16 私を追って逆走してきたらしい。 巨大な船の上から強い光が放たれていた。 炎とは違う、真っ白で目に痛い光だ。 それは海面を舐めるように動かされていた。 探している。 このまま近づかれたら確実に見つかってしまうだろう。 私は震える両手に力を込めて、岩にしがみついたままゆっくりと海中に隠れた。 今の私は黒髪だし、墨染の狩衣も闇に溶け込む色合いだ。 奴らが通りすぎるまでじっとしていれば、きっと見つからないだろう。 そう思っていた。 ―…岩が動き出すまでは。 * 大きな波が上がり、船が揺れる。 海から現れたのは岩山のような海王類だった。 「か、海王類が出たぞーっ!!」 「旋回しろーっ!!」 船員達が慌ただしく動き始める。 サーチライトの光で目を醒ましたのか、夜行性なのか、サイのような頭をした海王類は目を爛々と光らせた。 やる気満々のようだ。 「ちっ!こんな時に邪魔クセぇな!!」 キッドが忌々しげに悪態を吐く。 そして両手を上げ、海王類に向けた。 大砲の玉が一気に海王類に放たれる。 それは岩のような肌を砕いた。 ウォォォォォォ!!!と頭が割れるような雄叫びが上がる。 続けて砲撃しようとした時だった。 キッドの動きが止まる。 海王類の鼻の先に何かがいるのが見えたのだ。 黒い何か。それは、ずるりと鼻先から落ちた。 月光を反射する鉄の輪。 それを見たキッドは何を考えるよりも先に動いていた。 能力を使って黒いものを引き寄せる。 近づくとそれが黒い服を着た人だと分かった。 それはキッドが探していた青年と同じ形の服を着ていた。 しかし長い髪は銀色ではない。 「キッド、あれは…?」 「アイツだ」 一気にそれを引き寄せる。 そして甲板に叩きつけた。 細身の体が力なく床に転がる。 キッドは片手間に大量の砲弾を操り、海王類を仕留めた。 巨大な体が海の中へ沈んでいく。 それを見ることなく、キッドは床に横たわるそれに近づいた。 長い黒髪をかき上げる。 露になった顔は、青年のものだった。 気を失っているようで、瞼を開く気配はない。 青ざめた白い肌に、濡れた黒髪。 昼間見た青年の姿からはかけ離れていた。 「どういうことだ…?」 キッドの横に来たキラーが呟く。 キッドは角のない青年の頭を撫でた。 この青年が甲板に叩きつけられただけで気を失うはずがない。 しかし頬を軽く叩いても青年は眉一つ動かさなかった。 キッドはニヤリと笑った。 「…おもしれぇ」 * 温かい。 誰かに抱き締められているような感覚だった。 幼い日の思い出が甦る。 父上がまだ生きていた頃、小さな私はよく抱き上げられていた。 その体温は心地良かった。 いつまでもこうしていたいと願ってしまう。 しかしそれは長く続かなかった。 ぺちぺちと軽く頬を叩かれる。 私はうっすらと目を開いた。 暖かな光を背に、誰かが私を見下ろしている。 「おい、起きろ」 その声に私の意識は一気に覚醒した。 私を見下ろしていたのは赤髪の人間だった。 私はふわふわとした布にくるまれ、人間に抱き抱えられていた。 肌に触れる布の感覚に、自分が全裸であることに気づいた。 「な、なっ…!?」 驚きのあまり言葉が出てこない。 人間はそんな私を見下ろし、笑う。 「残念だったなァ?逃げれなくて」 するりと頬を撫でられ、私は人間の体を押し返した。 枷の重たさがない。 見ると私の四肢は一切拘束されていなかった。 人間の胸板を押す手は酷く白い。 夜が開ける前に、見つかってしまった。見られてしまった。弱い人間の姿を、無力な私を。 死ぬまで秘密にしなくてはならなかったのに、よりにもよって、この人間に知られてしまった。 一気に血の気が引く。 今の私は無力だ。この人間もそれを分かっていて枷を取ったに違いない。 体がガクガクと震える。恐ろしくて仕方がなかった。 「何だ、まだ寒いのか?」 人間が私を抱き寄せる。 伝わってくる体温に、私は身動きできなかった。 冷たい海の中で一人きり、恐怖に震えていた私を、この人間が救い出してくれたように思えた。 そんなわけがあるはずない。 この人間はただ、逃げた私を追ってきただけだ。 そんなことは分かっているのに。 どうしてか、私は嬉しさのようなものを感じてしまっていた。 人間が私の肩をさする。 極限まで疲労を感じていた私には、それも心地よく思えた。 強ばった体から力が抜ける。 私は目をふせたまま、人間の胸に頭を寄せた。 「…なぜ、助けた」 「は?」 「私は貴様を、殺そうとしたのだぞ?」 私が岩だと思ってしがみついていたのは、海の主だった。 人間になっていたせいで妖気を感じ取れなかったらしい。 それが目を覚まして暴れ始めた時、私は死を感じた。 振り落とされ、海に叩きつけられ、絶命する。 そう思った。 この人間が、そうさせなかったのだ。 ぐい、と顎を持ち上げられる。 人間は笑っていなかった。 真っ直ぐに見つめられ、私はなぜか息が詰まるのを感じた。 「お前は俺のものだ。それ以外に、理由はねぇ」 [*前へ][次へ#] [戻る] |