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20


*

頬が濡れるのを感じ、キッドは目を醒ました。
時刻は深夜で、月の光だけが室内を照らす。
そんな中、銀色の影がキッドを見下ろしていた。
名前を呼ぶと、それは泣き崩れた。
初めて見る姿に、キッドは混乱した。
溢れる涙がキラキラと光る。
それを見て、いつものキッドなら嗜虐心を刺激される所だが、今夜は違った。
キッドの名を呼び、一人は嫌だと泣く姿は、酷く幼い子どもに見えた。


肩を震わせて泣き続けるヤクニの腕を取り、ベッドの上に引き上げる。
そして、黙ってその体を抱き締めた。
殴って黙らせようなんて気はさらさら起きなかった。
ただ、何かに怯えるヤクニを守ってやりたいと思ったのだ。
理由などなかった。


「泣くな、ヤクニ」


キッドはヤクニの顔を両手で包んだ。
濡れた赤い瞳がキッドを見上げる。

小さく震える唇に、そっと、触れるだけのキスをした。






その晩、二人は交わることなく、ただ抱き合って眠りについた。













「…殺す気が失せた」


朝目覚め、ヤクニの言った言葉がこれだった。呆けるキッドにヤクニは枷の輪がはまったままの手を差し出した。


「私の笛を返せ。それで見逃してやる」
「…嫌だって言ったら?」
「殺す」
「殺す気失せたんじゃねぇのかよ」
「い、良いから早く返せ馬鹿者!!」


ぼすぼすとベッドを叩く。
駄々をこねる子どものような姿に、キッドはぷっと吹き出した。


「何がおかしい!」
「いや、昨日ぴーぴー泣いてた割りには朝から元気だなって思ってな」
「泣いてなどおらぬわ禿げ!!」


どすっ!と胸に頭突きされ、なかなかの威力にキッドが「うっ」と低く呻く。
キッドは小さく舌打ちし、枷を操ってヤクニを壁に張りつけた。


「じゃあ、笛を返したらその後、どうすんだ?」
「……ここから出て行って、人間を駆逐する」
「駄目だ」


キッドは一つ欠伸をした。
そしてまだ言いつのろうとするヤクニにデコピンする。
バシッと痛そうな音がした。


「くっ、貴様…!」
「人間を駆逐云々はどうでも良いが、ここから出て行くのは許さねぇ」


銀色の髪を掴む。
キッドはそれに唇を寄せた。


「忘れんなよ、お前は俺のものだ」
「―…っ!そ、そんなことは関係ないわっ‥!」


否定しないヤクニに、キッドは僅かに目を見開いた。
そして直ぐに細める。


「あの笛なら返してやっても良いぜ?」
「え?」
「俺から逃げない、この船を降りない、俺の事を貴様と呼ばない、って約束できるならな」


ヤクニはその条件になぜか顔を赤らめた。
嫌では、ないらしい。
キッドはニヤリと片頬を上げた。


「な、なぜ、私の物を取り返すのに私が条件を飲まねばならんのだ」
「バーカ、お前から盗ったから今は俺の物なんだよ」
「はぁぁ!?」


キッドは声を上げて笑った。



*



昨夜私が泣いていた理由を、キッドは一度も聞かなかった。
それだけで私の心は軽くなったような気がした。







結局、キッドは笛を返してくれた。
断じて私が条件を飲んだわけではない。
それなのに、キッドは私の手枷と足枷の鎖を取った。
鉄の輪はつけられたままだが、今までの状況と比べると考えられないくらい自由な状態だった。


「おい、きさ―…」
「キッドと言え、約束しただろうが」
「わ、私は了承しておらぬ」


手の中の笛を握りしめる。
キッドはこの笛を宝物庫の中にしまっていた。
肌触りの良い高級な布にくるんであり、笛には傷一つ付いていなかった。


「良いから、呼べよ。ヤクニ」


するりと頬を撫で、額にキスをする。
それだけで私は鎖に絡み取られてしまったかのように動けなくなった。
コイツは卑怯だ。
こんな時だけ私を殴らないなんて。


「き、……」
「き?」


キッドが楽しそうに聞き返してくる。
その目が優しいような、そんな気がして、私は顔に熱が集まるのを感じた。


「―…キッド…」
「何だ、ヤクニ」


名前を呼ばれる度に、嬉しいような恥ずかしいような、よく分からない感情が沸き上がる。
キッドの顔が近づく。
私は強く目を閉じた。
直ぐに、唇を熱いそれで塞がれる。
そして何度か軽く吸い上げ、離れていった。
本当に、卑怯だ。


「―…っ!と、とりあえず、陸に着くまでは……居てやらぬ、ことも‥ない…」


どんどんと言葉尻が小さくなっていく。
今の自分の姿はどれほど滑稽なものなのだろうか。

キッドに抱き締められながら、私はそんなことを思った。
が、その考えも直ぐに熱の中で溶けて消えた。





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