1 母は男装の麗人だったそうだ。 記憶はない。 ただ、母の奏でる笛の音だけは覚えていた。 腹の内での記憶かもしれない。 父は私に母の形見をくれた。 質素な笛だった。 しかし美しい音だった。 私は弱く、脆い存在だった。 私を生んで直ぐに命を落とした母は、もっとか弱かった。 母は、人間だからだ。 私は父の首塚の前に立っていた。 母と父は確かに愛し合っていたのだろう。 しかし、鬼である父と交わった母は人間から疎まれ、父は妖怪から弾かれた。 人の血肉を口にしない鬼など、恐怖の対象になりはしない。 父は私を守って討たれた。 人間に殺された。 父は人間を愛していた。 か弱く愚かな存在を、とても愛していた。 それなのに。 それなのに。 背後で村が燃える。 人々の断末魔が響いた。 肉片を、魂を食い荒らそうと、妖怪どもが集まる。 私は黒雲に満ちた空を見上げた。 もう誰かに守られねばならぬほど、私は弱くない。 父上、母上!見てください。 私は見事に仇を討ちました。 もう、虐げられて無力に泣いている弱い私はいません。 「お前が元凶か」 恐ろしく冷たい声と共に、私の胸を一本の矢が貫いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |