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そして夢は泡沫のごとく6
 
 そこにはなんの問題もない。その事実が、何かを変える訳ではない。そのはずだった。自分の存在が何であろうと、それが他と違うものであろうと、己が在るうえで何の支障もない。関係のないことなのだ。
 しかし、ディルは己の中で渦巻くものを受け止めることが出来ずにいた。
 ネオの言葉が、深く突き刺した杭のようにディルを打ち付ける。一つの痛みを伴わないはずの事実が、これほどまでに心臓を締め付ける。
 それは一体何故なのか。理解しがたい『感情』が、確かに存在していた。

「……俺には、記憶がない。お前の言葉の通りならば、俺の記憶は失われたわけではなく。はじめから存在していなかったと、そういうことなのか」

「その通りだ。人間として生きた記憶など、お前には存在しない。そんな意味のないものを求めてきたのか?」

 愚かな我が子を見下ろして、哀れむようにネオは言葉を吐き続ける。

「言っただろう。お前は私が目的の為に造りだした兵器であると。兵器に記憶など必要ない。お前は空虚であればいい。神を殺す、その目的のためだけに存在していればよかったのだ。これまでお前が人間と戯れた時間も、全て無駄でしかない。……どうしてそんな、人間のような顔をする? 悲しみや怒りに嘆く感情など、もっとも兵器に必要のないものだ。だが、無理もないことかもしれぬな」

 ディルへと突きつけていた刃からネオは唐突に手を離す。すると、刀の輪郭はどろりと溶けるようにぼやけ、すうと消えてしまう。
 かすかに目を伏せると、ネオはくるりと踵を返した。

「お前の本来の力は、忌まわしき聖女によって封じられている。成すべき使命を、己の生まれた意味を忘れてしまったのはその悪害に他ならない。それだけではなく、彼女は死に際に呪いを残した。その呪いが今お前を惑わす疑似的な感情の正体だ。だが、心配することはない。時期にその呪いは解ける。ニナや他のコアとの接触によって、お前のコアは刺激され徐々に本来の形に戻りつつある。あと少しだ。」

 靴音を響かせ、まるでそこが舞台上であるかのように流暢な台詞を吐き出していくネオの姿を、皆沈黙したままその目で追う。彼の背中は、地下牢の出口へと吸い込まれていく。
 暗闇がその姿を包み込む、その間際。彼は不意にその足を止めた。
 闇を溶かした双眼が、再びディルを見据える。

「あと少しで、準備は整う。すべてを思い出させてやる。在るべき姿に、お前を戻す。そのために、私はお前をこの手に取り戻したのだ。聖女のもたらした長い夢は終わる。その幻想の全てが、虚無だと知るのだ。ミリカ、後は任せたぞ」

「はい」

 ネオの背中は闇の彼方に消えていく。
 ディルはそれをただ見つめていた。抗うことも、否定することももうできなかった。

「どうして、そんな顔をしているの」
 
 ニナが不思議そうにのぞき込む。
 
――どうして? さあ、どうしてだろう。 

 自分がどんな顔をしているのかもディルにはよくわからなかった。
 どうして、こんなにも身体に力が入らないのか。
 すべて無意味なことだと、必要のない物だとわかっていた。そう思っていたはずなのに。

「悲しいの?」

 大丈夫、やさしくほほえんでニナの腕が再びディルを抱く。

「その心も、すぐにきえてなくなるから。だから、もう苦しくないよ」
 
 悲しい、これは悲しみなのか。
 ニナの冷たい体温が、いつかの温かなぬくもりを思い出させた。
 どうして、こんなにも苦しいのか。
 わからなかった。
 
 ただ、もう一度あの温かさに触れたいと、まやかしの心は願っていた。



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