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雪村 聡
葛藤
一言で説明するならば、それは「変」というものだった。
先輩が連れ去った女の人が「アネキ」だと言うならば、なぜあそこまで熱くなる必要があるのだろうか。

「ねぇ?」
私がケータイを開いている東城くんに問掛ける。
何から訊こうか、どうやって訊こうか…。ついつい深く悩んでしまって、東城くんは不思議そうにこちらを見ていた。
「あ、あのね」
たった一言だけだった。
訊きたいことは最終的にここにたどり着く。
「親近相姦ってやつなのかな?」
マジメに問いかけた私に、東城くんは「フッ」と笑う。
変なこと、言ったかな?
「いや、たぶん姉ちゃんだったらユキ先輩は好きにならなかったと思うな」
アネキじゃない?
好き?
今一つつながらない。
東城くんがケータイを閉じて、こちらを見る。
「美乃里ちゃんて、ユキ先輩のどこまで知ってんの?」
「え?どこって…」
「デブっちょだったことは知ってんの?」
あ…と小さく声を出した。
知っている。
病気の薬の副作用。
今の外見からは想像もできない…彼の過去。
「その時、介抱してくれたのが今の「アネキ」」
私は頭をかしげた。
わからないことが多すぎる。話がつながらない。
「まぁ、オレあんま他人の事情話せないから」

東城くんが、横断歩道を歩き出した。
「え、ちょ…」
呼び止めようと思ったが、彼は人混みにすぐ紛れてしまって…。
途方もなく暮れていた。
いや、歩き出すことならいくらでもできたんだろう。
でもどこに踏み出せばいいのか、足元さえ見えなくて。
ただ人影が入り交じるアスファルトを見下ろしていた。




次の日は、テストの日だ。
雪村先輩にクレープ屋さんへ行くのに誘われたせいで、すっかり忘れていたが、今日は残酷にやってくる。
電車の中で教科書を開いたが、まったく頭に入らなかった。
ただ過ぎ行く景色を見ながら、昨日の人混みへ消えていく2人の影がちらつくだけ…。
「あ、美乃里!おはよー」
廊下でチハルに会う。
私は笑って駆け寄った。
「あはよう」
けれど次の瞬間、チハルの顔が曇った。
「てか美乃里さ、昨日どこにいた?」
「え?」
教室のドアが開く。
「あ、夏菜おはよう!」
いつも通りに挨拶をする。
「……………」
「え?夏菜?」
聞こえなかったのだろうか?彼女が私の前を通りすぎた。
いや、確かに聞こえたはず。
「美乃里さぁ、昨日街に行った?雪村先輩と」
ドクンと心臓が波打った。
「由香里が言ってたけど、ホントなの?」
由香里は、この前一緒に合コンに行った友達だ。
雪村先輩のこともしっかり覚えているだろう。
「夏菜さ、今日本格的に告ろうと思ってたみたいだよ。だから今そんなこと知りたくなかっただろうね」
チハルが、私を責めるような言い方をした。
いや、彼女の言うことは正しかった。そして彼女は悪いことは悪い、正しいことは正しい、と言う子だ。
「美乃里、そういうの夏菜から見たら「ヌケガケ」みたいなもんなんだよ」
優しく言い放ったチハルの言葉は、私の胸を貫いた。
あまりにも正しすぎて、身動きもできない。
どうしよう。
その言葉だけが浮かび、にじみ出る汗。
「あのさ、美乃里…」
「わかってるよ」
それは、お母さんに説教された時の感覚に似ていた。
何もわかっていないくせに、ただ嫌々と返事する。
それが、相手にどれだけ不快を与えるかも知らずに。
「あっそ。もういい」
去っていったあと、チハルの心までも離れたことに哀しみはなかった。
いやそこを感じとるまでの余裕がなかった。

ただ私のプライドが。
先輩と会ったことが、悪いことだと言わんばかりのチハルや夏菜に腹が立って。
突然襲いかかる絶望感に。
何も考えられなかった。

先輩はお姉さんと去っていく。
夏菜はチハルと消えていく。



私が安らげる木陰など、もうどこにもないんだ。




1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、3時間が過ぎれば、いつも仲のよい3人が分かれて対立しているのに、クラスのほぼ全員が気づいていた。
クラスメイトのほとんどはその理由を知り、私たちについて討論している。

