータイを確認し、誰かからの着信がないかチェックする。一番連絡が多いのは、やっぱ田島君だ。それから、泉君と花井君。 ……阿部君からの着信は、あれから1度もない。 野球部には入らないのか、辞めるつもりなのか、気になって仕方なかったけど、結局メールで訊く勇気はないままだった。 修ちゃんとは相変わらず時々メールしてるけど、暗黙の了解みたいに、阿部君のことには一切触れなくなっちゃった。 終業式の日についてとか、球種が増えたぞとか、選抜大会のこととか……いつも互いに、他愛もないことばっかだ。でも、それでもういいような気がした。 修ちゃんを巻き込んで、心配させるつもりはない。 西浦のみんなの口からも、もうあんま、阿部君の名前は出ない。寂しいけど、仕方ないのかも知れなかった。 翌日は、また練習試合だった。 午前と午後に分かれ、田島君と花井君とが交互に捕手をやり、オレと沖君とが投手をやる予定だ。 新入生が入るまでは、人数ギリギリで結構厳しい。 そういう面では、早くいっぱい入って欲しいなって思うけど、半分、うまくやっていけるのかな、とも思う。 オレは中学の時、後輩ともうまくは付き合っていけなかったから、尚更不安だった。 「あー、やっぱり新入生と、ポジション争ったりすんのかなぁ」 珍しく不安そうに言うのは、西広君だ。 阿部君がいない今、レフトは西広君で固定になって、彼なりに色々思うこともあるみたい。バッティングも、人一倍頑張ってるの知ってた。 「譲りたくないよね」 沖君や水谷君も深刻そうにうなずいてて、そういうの聞かされると、やっぱりどうしても胸の中に黒い染みができる。 どんなスゴイ後輩が来たって、オレはオレでやれることをやるだけだ。そうは思うけど、でも、もう阿部君はいなくて――。 『お前はいい投手だよ』 1年前に貰った言葉を繰り返し思い出しながら、前を向くしかできなかった。 こっちの中学の卒業式って、いつなんだろう? 15日にあった合格発表を過ぎてから、日々見学者は増えて来てる。 練習着持参で、基礎練に参加してった子もいるし、フェンスの向こうでじっと見てる子もいるし、色々だ。その見学だって、10分で帰る子もいれば、1時間以上見てる子もいる。 見学者がいると、気分がぐんと引き締まるから不思議だ。 格好悪いトコ、見せたくない。 「練習試合も、できれば見て貰った方がいいね」 モモカンが考えるように言ったけど、うちのグラウンドじゃ狭すぎて試合できない、し。見学者で各自、試合会場に来て貰うしかないみたいだった。 今日の練習試合の会場は、市内でそう遠くない。練習着に着替えて、柔軟を済ませ、会場までランニングしながら行くことになった。 「おう、行くぞ!」 花井君の合図で、裏グラを出て2列に並ぶ。 と、先に外に出た花井君が、「あれ?」と声を上げた。 フェンスの出入り口の外側に向けて、いつの間にか、見慣れないホワイトボードが下がってる。 「何だ、これ?」 フェンスをくぐって振り向くと、そのボードには「野球部・本日練習試合」って文字の下に、場所と時間が書かれてた。 新入生の為の、案内板みたい。モモカンか、篠岡さんが作ったのかな? じゃあ、後から見学に来た人も、試合会場に来れるかな? 「すげー、用意いいなぁ」 みんなで感心しながら、合図とともに走り出す。 少しずつ、周りが変わってく。 2年目の春が、もうすぐそこに近付いてると思った。 試合は3回まで、0対0で進んだ。 オレだってそうそう打たれないけど、相手校も手ごわい。ヒットは出るけど、なかなか後に続けなくて、得点に結びつけなかった。 「4かーい、しまっていこーっ」 田島君の大声に、みんなの方を向いて「おー」と声を上げる。 1球目は外角低めカーブ、こくんとうなずいて、振りかぶる。冬の間、阿部君抜きで取り組んだフォームで、体重移動、左足を踏みしめて投げる。空振り。 2球目は同じく外角、高めにまっすぐ。こくんとうなずいて振りかぶり、左足を上げて踏みしめる。 ぶんっとしならせた腕から放ったボールは、田島君のミットにスパーンと届いて――。 と、その時だった。田島君の後ろ、審判の更に後ろのフェンスの向こうに、何人かの見学者がちらりと見えた。 ドキッとしたのは、その中の1人に見覚えがあったからだ。 阿部君!? まさか!? よく似た人の見間違い? 気になったけど、でも、試合中だし。集中力を切らす訳にいかない。 「タイム」 審判に申し出て、スパイクの紐を結び直すフリで落ち着きを取り戻す。 「三橋、どうした?」 田島君が、カチャカチャと防具を鳴らしながら、マウンドに近付き、不思議そうに言った。 その声に勇気を貰って顔を上げると――思った通りの阿部君が、フェンスの向こうに立っていた。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |