[携帯モード] [URL送信]

イヴ
憧れの人


「じゃあ、またおいで」
教会の扉の前で、イヴが囁くように優しく言う。
そんなことを言われたら、私毎日通いそうだ。
「ねえ、ここってどうやってくるの?帰り道はわかるのに、行くときわからないなんて不思議」
「…そうだね」
そう言って、イヴが少し歩き出す。
小さな裏路地。そこから見える大通りの明かり。行き交う車や人々。
大通りに出ると、教会は全く見えなかった。
「ミノリが、会いたいと思えば、この道路を曲がると見えるよ」
イヴがまた優しく笑う。
黒い長い神父の服が、春風に吹かれて大きくはためいた。
砂埃がたって、目をつぶる。
「じゃあね」
そう聞こえて目を開けた。
けれど、そこにはすでに彼の姿はない。
「イヴ?」
裏路地を覗き込んだ。
でも教会は全く見えない。
光も何もない裏路地。
また戻る気にはならなかった。

「美乃里?美乃里じゃん?」
夏菜の高い声が聞こえて、私は振り返った。
見ると、夏菜とチハルが不思議そうにこちらを見ている。
「こんなところで1人?一緒に帰らない?」
「え?あ、うん」
「にしても美乃里変わったところにいるね。ここらへんって何もないのに」
「え、うん…」
でも。
でもね、チハル。
すごくステキなもの、私見つけたの。



次の日の朝。
私は急いで玄関を出た。

今日こそは会いたい。
今日こそはすれ違うんだ。
そんな淡い期待を持って、玄関を飛び出す。
7時29分。ケータイの待受画面にはいつもの時刻。


「あっ」

長い前髪が、優しく揺れて。
だらけた制服がやけにピッタリ似合う人。
見つけて、小さく声が出た。

(今日は会えた…!)
胸がぎゅっと締め上げられる。
でもそれは苦しくなくて。
むしろ気持ちいい。

すれ違う瞬間。
私は高鳴る鼓動が読み取られないように背筋を伸ばしていつも以上にきちんと歩いた。
彼の瞳には映っていないかも。
でも、でも…。
「美乃里ぃ〜!」
前から高い声が聞こえた。
「あ、亜美ちゃん?」
中学校が同じで、西高に通う亜美ちゃんが、手を振って駆け寄ってくる。
「すっごいひさしぶり!元気にしてた!?」
ピョンピョン跳ねる亜美ちゃん。
亜美ちゃんは相変わらず元気そうだ。
「え、うん。亜美ちゃんは元気そうで」
「もう、超元気だよ!」
そう言ってニコリと笑った亜美ちゃん。
「じゃ、朝練遅刻しそうだから、バイバイ!」
慌ただしく走り去る亜美ちゃんに手を振りながら、視線を動かす。


・・・・・・・・・・え!?

朝の彼が、…こ、こっ、こちらを見ているッ!
「…『美乃里』ちゃん?」
彼が私を指差して、口を開いた。
わ、わ、緊張!
「うん、私、美乃里」
「へぇ〜あんたが!」
そう言って、クシャっと顔のしわを寄せた。
わ、すごくかわいい笑い方。
「俺、円!東城円!この前合コンに行った時、夏菜ちゃんて子がしきりにキミの名前叫んでた」
「え!」

東城、円…?
確かチハルの…
「あ、ごめん、突然。俺うっかり…」
「い、いえ!」
両手をヒラヒラと振って、全否定する。
顔が真っ赤になっているのが自分でわかって、なおさら真っ赤になったと思う。
「じゃあ、俺も行くね。また明日」
そう言って笑いながら歩き出す彼…東城円くん。


す、すごい!すごい進歩だ!
学校に向かう足取りは思った以上に軽くて。
もしかしたらスキップをしていたんじゃないかって思うくらい、跳ねるように走っていた。
誰かにこれを言う訳じゃないし、報告する気もない。
でも、こんなに胸がワクワクするよ!



「あれ?美乃里またここで降りないの?」
夏菜が不思議そうに言った。
「うん!今日も教会に行くの!」
「教会?」
「ちょっとね」


ニヤニヤしながら電車に揺られて、私はいつも通りあの大通りを歩く。
向かい側にコンビニが建っている、小さな裏路地に入り込んだ。
昨日よりは明るくて、その路地がどれだけ小さくて汚いのかよくわかった。
でも今はそんなこと関係ない。

とてもイヴに会いたい。


「ミノリ、今日はすごく嬉しそう」
真横から声が飛んできて、私は即座に見た。
「ああ、ここだったんだ」
右手に大きな教会。
「なんとなく道順覚えた?」
「うん」
私が笑顔で返事をすると、イヴもつられるように笑った。
髪がフワフワだからかもしれない。
彼の笑顔もフワフワしていて、私大好き。



「イヴは好きな子いるの?」
「え?」
彼が驚いて、花瓶に花を生ける手を止めた。
「好きな人。結婚してるようには見えないし」
「いないよー」
苦笑しながら白百合を花瓶に入れるイヴ。
その姿は、たぶんイヴでないと決まらない。
私はその姿を、教会の長いすに座りながら見る。
「ウソ〜!いそうだよ!」
「いないいない」
「いや、絶対ウソだ」
「ていうかね」
イヴが顔を上げて私を見る。
私も見つめられて表情が固まった。

「死んだんだ。妻は」
「…あ、ごめん」
彼の目線から、視線を反らした。
青い瞳をこれ以上見つづけられなかった。
青いきれいなサファイアが、一気に悲しみのブルーに見える。
「いいよ。もうずいぶん前の話だから」


なんとも言えない重い空気が流れた。
私は言葉が見つけられなくて。
イヴの顔すら見上げられない。
聞こえてくるのは、遠くの街の喧騒だけ。
「今日あたり、星がきれいそうだね」
窓から外を眺めながら、イヴが呟いた。
その一言で、ずいぶん空気が晴れた気がする。
「…でも最近、全然見えない」
悲しそうにイヴが呟く。
「死んだ人は星になるって言うよね。ボクは、しばらくミリヤを見ていないや」
いつもはきちんとした神父服が、今日はやけにしぼんで見えた。
私まで胸が締め付けられる。
これは気持ちよくない。
苦しい…。
「街の、ネオンのせいだね。街が明るすぎるから」
「街…?」
「うん」
「街がか…。そっか。そんなに街は明るくて栄えてるんだね」
「…うん」


目頭が熱くなった。
またイヴに「なんで?」って聞かれても、きっと答えは出せないけど。

私なに浮かれてるんだろうって思った。
この人が、幸せになってほしい。
心からそう思ったんだ。


[前へ][次へ]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!