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小説 1−8
異物トラブル・前編 (社会人・同棲)
 家を出る直前にトイレを詰まらせちまったのは、シルバーウィークの2日目、日曜の朝のことだった。
 残念ながら休日出勤が入っちまって、定時通りに出なきゃいけねぇ。家を出る時間が迫ってた。
 敗因は、水を流す直前に、うっかり落としちまったライターだ。
 ブツと紙とだけなら多分、詰まんなかったと思うけど、やっぱ異物はダメだよな。同棲する恋人に、日頃から「トイレで煙草吸うな」ってさんざん言われてただけに、面目ねぇ。
 いや、勿論オレだって、煙草を流すのが厳禁だってのは分かってる。分かってるから、ちゃんと灰皿も置いて、1本たりとも流したことはねーよ。
 けど、ライターが落ちたのは不可抗力だろう?
 そりゃライターなんか持ち込んでんのが悪いって言われたらそれまでだけど。でも、ホント、ワザとじゃなかった。

「三橋、ゴメン、トイレ詰まった」
 ダイニングを覗いて、謝りながらビジネスバッグを引っ掴む。
 ここは男としてオレが何とかしてやりてーとこだけど、あいにくもう出勤時間だ。日曜はダイヤも違うし、ぼやぼやしてたら遅刻する。
 明日からの連休をゆっくり2人で過ごすためにも、今日は、ゴメン、行かねーと。
「ホント、ゴメン」
 両手を合わせて拝むように謝り、逃げるように玄関に向かう。
「……ふえっ!?」
 ようやく事態を飲み込んだらしい三橋が、時間差で驚きの声を上げたけど、構ってやってる暇はなかった。
 ドタドタという足音と共に、三橋が玄関に顔を出す。

「と、トイレっ!?」
「そー、詰まった。ワリー、ライター中に落としちまって……」
 そんだけ言うと、三橋が「も、おーっ」とオレの言葉を遮った。
「トイレで煙草、ダメって言ったで、しょー!」
 そう言われたら、ホントその通りで反論の余地もなかった。
「ほんっとゴメンな」
 言いながら靴を履き、「行ってきます」も言えねーで玄関を出る。
 後ろ髪引かれる思いってのはこういうのを言うんだな。もうホント申し訳なくて、気にかかって仕方なかった。

 トイレの詰まり……つってまず思い出すのは、「すっぽん」とも呼ばれるラバーカップだ。
 デカい吸盤に取っ手のついた形してる道具で、排水溝に押し当て、名前の通りすっぽんすっぽんと吸引する。
 そもそも便やトイレットペーパーってのは、水で崩壊しやすいしな。異物がねェ場合は、ラバーカップでの吸引を何度か繰り返せば、すぐに詰まりは直るだろう。
 けど、うちにそんなラバーカップが都合よく置いてるハズもねぇ。
 普通にスーパーに売ってると思うけど、近所のスーパーが開くのは、3時間半も後だ。
 三橋、売り場分かるかな?
 つーか、ラバーカップ使うって、思いつくんかな?

 それに、ライターみてーな異物の場合は、必ずしも取れるとは限んねーらしい。
 あの落としたヤツ、そんな複雑な形してねーし、多分取れると思うけど……下手に水を流し込んじまうと、奥に押し込んで、妙なとこに引っかかったりもするから注意が必要だ。
 高ぇけど、業者に頼んだ方が無難かな?
 電車に揺られつつ、近所の業者を検索すると、「トイレの詰まりは8000円から」って書いてある。
 ラバーカップ持ってってすっぽんすっぽんやるだけで8000円って、いい商売だよな。上限が書いてねーのは、多分引っかかって、取れなかった場合のことだろう。
 最悪、便器丸ごと取り外して、逆さに振って落とさなきゃならねーって話を、昔、親父に聞いたっけ。
 親父の経営する小さな給排水設備会社には、こういうトイレの相談も結構多い。オレだって、昔バイトしたことあるし、詰まりを直す方法くらい知ってる。経験もある。
 今日が休日出勤じゃなかったら、きっと今頃「落ち着け」って三橋を宥めて……時間が来たら、ラバーカップを買いに行って。最終的には「阿部君、スゴイなぁ」って、キラキラ顔で誉めて貰えたに違いねぇ。

 なのに……現実は厳しい。
『も、おーっ』
 出掛けに聞いた、恋人のお怒りの声を思い出す。明日から相当甘やかしてサービスしねーと、許して貰えそうにねぇ。
 せっかくの連休なのに、ホントついてねーよな。
 ため息をつきながら、ブラウザを閉じようとして、ふと、親父のことをまた思い出した。
 そういや、親父の会社って、年中無休じゃなかったよな。社員も少ねぇ小さい会社だったし、ムリもねぇけど……日曜祝日は、普通に休みだったハズ。
 じゃあ、シルバーウィークはどうなんだ?
 つーか……うちの近所の業者って、今日やってんのか?

 ひやっとしながら念のため、さっき見た業者のサイトを見てみると、TOPページに『連休のお知らせ』って赤文字で表記があった。
『誠に勝手ながら、シルバーウィークはお休みさせていただきます』
 ぺこりと頭を下げる、作業服姿のおっさんのイラストに、親父を連想してモヤッとする。
――近所の業者、休みみてーだ。スーパーでラバーカップっつー掃除道具、買って来てくれるか?――
 手早くメールを打ち込み、謝罪の言葉も忘れねぇ。
――無理なら、絶対オレが何とかするから。ホントにゴメンな――
 送信して、ケータイをポケットに入れて電車を降りる。
 トイレのことは気になるけど、まずは仕事で。明日からの連休を有意義に過ごすためにも、ぼんやりとはできなかった。

(続く)

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