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拓く朝日に君をみる

 あいつのことは、どちらかと言えば苦手な部類の人間だった。

 妙に自信を持っていて、けれどそれには一切の根拠はない。
 未来をまっすぐに見つめているけれど、過去はあまり振り返らない。
 あまりにも正反対で、解り合う事なんてないと思っていたんだ。


 新しい年を迎えて町はどこか浮かれていた。人々は楽しげに談笑を弾ませ、賑やかな笑い声を響かせる。煌々とともる明かりは小さな太陽のように夜の町を彩って、真昼の様相さながら、世界はすっかりお祭り気分に包まれていた。

 その余波は、町から離れた深い森の中にまで及んでいた。
 時の流れから切り離されてひっそりと、しかしながら尊大に佇む古き城館。我々ハンターの拠点となっている、謎めいたこの場所も明くる年を祝う祭りの空気にしっかりと包まれていた。 
 幾重にもつながれたリング状の色紙が壁一面をぐるりと伝い、その中心には新年を祝うフレーズが書かれた大段幕が仰々しく飾られている。
 どこからか運び出されてきた横長のテーブルにはシルク素材の真白なクロスがぴしりと敷かれ、その上には豪華な食材が趣向を凝らした技法で調理された、絢爛たる至高の一品が並べられている。使われている食器やグラスもしっかりと磨き抜かれていて、すべてが上質な空間を作り上げていた。
 普段特別な用途もなく鬱蒼と埃をかぶっていたパーティホールが、かつてこの城が繁栄を極めていたであろう時代の栄光を取り戻した。そう思わせるほどに生まれ変わっている。
 この景色も、もう見慣れたものだった。年越しと新年を祝うこのパーティは日頃戦う仲間への慰労と感謝の意味を込めて、レオさんとメルベル、そしてリサが何年か前に開いてくれて以降、すっかり毎年の恒例行事となっている。ハンターとして自分がここに来てから積み重ねた年数が増える度に、この景色もなじみ深いものになっていく。
 
 時を刻む針は既に昨日までの年を越え、新しい年を刻んでいた。
 パーティも高潮の時を過ぎ、テーブルを彩っていた景色も寂しいものになっていく。解散の宣言がなされて、各々がそれぞれのタイミングで部屋へと戻り始めていく。
 賑やかさの中に少しずつ閑散とした空気が広がっていき、そろそろ自分も部屋へと戻る頃合いだろうかと思い始める。
 その前に少し夜風にあたろうと、バルコニーへと出る。場内の空気にすっかり身体が火照ってしまった。首元のマフラーをゆるめて、ひんやりとした夜風を感じる。
 元々、冷たい空気は好きなのだ。熱が奪われていく心地よさに心も緩んでいく。大きく息を吐いて、開放感に浸っているとそれを一気に押し流す不快な声が響いてきた。

「おー、すげえ間抜けな顔」

「なんだ……部屋に戻ったんじゃなかったのか」

 先客がいた。よりにもよって最悪の人物。
 爽やかだったはずの気分はすっかり下がって、俺はげんなりと金髪の男を見つめた。

「一年に一度うまいもんたらふく食えるこの機会に、さっさと部屋に戻ってたまるかってんだ。全部食い尽くすまで堪能してやらねえと。ただちょっと食い過ぎたから休憩してたんだよ」

 内からわき上がる自信に満ちた満ちた笑顔で、ジャルはにっかりと歯を見せた。
 すっかり気分まで冷めてしまった俺は、楽しげな笑顔と相対する冷ややかな視線でもって応じる。

