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小説 1−8
異物トラブル・後編
 予定より早く仕事が終わって、夕方には退社できた。
 昼には連絡できなかったけど、トイレ、どうなったんだろう? 業者呼べたかな?
 そわそわしながらLINEを見ると、「もう直ったよ」って言葉の後に、バーンとお怒り顔のスタンプがあった。
 うわっ、と思いつつも、直ったんならまあよかった。
――ホント、ゴメン――
 短い謝罪を打ち込みつつ、ホッとしてケータイをポケットにしまう。
 明日から3連休、めいっぱい甘やかしてサービスしてやんねーと。
 何が喜ぶかな? 掃除に洗濯に買い物の手伝い? それともマッサージ? いっそ、どっか遠出して美味いモンでも食いに行くか?
 手始めに駅ナカで、前に「美味い」つってたプリンを2個買って、大急ぎで帰路につく。
 ぷんぷん顔の三橋も、それはそれで可愛いけど。やっぱ笑顔が見てぇと思った。

 けど――それは、オレが笑顔にしてやるっていう前提での話だ。

「阿部君、お帰りー」
 オレが何もしねー内から機嫌良さそうな声を上げ、にこにこ顔で出迎えて来られると、さすがにちょっと「えっ」と思った。
 玄関に、見覚えのねぇデカいスニーカーがきちんと揃えて置かれてて、それにもまたドキッとする。
 ……スニーカーって、誰だ?
「誰か来てんの?」
 プリンの紙箱を渡しながら訊くと、「うんっ」って弾んだ声でうなずかれた。
「うおっ、プリン、だっ」
 オレが靴を脱ぐよりも早く、すたたっとダイニングの方に戻ってく三橋。
「プリンだ、よーっ」
 って。ちょっと待てっつの。それはお前に買って来たんだけど?

 モヤッとしながら後を追うと、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おおっ、お土産ですか?」
 三橋に敬語を使い、家まで図々しく上がり込んでくるヤツっつったら、そうはいねぇ。顔をしかめつつダイニングを覗くと、案の定の男が、オレを見てニヤッと笑った。
「兄ちゃん、気が利くねー」
 弟の旬だ。
 仕事帰りなのか作業服姿で、テーブルのオレの席にデカい態度で座ってる。
 左胸には「阿部メンテナンス」っつー社名の刺しゅう。弟は、親父の会社の下っ端技術者だった。
 オレらが付き合ってんのも知ってるし、可愛いカノジョもいたハズだし、間男じゃなくてよかったけど、身内だけに遠慮がなくて、扱い辛い。

「てめーに買ってきたんじゃねーんだけど」
 思いっ切り顔をしかめて言ってやると、「もう!」って三橋に怒られた。
「旬君、が、誰のために、来てくれたって、思ってる、のっ?」
 ぽかっと殴られ、むうっとふくれっ面を見せられて、言葉に詰まる。
 三橋はどうやら旬の味方らしい。けど、それも自業自得みてーで文句は言えねぇ。
「やだなー、三橋さんのために来たんですよー」
 はははっと調子よく笑う旬に「はあっ!?」と凄むと、またぽかっと殴られた。
「阿部君の落とし物、取ってくれたんだ、よっ」
 落し物って。ライターか? やっぱ敗因はライターだったか。

「ごめん……」
 力なく謝ると、また旬が調子よく口を開いた。
「お客さーん、ライターはよくないですねー。次から気をつけてくださいねー」
「分かってるよ」
 短く言い返して、ネクタイを緩める。なんか、気のせいか息が苦しい。
 そうか、親父の会社に電話したのか。
 スーパーでラバーカップを買って、おっかなびっくり使うより、近所の見知らぬ業者に頼むより、確かにオレの実家に頼む方が確実だ。
 つーか、頼むっつーより、対処の仕方を訊こうとしただけなんかも知んねーけど、結果的には同じだろう。
 オレなら意地でも自分ちなんかに連絡取ったりしねーけど、三橋にそんなこだわりはなさそうだ。
「トイレで煙草吸うのもね。煙草流しちゃったりすると、トラブルの元ですからねー?」
 訳知り顔で、うんちくかましてくる弟に、モヤモヤが募って仕方ねぇ。煙草流しちゃヤベェってのは知ってるっつの。オレだってバイトやってたんだよ!

「……着替えて来る」
 頭の中だけで盛大に反論しながら、ため息をつきつつ自室に向かうと、背後で2人の笑い声が聞こえた。
 くそっ、と思うけど、どうしようもなかった。
 朝からトイレを詰まらせたのもオレだし、それを三橋に丸投げして、逃げるように出勤してったのもオレだ。
 ライター落としたのもオレだし、トイレで煙草吸うなって言われつつ、やめらんねーのもオレで。申し訳ねぇって気持ちはある分、余計に分が悪い。
 帰ったらしっかり謝って、仲直りして、ワガママ聞いて。思いっ切り甘やかしてやろうと思ってたのに。なんだコレ? なんでこうなった?

 簡素な部屋着に着替えてダイニングに戻ると、ぷーんといいニオイが漂ってきた。
 ビーフシチューか、それともハヤシライス? それっぽいニオイに腹の奥がきゅっとなる。普段シチューつったらホワイトシチューばっかなのに珍しい。
「そういうの作んの、初めてじゃねぇ?」
 コンロで鍋をかき回す三橋に声をかけると、にこにこ顔で「うん」と言われた。
「旬君のリクエストなんだ、よーっ」
 って。なんだ、それ?
「三橋さんのシチュー、感激だなぁ」
 ダイニングテーブルのオレの席にどーんと陣取り、旬が調子よく言った。
「か、買い物、ついて来てくれた、し。ありがとう」
 嬉しそうに礼を言う三橋に、テンションがどんどん下がってく。

 買い物? リクエスト? 意味がワカンネー。
「エアコンの、掃除も、してくれたんだ、よっ」
 そんなの、オレに言えばいつでもやったっつの。つーか、明日からの3連休、何でも言う事聞いてやろうとか思ってたのに。
 大体、専用の道具使ったんなら、トイレの詰まり取りなんて数分だろ? いつ来たんだ? 何時から旬はここにいる?
「いっぱい食べて、ねー」
 機嫌よくそう言って、大盛りのビーフシチューをことんと旬の前に置く三橋。
 ダイニングテーブルに、イスは2つしかなくて。
 もう1つのイスの前に置かれた皿は、どう見ても三橋ので。
「阿部君、は、どこで食べる?」
 こてんと首を傾げて訊かれて、返事に困った。
 つーか、うちにはシチュー皿、2つしかねぇんだけど。どうしろって?

「……後でいいから、先に食べろ」
 力なくそう言って、リビングのソファに座ると、「もうこんな時間かぁ」って、旬がわざとらしく声を上げた。
「きょ、今日、泊まってけ、ば?」
 マジで言ってそうな三橋にギョッとして振り向くと、ニヤーッと笑う弟と目が合った。
「どうしようかなー」
 って。悩むとこじゃねーだろ。帰れ。
「またトイレ詰まると困るだろうし、泊まろうかなー」
 って。お前がいなくても困んねーよ! 時間さえありゃあ、オレだって対処できたっつの!

 自業自得だけど、喚くに喚けなくてストレスがたまる。
 排水溝に引っかかり、いつまでもカランカラン回って取れねぇライターが頭に浮かぶ。
 シルバーウィークの2日目、せっかくの連休なのに。ホント、なんでこうなった?

 もう、トイレにライター持ち込むのやめよう。
 仲良くシチューを美味そうに食べる、恋人と弟を睨みながら、オレはしみじみと決意した。

   (終)

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