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真昼の鬼A


「……初耳だな。僕は同士にもそっぽを向かれ、今は蟄居中の、唯のはぐれ者だ」

奇妙な掠れ唖いが庭に撒き散らされる。
鉄を擦り合わせるように響くのだが、鼓膜を震わせるそれは、何故か嫌悪感を与えてこない。

「お主も『僕』か。長州者は、面白い言葉使いばかりじゃ」

長州の人間だからといって、吉田松陰が好んだ言葉を使う訳ではない。
使って居るのは塾生位だ。

「……『長州』で一括りにするのはやめてもらいたい」

刀を持つ手に、知らず力がこもる。
男と自分の距離。
そう離れてはいないが、高低差を考えると。
抜刀の差を考えなくとも、色味の無い男は。

(……強い)

理屈は無く、肌でその強さを感じる。
「それはそれは……」
引きつれるような掠れた唖い。

「知りおうた奴等が、耳慣れぬ言葉ばかり使うでな」
「…………攘夷浪人か?」

久坂や伊藤は『僕』という呼称をよく使う。
久坂など行動に華があるし、目立つのだ。
男の空々の眼球からするりと、また色が流れ落ちる。

「長州は滅びるか生き残るかの瀬戸際じゃ。崖淵の足掻きじゃな」

確かに。

去る昨年の五月十日。
攘夷の魁たらんとする、久坂率いる光明寺党は異国船に火を吹き。
続く、報復戦は『戦』を知らぬ武士の滑稽さをさらけだし。

「だが、同門の者達はお主に妙な信頼があるようだ」


男が唇を舐める。


「儂は、それ、を見てみたい」


だから、斬ると云う。


「……斬ったら、終いだろう」
「斬らねば人など解らぬよ。肌を裂き、肉に刃を喰い込ませ、熱を放出させる。人は中身が総てよ」


斬らねば、解らん。
男は続ける。


「人を形造るのは血肉だ。血と肉、脈打つ臓腑こそが、人だ。儂は幾人も斬った。女子供も、年寄りも斬った。人は皆唯の血肉の塊。獣と変わらぬ血肉の塊だが、だがそれでも人なのだ。志或る者の血肉は美しく、凡人は獣に等しい」


嗄れた唖い声。


「お主の血肉が見たい。不在ながら、お主の名はよく耳にする。如何ほどの者か」

思わず、聞き入っていた。
人は唯の血肉。
思想や志が如何に高くとも。
声高に、攘夷だ開国だ、割拠だと叫びはしても。
この『自分』とは、唯の。
肉の塊。


そうだと、云う気も、する。
そうでは、ないと、云う気もする。


そして。
(強いと、感じる訳だ)
男は幾人も斬っている、人斬りだ。
人を斬った事のない高杉とは、腕が違う。
魅入られたように、高杉は眼を細めた。


斬られてやっても、いいか、と。
どんなに割拠を唱えても、誰も自分をみなかった。
空騒ぎにしか見えない、攘夷の甘い蜜に群がり、自分の言葉など、誰も拾いはせず。
このままこうして、閉じ込められて。
時代の流れから。

(…………一人、遺される)



ならば、今此所で。



『死して不朽の見込みがあらば、いつでも死んでよい。生きて大業なしとげる見込みがあれば、生きる努力をしたらよい』


左手に硬く、重い感触。
知らず力を込めて、ようやっと。自分が刀を握って居る事を思い出し。




何度も何度も読み返した。
何度も何度も字をなぞった。
乱れる事無く、綴られた師の言葉。


『君は問う。男子が死ぬべきところはどこかと』


掠れた視界を、青く高く染め上げる、空。
尊い記憶。情景。














「此所は……僕の、死ぬ場所ではない」


成すべき事を、見付けて居ない。
何も遺していない。

「僕が成す事。それを見付けて、成した後ならば」

人斬りの欲求を満たして、やっても。

「…………それは、何時だ」
「解らない。明日かも知れないし、十年後かも知れない。だが」

此処では、死ねない。

掠れ唖いが消えて居る。
空虚とも云える目玉が。
色を墜とした視線が。
瞬きすらせずに、高杉を凝視する。



「何を成す」



場は凍り付いている。
光も風も、何もかもが停止している。
己の呼吸すら、止まっているような。

人斬りの眼は、逃げる事を許さない。

多くの人間の『内側』をつぶさに、見て触れてきた男は。
何も持たない高杉を、感情伺い知れぬ眼で、観ている。
その色味のない人斬りの問いに、高杉は。




「貴殿が、見極めろ」



口の端を持ち上げて、笑った。


「僕には今何もない。師も、同志も、己の指示する兵力も」

奇兵隊は、既に高杉の手を離れている。

「だが」

自身の胸に手をあてる。

「僕は、今の長州を遺しては、逝けない」

左手に持ったまま、刀を眼前に。人斬りと高杉の間に、掲げる。


「直に僕は此処から解かれる。僕にしか、出来ぬ事がある」


右の手を、柄にかける。


「異国との戦を乗り越えても、次は幕府が構えている。その日、に」

だが、刃を抜く事はしない。
眼前に居るのは、人斬り。

抜いたら、斬りかかってこいと挑発するようなもの。
それでも、高杉は人斬りの視線を遮るように刀を垂直に掲げる。

刀を誇示するように。

「僕は、居なければならない」

どこか皮肉げに。
どこか自嘲気味に。

どこか、誇らしげに。

高杉は、笑う。

「その日に、貴殿が僕を見極めに来るといい」

掠れた人斬りは、暫く刀越しに高杉をじっと見つめる。
色を感じさせない目玉に、視線、その姿。
だが存在感は強く。何よりも。
夏の光の中にあって、汗一つかかずに。

ああ。
高杉は、喉の奥で呻いた。

きっと、『鬼』とはこういう生き物の事を指すのではないだろうか。

人斬りはふいに目を細めた。凝視した視線は刹那和らぎ、高杉の鼓動は一度。
高鳴った。
視線には何の感情も伺えないのだが、人斬りは抜き身の刀を一振りし、鞘に戻す。
そして、にっぱりと嗤った。

「では、そうしよう」

その声に、庭を満たす光が揺らぎ。

「やはり、聞いたとおり面白い事を言う。お主の中、ますます見とうなったわ」

じゃり、と。そのとき初めて。
男は、一歩立ち位置を変えた。

「その日に、お主を観に来よう」

誰にも斬られるなよ、と。

男は嗤う。

高杉は口元に笑みを浮かべたままだったが、柄から右の手を離した。

「名を聞かせてもらおうか。人斬り」

こちらに背を向けようとする人斬りは、その動きを止めて。

「肥後藩の」

掠れた声がその名を紡ぐと、ほぼ同時に。

「河上、彦斎」

うわん、と弧を描いて蝉の鳴き声が木霊する。
先刻まであんなに静かだった、庭に。
熱を忘れて色を掠れさせた庭に、蝉の声が響き渡り。
幕が上がるように、夏の陽射はその強い光で色彩を蘇らせる。

(……静か、だった…………?)

瞬きをして、その現実を高杉が目にした時。

小柄な人斬りは、その痕跡をどこにも残さずに、消えていた。

























あきゅろす。
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