「なんだよ、その顔」

「いや、何でもないよ。邪魔をして悪かったね。俺は部屋にもどるから」

「おい待てよ」

 踵を返した俺を後ろから呼び止める声。渋々ながら振り返ると、ジャルの手には一本の酒瓶が握られていた。

「つき合えよ。折角来たんだし」

「お前……いったいどこからそんなものを。というか、俺もお前もまだ飲酒は禁止されている年齢だろう」

「こまけえこと気にしてんじゃねえよ。トラヴィスではな、手前で見つけた酒は飲んでいい決まりなんだよ」

「ここを君の故郷と一緒にしないでくれよ」

 思わずため息が出る。そういえば、先ほどから彼はやけに上機嫌で饒舌だ。いつも口数が多くて五月蠅いので、そう変化はないようにも思えるが。上気した頬と微睡むような目つきは明らかにいつもの彼とは異なっていた。
 この国では二十歳に満たない者の飲酒は法によって禁じられている。しかし、この様子からしてこの男はとうの昔に出来上がってしまっているようだ。さらに残念なことに、その口振りからして法の目を掻い潜るのは今日が初めてというわけでもなさそうだ。トラヴィスは軍の目の届かない無法地帯。そこの出身である彼にとって、法による裁きはなんの抑止力にもならないのだろう。

「ほら。これは上等な奴だぜ。よくわかんねぇけど。レオさんの部屋からくすねてきた」

 法の効力の限界をひしと感じていた俺に、そう言ってジャルは手にした瓶を差し出した。
 栓は既に開けられていて、中に半分ほど残った液体がちゃぷんと揺れる。開け口から芳醇な香りが漂ってきて鼻孔をくすぐる。確かに、これは良質な香りだ。

「勝手にそんな事をして、ばれたらどうするんだよ」

「大丈夫だって。あの人部屋に酒はいっぱいあるくせにちっとも飲んでねえし。一本くらい無くなったって気づかないって」

「そう言う問題じゃなくてだな。お前、そんなことばかりしてると痛い目をみるぞ」

 その身を案じてやっているというのに、聞き入る気は全くないようだった。俺の話などお構いなしに、どこからか用意したグラスになみなみと酒を注いでいく。

「ほらよ」

「俺は飲まないぞ。そんなことをしたら共犯になってしまう」

「なんだよ。俺の酒が飲めねえってのか?」

 面白くなさそうに唇をとがらせたジャルは、問答無用と言わんばかりにグラスをこちらに押しつけてくる。

「本当に質が悪いなお前は!」

 ただの面倒くさい酔っぱらいと化した男を、俺は全力で拒んだ。
 しかし善戦むなしく、普段に任務では発揮されない執念深さを前に俺は敗北してしまう。否、弁明をすると、押し問答でこぼれた酒が大切なマフラーを汚してしまうよりも、ここは折れて口に含んでしまった方が最善だと判断したまで。戦略的撤退であり、敗北なんかではない。
 しかしながら、理矢理飲まされた酒は口にした途端、濃厚で深みのある風味がいっぱいに広がり、凝縮された葡萄の甘みがふわりと香る。非常に味わい深い一品だった。本当に勝手に飲んではいけない部類の品だったのではないかと、今更ながら焦りが生まれるほどに。

「な! いい酒だろ?」

 ジャルは誇らしげに胸を張り、満足した様子だった。罪悪感という物は微塵も感じていないようで、憤りとともに羨ましさも感じる。同時に、それらを理解させることへの諦めが生まれて、全てがどうでも良くなってきてしまった。
 酒の善し悪しは全く判らないが、確かにこれはいい酒だ。
 些細なことは気にならなくなり、気分が高揚していく。

「そうだな、美味しい酒だ」

「だろだろ!」

 気分をよくしたジャルは、量の減ったグラスに再び酒を注いでいく。
 先ほどまでの抵抗感はすっかりどこかへと消え去って、促されるまま俺はグラスを口元へと運ぶ。
 うん、なるほど。これは確かに、うまい。

「しっかし、こうして新しい年を迎えると改めて思うけどよ。お前の腐れ縁もすっかり長いものになったよなぁ。いつだったかな、初めて俺がこの城に来た時。最初に会ったのがお前だったよな」

 俺が酒を口にしたことで気分をよくしたのか、ジャルはますます饒舌に、懐かしむように話し始める。
 言われてみれば、こいつと出会ったのももうずいぶんと昔のことのように思える。
 ひんやりとした夜風が酔いにふわりと浮かされた思考を包み込んで、静かに冷ましていく。そうして思い出されるのは、あの日のこと――

「紹介するよ、彼はジャル。今日から君とともにここで過ごす仲間の一人だ」

 俺の背中を優しく包み込んだ手が、一歩前へ俺の身体を押す。そうして向かい合ったのは、ひどく薄汚れた少年だった。向日葵を溶かしたような綺麗な金色の髪も、着ている衣服もぼろぼろで、しかしそれを微塵も気にしていない。まっすぐな瞳には迷いはなく、見つめるこちらがじりじりと焦がされてしまうような熱線を放っていた。
 それは、寒い冬の世界からやってきた自分とは余りにかけ離れていて、一目で思った。
 
『こいつと俺は、絶対に解り合えない』

 こちらを警戒しながらも、それを上回る好奇心と友情への期待に輝いた瞳が屈託なく綻び、ゆっくりとその手が伸ばされた。

「よろしくな」

「……よろしく」

 そうして取り合った掌の体温が、やけに温かく感じられた。
 それが、俺とジャルとの出会いだった。

 年齢も近く、ほぼ同じ時期にやってきた事もあって俺たちは行動をともにすることが多かった。任務であっても、城での日常であっても、常に側にこいつの存在があった。と、いうのもジャルの方から俺に近づいてくることが専らで、俺は別段彼との関わりは望んでいなかったのだが。
 
「おいダズ! 飯食おうぜ! 飯!」

「……別にいいけど。食事くらい一人で出来ないのかい? 君との食事は騒がしくて落ち着かないのだけど」

「騒がしいのはわざとだよ! おまえが暗すぎるから、明るくしてやってるんだろうが」

「頼んだ覚えはないよ。やっぱり断る。一人で食べるから、余所に行ってくれ」

「なんだとぅ!? 一度受けた誘いを断るなんざ、礼儀がなってねえな! 真面目なのは見た目だけかよクソ眼鏡!」

「礼儀がなってないのは君の態度と言葉遣いの方だろう! っていうかなんで座るんだよ」

「うるへー!」

「食べながら喋るな!」

 ずけずけと目の前に現れては心を乱していく、何もかもが正反対なこの男を俺はなかなか好きにはなれなかった。一挙一動が兎に角気に障ったし、気を引きたいのかなんなのか、何かにつけて文句を言って突っかかってくる度に苛立ちが募る。
 なるべくなら関わり合いにはなりたくなかった。
 それでも、あいつはやってくる。軽薄な口調で、にやついた笑顔で、余計な言葉を投げてくる。
 その度に、俺は彼を拒んだ。何もわかっていないくせに、知らないくせに。淀みない川の水のように、清らかで楽しげな笑顔が嫌いだった。 


 それらが覆ったのは、幾度目かの任務を共にした時のこと。
 

「お前っていつもそのマフラーしてるよな」

「触るな!」

 伸ばされた手を、俺は反射的に払った。
 突然のことに驚いたのだろう、ジャルは目を丸くして呆然とこちらを見つめていた。

「っと……んだよ。そんなにキレることねえだろ」

「悪い、けれどこれは大切な人から貰ったものだから。誰にも触れられたくない」

 これ以上は踏み込んで欲しくなかった。
 ここにあるのは、誰にも汚されたくない大切な記憶だ。
 死んだ恋人からの贈り物。俺はそれを今もまだ手放せずにいる。肌身離さず持ち歩いては、彼女の記憶に包まれている。そんな自分を女々しく思うし、いつまでも彼女に執着していることを情けなくも感じる。
 けれどこれは簡単には手放せないし、譲れない。誰にも触れさせない。綺麗なままで、大切にしていたい宝物なのだ。誰であっても、触ることは許さない。子供じみていたって、なんだっていい。これは誰にも触れさせない、俺だけの世界。

「……」

 明示した境界線。
 きっとこいつはいつものように、軽薄にその境界を越えようとする。へらへらとした笑みを浮かべて、鍵をかけた内側に土足で入り込もうとする。そうして容赦なく、悪意なく、清らかな思い出を蔑んで、踏みにじっていくのだ。
 そうであろうと思っていた。決めつけていた。
 けれど、返ってきたのはまったく異なる反応だった。

