秦 斗真
どこにもいかないよ(杏梛さまキリリク)
―――…最初の頃。
夜中に電話がかかってきて、私はその相手に目を丸くした。
「斗真くん…?」
急いで窓辺のカーテンを開けると、彼がこちらを見ていた。
『美乃里、会いたい』
家を飛び出していた。
玄関のベルを鳴らすと、扉は何のためらいもなしに開いた。
同じ目線の高さの少年が顔を出す。
「斗真くん…」
息を切らして彼の名を呼ぶと、彼は切なそうな顔をして私に抱きついた。
「どうしたの?」
彼の背中に手を回して、あやすように問いかける。
彼の額が私の肩に乗り、彼が私を抱く力をいっそう強めた。
最近の彼はいつもこうだ。
どうしても金曜の夜が怖いらしい。
お父さんが家を出て行った日。
行方不明になったあの夜。
煙草を買いに行くと言って、家を出ていったお父さんを思い出さずにはいられないのだと。
そして、私もそのようにならないか不安らしい。
だから私は彼が不安になれば必ず会いに行く。大丈夫だと抱きしめてあげる。
今はそれしかできないから。
家の中に通されて、斗真くんは私にオレンジジュースを入れてくれた。
家の中はシン、としている。
お母さんはどうしたんだろう。
「…仕事だよ」
斗真くんが私の心を見透かしたように返事をした。
「そっか…」
斗真くんはテレビをつけて、ソファに座ってしまった。
元気のない背中にかける言葉が見つからない。
生まれて一度も特に違和感のないまま両親を持っていた私が、何か気軽に声をかけていいものか。
そんな疑問がいつも私の脳によぎる。
「美乃里、こっちに来て」
彼がこちらを見ずに言った。
「うん…」
席を立ち上がり、彼の横に座る。
少し前髪が伸びた彼の幼い横顔が見えた。
彼が私の肩に額を乗せた。
寂しいんだね。
髪を撫でる。
私はどうしても彼を放っておけない。
見捨てることもできない。
「……どこにもいかないよ」
彼の大きな瞳が私をとらえる。
「美乃里」
斗真くんが私の唇に誘われたように口づけた。
「ん…」
呼吸の仕方がわからずに、苦しそうに声を漏らす。
それに気付いた彼がいったん唇を離した。
「そばにいて?」
斗真くんが私に体重をかける。
私はそのまま後ろに倒れ……、頭が真っ白になった。
「ちょ、斗真くん?」
いつもよりも、なんか、もっと変だよ。
「……ダメ?」
「え、何が?」
「……じらすな」
彼がふてくされたような顔をした。
「いいや。今日はやめる」
彼が起き上がって、私は真っ赤になりながら上体を起こした。
これはやっぱり、アレをしようとしたんだよね。
でも、さ、斗真くん小学生だよね。
頭が混沌として、爆発しそうになる。
「…美乃里」
混乱している私を、恥ずかしそうに彼が見た。
「さっきの言葉、もう一度言ってくれないかな」
彼のお願いに、私はフッと表情が柔らかくなるのを感じた。
やはりこの人のそばにいよう。
不安にならないように。
何度でも言うよ。
「どこにもいかないよ」
そして今日も、不安な夜を彼は越える。
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