第一章(5)
奥は江藤の返答を聞いて初めて微笑を崩し、眉間に皺を寄せた。

「それなら…もしかしてロシアとの戦は…」

「第二軍の、奥総長の麾下でありました。」

奥は神妙な顔をし、少しの間を置いてから

「そうか…」と小さく頷くと、何かを考え込む様に俯き、額に手を当てて大きく息を吐いた。

「では第四師団か…。又次のとこやな…」

独り言の様に呟き、額に当てた手を下ろすと、ゆっくりと顔を上げ、江藤に視線を戻した。
その顔は先程までの穏やかな雰囲気とは違い、いたわる様な優し気な風にも見えたが、一方で悲しみとでもいうのか、どこか…淋しさすら感じられた。
江藤はそんな奥の様子に一瞬たじろいだ。
何か、言ってはならない事を言ってしまったのか…、と自分の言動を思い直してみるが、皆目見当もつかない。

奥は江藤を真っ直ぐと見据えたまま、ゆっくりと口を開いた。

「良く、生きとってくれた」

心底、という思いを込めて、奥は一言を放った。
その一言に、江藤の胸の鼓動が一際高く、どくんと鳴る。
奥の言葉が耳の奥の方で木霊する。
奥はじっと江藤を見ている。
江藤もまた、奥から視線を逸らす事が出来ない。
何か言おうと、一旦口を開きかけたが、言葉を発する事は出来なかった。

二人は沈黙した。

しかしそれは重苦しい、嫌な感じの沈黙ではなかった。
少なくとも江藤にとっては、奥という人物の、暖かさや温もりを感じる、そんな空間であった。

「よく、生きとってくれた」

その一言は、江藤にとっては予想外の一言であり、こんなにも心を揺さぶられる言葉を掛けられた事は、ただの一度もない。
「反逆者の甥」「国賊の身内」と、今まで散々に蔑まれてきた。
江藤自身も、「それは違う」「伯父は高い志を持った高潔な人であったのだ」と、信じてはいた。
が、周囲のあまりな批判と態度に、心が崩れそうになる時もあった。
自分は此処に居てはいけないのではないか?
むしろ、自分は存在しない方が良かったのか?
そう、暗い闇の淵を歩いているかの様な感覚が、いつも江藤に纏わりついて離れなかった。

そんな自分にこの人は、「よく、生きとってくれた」と、言うのか。

胸が熱い。
体が小さく震える。
膝の上の拳に、何かがポタリと落ちた。
見ると、透明な雫がポツリ、ポツリと、後から落ちてくる。
江藤は咄嗟に自分の頬に手をやった。
案の定頬は濡れており、江藤は自分が泣いているのだと言う事に、初めて気がついた。

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あきゅろす。
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