君だけを、君だけと。【前編】
慶応二年、六月。
ついに第二次幕長戦争が幕を開ける。

朝廷の怒りをかった長州藩を、これ見よがしに取り潰そうと目論む幕府からの命令で、様々な藩がこの戦に駆り出された。
その中の一つ、長州藩とは関門海峡を挟んで目と鼻の先の地。小倉と呼ばれる藩がある。

小倉藩の藩主である小笠原家は、徳川の譜代大名としては古参で、その恩からこの戦に参加。
本来ならば、戦場となるのは長州側の筈であったがしかし、長州の精鋭部隊である奇兵隊を含む部隊を指揮する、遣り手の指揮官にしてやられた形で、小倉藩は領土への侵入を許してしまっていた。
大体にして、西洋兵器を携えた長州藩と、殆どが古来からの武器しか持ち合わせていない小倉藩とでは、戦になろう筈もなく、何度かの戦いで、小倉藩の領土の一部は焦土と化し、長州の進行を止める手立てもない。

そんな中。
前線で指揮を執っていた島村は、重役召集を受け、急ぎ城へと戻った。
着替えなどしている暇もなく、流石に甲冑の類は脱いだが、ほぼ戦場での出で立ちのまま城内へと入って行く。

人が行き交い、普段の落ち着いた雰囲気とは異なる騒然とした空気を纏った長い廊下を足取り速く進んで行くと、廊下の角に小宮の姿を認め、自然足が止まった。
一人が済めばもう一人、と、間断なく指示を出している小宮は、数日前に見た時よりもやつれて映る。
この状況であれば、落ち着き払っている者など居る筈もないが、人一倍責任感の強い小宮が、些か働き過ぎているのではないか、と懸念が浮かぶ。

話をしていた者が一礼して小宮の前を立ち去ると、小宮は見られている気配に気付いてか、島村の方へと顔を向けた。
二人の視線が絡み合う。
小宮は一瞬、驚いた様子を見せたが、すぐさま眉間に皺を刻んだ。
島村は、小宮のその反応に内心苦笑するしかなかったが、顔には出さずに平静を保ったまま、真っ直ぐに歩を進めて小宮の前に立つ。

「ご苦労様です、小宮さん」

「ご苦労だな、島村」

同時に言葉を発し、二人は俄かに驚き顔を見合わせた。
島村は思わず頬を緩めて笑い、小宮は苦い顔を浮かべる。

島村はあらためて、観察する様に小宮を眺めた。
やはり、近くで見るとやつれて顔色も悪く、いつもの覇気も薄れている様である。
休む間など無いとはわかっているが、それでも心配する気持ちが湧くのは仕方のない事であろう。
しかし正直に、「心配しています」などと漏らせば、小宮からどのような事を言われるか…。
その時の反応が容易に想像出来るだけに、決して口にはしない。
島村は、言葉にする代わりに僅かに表情を曇らせ、小さく溜め息を付くとおもむろに手を伸ばし、小宮の躯に抱き付いた。
予測なしの島村の行動に小宮も、忙しく行き交う者達も、言葉を失い動きが止まる。

「な、な、何っ…何かちゃ、島村っ?!」

全身を真っ赤に染め上げ、動揺に上擦った悲鳴を上げる小宮に構わず島村は、抱き締めた小宮の背中の筋を掌で辿り、その感触を味わう。
そして小宮の髪に鼻先を埋め、小宮の薫りを堪能する事も忘れない。
小宮の躯がビクリと跳ね上がる。

「痩せましたね、小宮さん…」

心配気に呟く島村の声音に、小宮の身が竦む。
しかしそれも僅かな間で、小宮は逆行したように怒りを浮かべてジタバタと暴れ出した。

「とち狂うなっ!時と場所を考えんかっ!」

「考えたらやっても良いと言う事ですね?」

「戯けがっ!」

二人の遣り取りに、周囲はただ呆然と見守るだけである。
何せ、二人の仲の悪さは周知の事実であり、この様に島村が小宮に抱き付こうなどとは、もはや島村の乱心としか思えない。