「そうか、お前にもあるんだな。大切なもの」

 屈託のない笑顔。
 迷いのない言葉。

「俺もあるから、わかるぜ。悪かったな」

 思っていたどれとも違う反応に、俺は言葉を失った。
 そして途端に恥ずかしくなった。
 勝手に人を判断して、線引きをして蔑んでいたのは俺の方だった。

 そうしてはっとする。悲劇に酔っていた自分の姿に。
 大切な存在を失う。それに相応する悲しみを背負っているのは、自分だけではないのだ。自分は何も特別な存在ではない。この掛け替えのない痛みも苦しみも、誰もが抱え得るありふれた事だということに。
 同情でも憐憫でもなく、目の前の男は理解を示した。
 それは簡単に出来ることではない。痛みを知らずして、他者の痛みを判ることはできない。
 きっとこの男も、俺と同じなのだ。

「いや、謝るのは俺の方だよ」
 
 否、俺よりもずっと強く、誇り高い。
 きっとこいつも、俺のしらない悲しみを抱えて生きている。数知れない別れの上に立って、まっすぐ前だけを向いている。
 解り合えないと線を引いて、一人殻に閉じこもっていた自分がひどく情けなく思えた。そして思った、この男には適わない。

「ごめん。君のことを、誤解していた」


 ――それから、さらに時は過ぎて。
 こうして今を迎えている。

「おい見ろよ、ダズ。もうすぐ日が昇るぜ」

 いつの間にか時間は過ぎ去り、生まれたての朝日を世界が初めて迎えようとしていた。遠くに見える空は少しずつ白んで、夜闇の世界は橙に塗り替えられていく。

「まさかお前なんかと初日の出を拝むことになるとはなあ。せめて隣は可愛い女の子がよかったぜ」

「その言葉、そっくりお返しするよ。女の子は別にいいけど」

「なに言ってんだ。素直になれよ、ムッツリ野郎」

「誰がムッツリだ!」

「はは!」

 笑い声が響いた空に、光の筋が走る。
 まぶしい朝日がゆっくりとその姿を現し、雲間を裂いて、世界を包み込む。
 その美しさに、俺もジャルもくだらない話を止めて、すっかり魅入ってしまった。
 こうして並んで日の出を拝めたことにも、なにか意味があるのかもしれない。そう思って隣に視線をやると、同じ事を思ったのか、向こうもこちらを向いていた。
 それが妙におかしくて、気がつけば二人とも笑っている。

「見つめ合うとか恋人同士かよ! 気持ち悪りぃ」

「気持ち悪いのはその発言だ。まったく」

「まあ、なんにせよだ! これからもよろしくな、相棒!」

 堅く握った拳をこちらへと向けて、ジャルはにやりと笑う。

「君の相棒になったつもりは毛頭ないけどね」

「なんだとう!?」

 思い切り眉をしかめた相手の拳に、俺は柔らかく握った拳を尽き出した。


 俺とこいつは正反対で、解り合う事なんてないだろう。そう思っていた。
 俺にとってのこいつは眩く照らす朝日のような存在だ。眩しくて直視は出来ないし、暖かくて溶けてしまいそうになる。俺よりもずっとまっすぐで、淀みなく、清々しい。
 だからこそ、反発し会うのだろう。けれど、それが不思議と心地よい。どうでもいい口げんかも、止むことのない小競り合いも、いつの間にか俺の心を軽くする。
 越えられない悲しみはないのだと、全てを抱いて笑える日が来るのだと。そう思える力をくれる。

 自信があるのは、確かな未来を信じているから。
 その視線に迷いがないのは、歩んできた過去が示す道を見つめているから。

 解り合えない、なんてことは無いのかもしれない。きっと俺は何度も、この目映さに救われているのだろう。
 それはけして、口に出して言うことはないけれど。今、面と向かって言える言葉が一つだけ。

「これからも、よろしく」


 

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