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小説 1−8
キミのいない空・5
 家に帰って、阿部君から渡されたノートを開くと、今更のようにキスの衝撃に襲われた。
『好きだ』
 囁き声が耳元にまだ残ってるような気がして、ぼわーっと顔が熱くなる。
 好き、って。キス、って。そういう意味? なんでオレに? いつから?
 自慢じゃないけど、親以外からそんな風に、誰かに「好き」なんて言われたことなかった。
 初めての相手が男同士で、しかもチームメイトだと思ってた阿部君だなんて。予想外過ぎて、頭がついて行かなくて混乱する。
 イヤじゃなかったけど、そういう問題じゃなくて――。
 阿部君、明日にはもう群馬に行っちゃうのに。なんで今、告白? それとも、行っちゃうからこそ、言う気になった? それとも、全部冗談、とか……?

 机に突っ伏したり、顔を覆ったり。気持ちの整理がつかなくてぐるぐるしながら、青いノートをぱらっとめくる。
 そしたら、中に挟まれてた紙切れが、ひらっと1枚床に落ちた。
 あっ、と思って拾い上げると、メモ用紙みたいだ。阿部君の字で「読んだら廃棄」って大きな文字で書かれてる。
 何だろうって思ったら、そこにはまた「好きだった」って告白の言葉が書かれてて――。
――返事はいらねぇ。ただ、せめてこの想いだけでも、お前に知っといて欲しかった――
 そんな短いメッセージを読んだ瞬間、ぎゅっと胸が苦しくなった。
 返事はいらない、って。この想いだけでも、って。最初から諦めてるっぽくて、阿部君らしくないないように思えて、よく分かんないけどモヤモヤした。
 溜まってた想いを吐き出して、全部残らずここに置いて、次に進んで行こうってしてるみたい?
 群馬に引っ越したってまた会えるし、関東大会や甲子園で対戦もあり得る。一生の別れって訳じゃない。修ちゃんとしてるみたいに、電話やメールだってできる。
 なのに、なんで返事がいらない、の?

 でも逆に、「すぐに返事くれ」って言われても困るし――どうして欲しいのか、どうしたいのか、自分でも分かんなくて複雑、だ。
 嫌われた訳じゃなさそうなのは、よかったけど……。
「阿部君……」
 メモを見て、ノートを見て、またメモに視線を落とす。
 できればもっかいちゃんと会って、じっくり話が聞きたかった。


 阿部君のノート通りに基礎練習を繰り返し、やがて冬休みが来て、クリスマスが終わった。
 12月30日まで練習があったけど、さすがに大晦日と三が日は休みだって。
「食べ過ぎに気を付けて。風邪ひかないようにね。次の練習は1月4日。元気でここに集合しましょう!」
 モモカンの注意に、みんな「はい!」と大声を出した。
 年末年始って、何となくワクワクするけど、練習がないのは物足りない。
 みんなで初詣に行こうって計画もあったけど、オレは「群馬に行くから」って断った。
「おー、阿部によろしくな」
 花井君に声を掛けられて、「うん」とうなずく。花井君には、例の自転車置き場の頃から、ずっと心配かけっぱなしだ。
 あのノートを見せて、1番喜んでくれたのも花井君だった。「よかったな」って。

「ちゃんと話せたか?」
 阿部君と会った翌日、さり気に訊かれたけど、それにも「うん……」ってうなずくしかなかった。
 好きって言われたり、キスされたりってのは勿論だけど、それ以外も……何となく、誰にも教えたくなかった。
 修ちゃんと簡単にできるメールが、阿部君とはできなくなった。
 でも、夏大の時に修ちゃんからメール貰うまで、やっぱり同じくメールしにくかったし。仕方ないのかも知れない。
 返事も求められてないのに、何をメールすればいいのか分かんなかった。

 大晦日、さっそくお母さんの車で群馬に向かった。
 滞在期間は、3日まで。じーちゃんからは「冬休み中いろ」って言われたけど、野球部の練習があるからって断った。
「それより、三星の見学、行って、いい?」
 下心満々で訊くと、お見通しみたいで「いいぞ」って苦笑された。
「公立高なんかより、よっぽど充実しとるだろう」
 自慢げに言われて、素直にうなずく。夏に関西の遠征で見た、桃李のトレーニングルームもスゴかった。
 西浦みたいに、何もない中で工夫してするトレーニングも、楽しいしいいんだけど。でも、設備の整ってるトコみると、やっぱりいいなぁって思う。

 阿部君は、三星の設備見て、どう思ったかな?
「お前も、気に入ったらいつ戻ってもいいんだぞ」
 って。戻る気は勿論ないんだけど、でも、拒絶されるよりは嬉しい。ゴールデンウィークの時、修ちゃんや畠君に言われた時も嬉しかった。
 あのとき、三星への未練をバッサリ断ち切ってくれたのは阿部君だった。その阿部君が今、逆に三星にいるなんて。考えてみたら不思議な話だ。
 阿部君に会いたい。
 阿部君は、高等部の寮にいるハズだ。会いたいなぁって思うと、じりじりする。
 会いに来たって言ったら、迷惑かな? 帰省のついでだって言えば、許してくれる? ちょっとは話、できるかな?
 オレの球、1球くらいなら、また受けて貰えない、かな?

 リュックの中にそっとグローブを忍ばせて、三星に向かうべく靴を履く。
「行ってき、ます」
 玄関で声をかけると、じーちゃんが出てきた。何かと思ったら、三星の敷地内に入ってもいい、って。
「守衛に連絡しておくから。名前を書いて、通して貰え」
「うん、ありがとう!」
 素直に礼を言うと、ちょっと驚いたみたいに、「成長したな」ってまた言われた。自分じゃよく分かんないけど、もしそうなら、やっぱり阿部君のお陰だと思う。
『阿部君、ありがとう』
 何度も伝えた感謝の言葉に、阿部君が「おー」って言いながらそっぽ向く。照れたような横顔が目に浮かんだ。

 埼玉の家より数倍長いエントランスを抜け、大きな屋根付きの門をくぐると、家の前に修ちゃんがいた。
 三星で投手をやってる修ちゃんは、じーちゃんちのお向かいに住む幼馴染だ。何度もメールしたし電話もしたけど、会うのはゴールデンウィーク以来になる。
「よお、廉。お帰り」
 お帰り、って。屈託なく話しかけられて、じわっと胸が熱くなる。
「阿部に会いに来たのか?」
 ズバッと訊かれて、今度は顔が熱くなった。

「うん、あ、阿部君、元気、かな?」
 にへっと笑いながら訊くと、修ちゃんは――。
「さあな」
 と、短く言って、オレの肩をポンと叩いた。

 そして教えてくれたんだ。阿部君が、野球部に入部届けを出してない、って。

(続く)

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