小宮は躯の隙間に無理矢理腕を潜り込ませると、島村の躯を引き剥がそうと、腕を突っ張って後ろに押しやった。
思いの外あっさりと離れる拘束に、渾身の力を込めた躯がよろめく。
その勢いで小宮は、島村から二、三歩間を空けると、島村の頬に容赦ない平手を喰らわせる。
乾いた音が辺りに響き、二人の遣り取りを見ていた者達は、思わず目を逸らした。
叩かれた当の本人は、瞬間的に痛みに顔を歪めたが、赤く痕の残った頬に手を当てさすりながら、睨み付ける小宮の視線を正面から受け止めた。
そして何事も無かったかの様に、何故か満足気に笑みを浮かべると

「小宮さんも評定に出席なさるのでしょう?早く行かないと遅れてしまいますよ?」

飄々とした動きで小宮の前を通り過ぎる島村に、周囲は今のは幻だったに違いないと、見なかった事に決めた。
小宮だけは、からかわれたような心持ちで腹の底から怒りが湧いてくるのを抑えきれず、さっさと立ち去ろうとする島村の背中を追い掛ける。

「島村っ!待て!待たんか!」

後ろから追い掛けてくる怒鳴り声に、島村は歩みを止めて半身を小宮の方へと向けた。
たまには追い掛けられるのも悪くない…。などと呑気な事を考えつつ、程良く間合いを取って島村に追い付いた、未だ怒りの形相をする小宮に対して小さく嘆息を漏らす。

「何ですか?先程の続きでしたらまた後程…」

「やかましい!」

言葉を怒鳴り声で遮られた。
軽口に突っ込みを入れてくる元気はあるのだと、多少は安堵する。
その思いが無意識に顔に出ていたらしく、小宮は気持ち悪そうに渋面を作り

「何をニタニタしとるんか…」

言われ頬が緩んでいる事に気付き、頬に手をやれば、先程平手打ちされた皮膚がピリピリと痺れた。

「まぁ、それは良い」

小宮は気を取り直して、一つ咳払いすると、真面目な顔を作る。

「話がある」

意外な小宮からの一言に、俄かに驚いて目を見開く島村に、小宮は苦笑を漏らし

「私からの話だ。良い話ではないから覚悟しとけよ」

言うとそのまま、通路に面した小部屋への入り口を開け、首だけで島村の方を見る。

「聞く気があるなら入れ」

そして、自分はさっさと室内へと入って行ってしまった。

小宮が、この状況で自分に一体何の話があるのか…?しかも、良い話では無いと言う。
様々な疑問が湧くが、聞かない事には解決もしない。
島村は躊躇いながらも、小宮の後に続いて室内へと入った。

小さな控えの間の中心に、小宮は入り口を背にして正座している。
島村は、後ろ手に入り口を締め、小宮の正面にかしこまって座った。

「話とは?」

慎重な面持ちで尋ねるが、小宮はなかなか島村の顔を見ようとせず、其処がまた島村の疑念に拍車を掛けた。
小宮と言う人は、どの様な時でも目線を反らしたりする様な男ではない。
これはよっぽどの事があったに違いない、と腹を括る。
室内はしん、と静まり返り、室外の慌ただしく人の行き交う音だけが、どこか遠くに響く。
今が戦時中だと言う事すら忘れてしまいそうであった。
このまま時間が止まれば良いとすら思ったその時、漸く小宮が顔を上げ、島村へと真っ直ぐ視線を向けると、小宮の唇が重たそうに動き、「他の諸士は既に知っている事だが…」と前置きして言葉を続ける。

