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 ユリアンは国の農地開拓のため役所が上げてきた膨大な資料をチェックしていた。宛がわれた執務室に篭もって地道に書類に目を通し、何かあれば担当の役所に送り返し、問題がなければ女王に献策する。と言っても、ユリアンの手元にある書類は何度も役人の手を渡ってきたもので、ほとんど不備などない。ユリアンの役目はあくまで王族としてこの事業に関わること。そして、将来のために知識を蓄えることにあった。
 18歳ともなれば、ユリアンも小さな公務ができるようになる。いずれは王子としてこの国を繁栄させるため、重要なポストに就くはずだ。そのために、今は多くのことを学ばねばならない。ユリアンの責任は日を追うごとに重くなっていく。
 アーベルはユリアンの気が散らぬよう、執務室の外で待機していた。今日のユリアンは忙しい。資料のチェックが終われば新しい人事異動の報告書を確認することになっている。今から人を使うことを覚えろとはクラウスの指示だ。ユリアンの近衛騎士は長年アーベルが務めてきたが、侍女は数年で入れ替わる。人物を覚え適材適所に置くことが課題だ。「兄上の気まぐれだ、本気にするな」とユリアンは顔を顰めていたが、アーベルはユリアンが政務に興味を持つための良い機会だと思っていた。ユリアンは国政に対する興味が薄い。良くも悪くも、王子という自覚が彼にはないのだ。
 窓の向こうからする馬の嘶く声を聞きながら、アーベルは溜息を吐いた。散々駄々を捏ねた主を、やっとこの部屋に押し込めたのはついさっきのことだ。本当に、毎度毎度手が焼ける。
 だが、そんなユリアンに絆されているのも事実で、アーベルはまた溜息を吐いた。そこに、カツカツと靴音が響き渡る。アーベルはすぐに背筋を伸ばした。
 大理石の床の上を颯爽と歩いて来るのは、フェリクス第2王子だ。もうそんな時間かと、アーベルは懐中時計を確認する。

「やあアーベル、久しいな。元気にしていたか」

「はい。フェリクス様もお変わりないようで」

 現れたのは、緑の瞳が鮮やかな美丈夫だ。茶色を帯びたブロンドが美しくカールして、ふんわり揺れている。アーベルが羨ましがる、色素の薄い容貌だ。

「ユリアン様はまだ執務中です。申し訳ありませんが、こちらへ」

「ああ、問題ない。実はお前に用があって、早く来たんだよ」

「……?」

 フェリクスは執務室の隣にある応接室に入ると、アーベルに席につくよう促した。彼直々の話があるようだ。
 一体なんのことだろう。全く見当がつかなかったアーベルは、侍女の淹れたお茶を飲むフェリクスをじっと見つめてしまっていた。

「気になるか? まあ、そうだろう」

「申し訳ありません。何か、不手際でもあったのかと」

「いや、お前の働きぶりは大したものだ。騎士にしておくのは勿体無いと、クラウス兄上も仰っている」

 アーベルはクラウスの名前が出た途端眉を寄せた。それにまた、フェリクスが苦笑する。
 フェリクスはまるでアーベルのことを友人のように扱うことがある。いくら弟の側近とは言え、アーベルが気安く話して良い相手ではない。けれどクラウス同様に、何故か彼はアーベルに構いたがるのだ。この黒髪を美しいと褒められたことも一度や二度ではない。
 その度に、アーベルは居心地の悪い思いをする。今だって、彼の視線から逃れるように目を伏せてしまった。

「兄上も嫌われたものだな」

「いえ、そんなことは」

 ただちょっと苦手なだけだとアーベルが苦笑すると、王子はまた笑い返してきた。そして、侍女達が皆退出したのを確認してから、おもむろに口を開く。

「実はな、王宮に間者が紛れ込んでいるようなんだ」

「……!」

 アーベルは目を見開いて、微笑むフェリクスを見つめた。

「お待ち下さい。それならば、早急に探し出さねばなりませんが、隊長からは何も聞かされておりません」

「それはそうだ。隠密が秘密裏に調べて分かったことだからな」

「……それでは」

「ああ、確かな情報だ」

 フェリクスは神妙な顔をして頷いた。

「このことを知っているのは、隊長格以上と、女王だけだ。他には、近衛隊にも秘密にしてある」

 アーベルは素直に眉根を寄せた。普通なら、間者の存在を知らせ警備を厳重にするものだろうが、上はそれをする気がないらしい。アーベルの鼓動が早鐘のように鳴る。毒が染み出るように、どくりどくりと、体中を不安が満たしていく。彼は、ある可能性に思い到ってしまった。そして、不安は的中する。
 酷く真面目な顔をして、フェリクスはアーベルを見つめた。

「騎士団の中に、裏切り者がいる」

 アーベルはフェリクスを見つめ返し、微動だにしなかった。フェリクスは温くなった紅茶を飲み干して、「ユリアンにも内密に。こちらで片をつけるから、用心していろ」とだけ言う。
 これから何が起きるのか、アーベルは様々な未来を予想したが、結局それ以上何も聞くことなく、静かに頭を下げた。



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あきゅろす。
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