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19



ある日の夜、キッドは穴が空くほどじぃぃぃぃっとヤクニの顔を見つめていた。
鎖で雁字絡めにされた状態で床に座らされていたヤクニが居心地悪そうに視線を逸らす。

カチカチカチ…と時計の秒針の音が響いた。


「…………………何だ」


耐えきれず、ヤクニが聞く。
キッドはそれに答えず、じっとヤクニを見つめた。
ヤクニが眉を寄せる。


「だから、……さっきから何なのだ!!」


ダン!とヤクニが足を踏み鳴らした。
するとようやくキッドが口を開いた。


「……ヤクニ、お前またあの姿になれよ」
「はぁ?」
「黒髪で色白になれただろ、あれだ」
「馬鹿か貴様!?あれはなりたくてなった訳ではないわ!!」


ヤクニに怒鳴られ、キッドは腕を組んだ。
そしてヤクニの目の前に立つ。


「じゃあ、どうやったらなんだよ?」
「どうもこうも、月に一晩しかならぬわ」


ヤクニは忌々しげにに呟いて、そっぽを向いた。
キッドはそんなヤクニに跨がり、頬を撫でた。
頭突きされる前に角を掴んで押さえる。


「あの姿、結構気に入ったんだがな」


耳元で囁かれ、ヤクニはカァァと顔を赤く染めた。


「な、なな何を戯けた事を!…あ、あのような無様な姿など……」
「でも俺は好きだっつってんだろ」


「まぁ、今の姿も好きだけどな」と続けられ、ヤクニは言葉を失った。
赤い瞳が見開く。
ヤクニは心底不思議そうにキッドを見つめた。


「貴様は、頭がおかしいのか…?」
「さぁな」


それからキッドがヤクニの唇を奪い、話は途切れた。




セックスの最中だけ、ヤクニはキッドの名を呼ぶようになった。
ぐずぐずに溶かされた甘い声で名を呼ばれるのは、キッドにとって新たな快感だった。
今までセックス中に女に名を呼ばせたことなどない。
しかし、ヤクニは別だった。
誰のものにもならないと気高い意識を持っているヤクニに名前を呼ばせると、独占している気分になれた。


「ぁっ‥はぁっキッド!キッ、ド―…っ!」


自分の名前を呼んでヤクニが達するのを見ると、キッドはこれまでのセックスで感じたことのない満足感を得ることができた。






「なぜ貴様は私とせっくすをするのだ?」


キッドが欲を吐き終わった後、ヤクニが訊ねた。
その股にはキッドの精液が垂れている。


「んなの、気持ち良いからに決まってンだろ」
「気持ちが良ければいいなら、私である必要はあるまい」
「うるせぇな、お前が良いんだよ。ヤクニ」


キッドがそう言うと、ヤクニはじわじわと顔を赤らめた。
そして、ぶんっと顔を横に逸らす。


「や、やはり貴様は気狂いだな!」
「はぁ!?」


そう吐き捨てるヤクニの顔は、まだ真っ赤だった。





*





私はおかしい。
もう、この人間を焼き殺すことも出来るのに、なぜかそうしようと思えないのだ。
厳重に鎖で縛られたまま、私は目の前で眠る人間を見つめた。

コイツは憎い人間だ。
私にせっくすを強いるし、私を汚す。
母上の笛を盗んだのもコイツだ。
私が言うことを聞かなければ、迷うことなく暴力を振るう、凶暴な奴だ。
憎い人間だ。殺したいと思っていた。
憎い人間だった。


「―…キッド‥」


小さく、人間の名前を呼ぶ。
人の名など生まれて初めて呼んだ。
生まれて初めて、人から名前を呼ばれた。
お前が良いと言われた。
人の姿も、半妖の姿も、好きだと言われた。

私は狂ってしまったのだろうか。
酷く、この人間の、キッドの側にいるのが心地良い。

早く、早く殺さねば、きっと後戻りできなくなる。
父上と母上の仇を討てなくなる。
そんなことになったら、私はなぜ生きているのか、分からなくなる。

鎖を一本一本焼き切る。
小さな音を立てて、床に落ちた。
この手枷と足枷も、焼き切れるだろう。
しかし私はそうしなかった。

私はおかしい。

立ち上がり、キッドの眠る寝台へと歩み寄る。
まだ火傷は治っていないらしく、薬の臭いがした。
私は爪に炎をまとわせた。
これで心臓を貫けば、この男は死ぬ。
私を苛む者はいなくなる。



私は、また、一人になる。



そう思うと、私の体は石のように動かなくなった。
爪に灯った炎が消える。
目から何かが溢れ、落ちる。
熱い滴はキッドの頬を濡らした。

キッドが薄く目を開く。


「ヤクニ?」


そして名を呼ばれた。
塞き止めていた何かが外れる。
涙が後から溢れて止まらなかった。
私はがくりと膝を折り、泣き崩れた。

この男が呼ぶ私の名は、呪縛だ。
呼ばれただけで、何も出来なくなる。
私はこんなに弱くなかった。
弱くなかったはずだ。
いくつも村を潰し、人間を焼き殺してきた。
私は強くなった。

それなのに。



「おい、どうした。何があった?」


それなのに、なぜこの男一人も殺せないのか。





「…キッド……一人は、嫌だ…」





気づけば私はそう言っていた。




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