「幕府軍が、退却した」

咄嗟に言葉の意味がわからなかった。
小宮は何と言った?
幕府が始めた戦だというのに、その大元である幕府軍が退却?
唯でさえ敗北を重ねる厳しい状況の中で、最も装備の整った部隊が欠けてしまったというのか…。
小宮の口から、その様な言葉が出るとは俄かに信じ難い。
だが、今は冗談を言えるような状況でもなければ、小宮は洒落を言うような人間でもなかった。
言葉を失う島村に、小宮はあくまで事務的に話を続ける。

「どのような理由かは報せられていない。幕府軍が退却した事で、他の藩も兵を引き揚げ出している。唯でさえ孤立気味だった我が藩は、ますます孤軍となった訳だ…」

「何故です?!」

小宮に怒鳴っても仕方の無い事ではあるが、幕軍が退却したのは何かしら動きのあっての事であろう。
戦場を駆け回っていた島村では察知する事が出来ない何かが有ったに違いないのだ。
小宮は現在、藩の中枢を担う立場にある。
そんな人間が、幕府側の動きに気付かなかったでは済まされない。

「……すまん」

ぽつりと力無く謝罪を口にする小宮に苛立ちが湧き、島村は不機嫌に顔を歪ませた。

それで今回の重役召集となった訳か…。

幕府軍が謎の逃走、他藩も引き揚げ、頼るものもない。
自藩だけで、この戦を持ちこたえられるか…。
答えは出たようなものである。

「降伏するんですか?」

堪えきれない怒りが滲む声音で、島村が低く問う。
その問いに、小宮は小さく頭を振った。

「それを決める為の評定だ」

「藩兵は納得しませんよ。俺もです」

怒りに燃える瞳を受け止め、小宮は少し憂いを含んだ眼差しで島村を見やり

「まだ降伏すると決まった訳ではない」

きっぱりとした口調ではあるが、小宮も内心はこれ以上の戦は無理だ、と滲ませているのがわかる。

「降伏の条件がどんなものになるか、おおよそ想像がつくでしょう!」

島村の語調が上がり、小宮の眉がピクリと動いた。

「そんな事は降伏と決まってからの事だ」

俄かに小宮の口調も荒くなる。
聞き分けのない子供を相手にしているようで、次第に苛立つ。

「家老の首を差し出せと言われたら、俺は長州に乗り込んででも条件を覆しますよ。毛利の首を穫るくらいの事はやってのけます」

「見苦しいぞ、島村っ!」

いよいよ大声を張り上げ目をむく小宮に、引き下がらず島村は悲痛に訴え掛ける。

「この状況で見苦しくならなくて何時なるんですか!小宮さんの首が飛ぶかもしれないんですよ?!」

ぐっと、顎を引いて言葉を飲み込む。
この状況で…とはお前の事だろう。と、小宮は胸の内で苛立った。

「私の事はどうでもいい。それよりも、藩の事を考えたらどうだ…」

話にならん、とばかりの小宮に、島村は尚も縋った。

「それも考えた上での事です。小宮さんには戦の後を担う役目があるでしょう。死ぬのは俺の役目の筈です」

まるで死を望んでいるかのような物言いに、小宮は眉間の皺を深くした。

「私の身代わりにでもなるつもりか?願い下げだな」

島村へと冷たく突き放すように視線を向ける。

「小宮さん!」

「話は終わりだ。後は評定で決める」

小宮は言い放つと、島村の顔を見ようともせずに素早く立ち上がった。
小宮を引き留めようと島村の手が動いたが、寸でで押し留める。
今は何を言おうとも、聞き入れては貰えまい。
部屋から出て行く小宮の背中を、虚無感に苛まれながら見送り島村は、掴む筈であった掌を握り締めた。


《つづく》


【ひとまず、続きます】
あまりにまとまらず長々なりすぎてついには前後編となってしまいました…(^_^;)
ほぼ後編も書き終わってたんですが、やっぱり島村さんがさぁー……なんですよ…。
まぁ…そんなでまだ少し書いてますが、近々アップ出来たら良いなぁ〜と思います。
今しばしお待ち下さいマセm(u u)m






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あきゅろす。
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