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黎明のこえ10

 ◆


 扉を開き、進む。
 
 薬品のにおいが漂う空間、大型の機械と培養液で満たされた試験管が並ぶ、薄気味悪い光景。
 実験設備を興味深げに眺めている二人を置いて、ディルは施設内をただただ進む。

 陰鬱とした空気が重く立ちこめている。用途も何もわからないような機械が整然としており、規則正しいその並びを見ているだけで嫌悪感が生まれてくる。

 この空間はどうにも、居心地が悪い。

 五感すべてに与えられる刺激が脳をゆさぶるようだ。同じような空間に、前も居たような既視感。それが正しいことなのか、空白の記憶は答えない。しかしその既視感が、このまとわりつくような不快感の正体であることに違いはない。それだけではない。


 『気配』がする。
 施設に入る前は微弱であるがゆえ、気のせいであろうと思っていたがそうではないようだ。扉を壊し、研究設備のある部屋に入ってからそれは鮮明なものとなり、彼の意識の大半を引きつけていた。
 そして、この『気配』は以前にも感じたことのあるものだった。強くこちらを引きつけるような引力、絡み付いて離れない無垢な狂気。
 そう、これは『彼女』の気配だ。

 『気配』はまさしく呼び声となって、こちらに語りかける。早く、早くと急かすように、それは次第に強さを増す。手を引かれる。その声を辿る。
 彼女がこちらを呼ぶのなら、それは好都合だ。知りたいことがある。その答えとなるのなら、その呼び声に応えてやろう。
 
 施設の中に溢れる打ち捨てられた情報たちには目もくれず、ディルはただただ進む。小さな点灯は次第に明るさを失っていき、空間は暗闇に包まれていく。それにすら気づかないほどにまっすぐ、彼は『気配』のみを追う。
 

 ◆


 そこに、少女はいた。


「ディル! またあえたね!」

 無邪気な笑顔が出迎える。あどけないその微笑みは、無害な少女のものであり、その内に潜む脅威など微塵も感じさせない。
 真っ暗な部屋。足下を照らす非常電灯の緑色に照らされて、少女のまっすぐにのびた金髪はどろりと怪しげに揺らぐ。
 待ち詫びたと、そんな妖艶な表情を浮かべてニナは真白なワンピースを翻した。
 
「来てくれたなんて嬉しいなあ。でも、なんでそんなに怖い顔してるの?」

「ここは軍の、しかもずいぶんと前に打ち捨てられた研究施設だろう。なぜ、お前がここにいる?」

「ディルの行くところなら、ニナはどこにでも居るよ?」

「質問に答えろ……」

「怖いなあ。せっかく今度は邪魔されないで二人きりでお話しできるんだから。もっと楽しもうよ」

 通常の人間で有れば思わずたじろいでしまうだろう、それほどの威圧をディルは放っているのだが、それをものともせず。髪の毛をくるりと指先で弄んで、ニナは唇を尖らせている。
 相変わらず、嫌な空気を纏った少女だ。無言で彼女をにらんだまま、ディルはその様子を伺う。こうしてその存在を目の前にすると、彼女の放つ強い『気配』はまるで実体を持つかのように色濃くなり、重く体にのし掛かる。警鐘が鳴り響く。脈を早める鼓動、それに伴って全身を締め付けていく圧力に息苦しさを覚える。
 
 壊せ、壊せと、奥底からあふれ出す衝動が思考を埋め尽くそうとする。それに呑まれまいと、必死に頭を働かせる。
 以前に彼女と合間見えた時と同じ。本能が、彼女の存在自体を拒もうとする。

「……お前には聞きたいことがある」

 言葉を紡ぐことで沸き上がる衝動を必死に押さえる。相対する少女のガラス玉のような瞳を覗く。そこに感情は見えず、ただ反射された自分自身が修羅のごとく見つめ返してくる。

「なあに? 何でも応えてあげる」

 返り来る言葉はつかみ所がなく。まるで透明な水を手のひらで掬おうとしているような気分だ。指の間をすり抜け、握りしめても後には何も残らない。



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