紡いだ言葉 少年が家に来てから、10日ほどの時が過ぎた。 ぼろぼろだった少年の身体の傷はだいぶ癒え、起き上がれる程にまで回復した。 少年の意識が戻ったとき、わたしは本当に嬉しかった。きらりと耀く白銀の髪、吸い込まれるような深い翡翠の瞳。 まるで人形のように整ったその顔に、不思議と惹かれるものを感じたのを覚えている。 しかし、少年の心は閉ざされたままだった。 どんなに笑いかけても、その瞳は濁ったままこちらを映さない。 会話は一方通行で、その唇はなんの言葉も紡いではくれない。 どんな名前なの?どこから来たの?何が好きなの?嫌いなの? 知りたいことはたくさんあるのに、わたしの言葉はただ空気を振るわすだけで沈黙に消える。 その声を聞きたくて、その瞳にわたしを映してほしくて。 わたしは彼に笑顔を向ける。 笑ってほしい。 でも、その思いは届かない。 どうして? みたされない思いを疑問になげかける。 『こういうのはね。時間が解決してくれるんだよ。』 お父さんはそう言うと、わたしの頭を撫でてくれた。 ならば―時が経つのをただ待つことしか、わたしには出来ないのだろうか? 無力な自分が嫌だった。 なにもしないでいることなんて耐えられない。 わたしは、わたしにできることをしよう。 そう、思った。 その日の夜は満月だった。 わたしは彼を連れ出して向かう。 とっておきの場所。 「きれい。」 目の前に広がる風景に、自然と笑みがこぼれる。 まんまるの月光が差し込む小高い丘。そこには一面の花畑が広がっていた。 白く小さな花ばなは、月の光を反射して青白い不思議な輝きを放っている。とても幻想的な風景。 「ここはね、わたしのお気に入りの場所なんだ。月光花っていってね、満月の夜にだけ咲く花なの。」 満月の光を浴びて光輝くその光景は灯火のように明るく、夜の暗さを感じさせない。 花の芳香を全身に感じながら、わたしは両手を大きく広げる。 「あなたと来たかったの。見せたげたかったんだ、わたしの好きなこの場所を。」 そう言ってわたしは微笑む。 少しずつでいい、少しずつ近づけばいい。わたしは、彼の笑顔がみたいのだ。笑ってほしいのだ。 「………。」 月明かりに照らされた少年の唇がかすかにふるえる。 わたしの胸が高鳴る。それを押さえつけて、じっと、視線を彼へと向けた。 「……ディル。」 確かにそう紡がれた。 わたしは嬉しくて、おもわず目を見開く。 「ディル?」 確かめるようにその名を紡いだ。 「……俺の名前。ディル・リルド、だ。」 ぎこちなく発せられた言葉。その一言一言を胸の奥で噛み締める。心がふるえる。 ただ、ただ嬉しかった。 「ディル!そっか、ディル!……ありがとう、ディル。」 何度も紡ぐその名前。馬鹿みたいだとは思ったが、唇が勝手にその名を呼んだ。 そんなわたしの様子を、ディルはちょっぴり困ったような、呆れたような顔で見ていた。 でも、輝くように照らし出す月の光のなかでほんのすこし、微笑んだ気がした。 [次へ#] [戻る] |