入学したてのころ以外に、1人でポツリと机に座っていたことなどなかった。
私の中に、どこかに所属したいという気持ちがあったからだ。
だから、さっきのようにあんな風に自分の意見を言い、他人に主張したこともなかった。



―――――後悔した。





結局、その日は夏菜と一言も話さずに終わった。
向こうは私に嫌がらせをすることはない。
元から私がいなかったかのように明るく2人で盛り上がる。
相手にもしないんだ。
…むしろそっちの方が残酷だった。

美乃里なんかいなくても、楽しいんだよ。
美乃里がウチらといた意味なんて、何もなかったんだから。



そう――――聞こえてきた。




とぼとぼと家に帰る。
明日がこんなにも億劫なんて。胸の中に大きな石が入ったみたいにズッシリと重たいものが胸を押さえていた。
先ほどから出るのはため息ばかり。
「うわッ!!」
後ろから耳をつんざくような大きな音が襲いかかる。
私は反射的に叫んで耳を押さえた。
「美乃里ちゃんじゃん!?暗いよ〜?」
それは雪村先輩。
今、一番会いたくなかった。

会ったらきっと――――責めるから。
何の関係もない先輩を罵ってしまいそう。
「…………………」
そう思うと、何も言葉が出ない。
「マジでどうしたの?」
無反応な私に、先輩が心配そうな顔をする。
――――やめてよ。
どうせこんな顔したって、またお姉さんが男と歩いてたらそっち行っちゃうんでしょ?
「―…昨日、なんで途中でいなくなっちゃったんですか?」
声が震えた。
やめて。
こんなこと、言いたくない。
「あっそうそう!昨日ホントにごめんな?オレついつい…」
「お姉さんのところに行ったんでしょう?……男と歩いてたから」
先輩が驚いた顔をする。
知らないと思ってたの?あのまま私が帰ると思ってたの?

先輩、甘いよ。


「あ、あはは、バレた?ホントごめんな?オレ、マジシスコンでさ〜」
「…ホントに」
ボソッと呟いた。
ヤダ、性格悪い。
これじゃ…八当たり。
「…美乃里ちゃん?」
「先輩…異常です」
声を震わせながら、私は先輩を見上げた。
止まらない。
止められないの。
先輩が優しければ、優しいほど…いじめたくなるの。
「異常でしたよ、昨日」
「…………………」
先輩の表情が、…固まった。
オワリ。
そんな言葉が脳裏に映った。
「ハハ、異常…だよな」
先輩が、地面に転がる石を蹴った。
乾いた笑い、冷たい表情、彷徨う視線。


まるで別人。

「でもな、それを美乃里ちゃんに言われる筋合いはねえんだわ」





怖かった。

胸を刺されたかと思うほどの衝撃。散り散りに砕け散るような崩壊の音。

先輩が、そんな顔をしたことはなかった。
もちろんこんな突き放すような言葉を使うような人でもなかった。

全ては私が導いた事態。

悔しくて。
思い通りに動かない現状にイライラして。



「…ぅうっ…」
喉から、高い嗚咽の声。
先輩が、いつもなら駆け寄る先輩が、―――――まったくこちらに歩み寄ることもしなくて。
もっと大きな声で泣く。
優しい言葉をかけて欲しくて。
涙で、今までのことを流したくて。
嗚咽を何度も吐くけれど、戸惑う先輩はやはりそこから動かない。
「…わかんねぇや…オレ」

…だよね。
私だってわからないよ。

ただ貴方が欲しいだけなのに、なんでこんなに遠回りなの?



「…き」
去る先輩を見て、いまだ震える口元を動かした。
「…きだかッ…らじゃ…すか」
ダメ。
もっと大きな声で言わなきゃ。


「好きだからじゃないですか!」



先輩が振り返る。
涙が止まらなかった。
貴方が欲しい。

夏菜を傷つけて、チハルを突き放しても、それでも欲しいものが今目の前にある。

チリチリと胸を妬く痛みに耐えられない。
貴方が…欲しいの。





「…真珠以外、女じゃないんだ」


初めて聞く名だった。
初めて、先輩の口から女の呼び捨てを聞いた。

夏菜ちゃん、チハルちゃん、美乃里ちゃん…。
ホントだ。
どれも適当だね。

期待なんて、させてもくれなかった…。


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