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20090520







「何人斬ったかで評されるものも在れば、誰を斬ったかで評される事も在る」

彼が楽しげに言葉を爪弾いたのは、花が日頃強まる陽射に染まり準ずるように色を深めてゆく、中での事だった。
季節というものは順繰りに、多少の変動は見せつつも順に繰り返されてゆく。
両手で満ちた冷気を包み込むかのように、陽射が零れ始めてから数ヶ月。今や、この世はやわらかくあたためられる時期を過ぎ、萌芽は光が示すまま身の内の強い欲が促すまま空を目指す季節と、なった。
緑が深い。
花もまた、強く深く色を撒く。
また、この季節は訪れた。

「対峙する行為は変わらねえのに、随分な違いだと思わねえか」

細い指先が、膝の上の書物の頁からふわりと離れる。何処で見付けてきたものか、随分と年季が入った装丁のそれに見覚えはない。
また、気紛れに一人で外へと出たのだろう。

「何処から?」
「何、いつものところだ」

大手振って歩ける身でもあるまいに、彼はよく街へゆく。
目当ては彼の事をよく知る古書店なのだが、道中決して人目がない訳ではない。
幾度言っても聞かない彼の事を、猫に紐を付ける訳にもいきませんからと言ったのは、己の師だったか。
それで済ませてしまうのも、困ったものだと思いはするが確かに、とも頷いた。
誰も、彼の行動に枷を付けられまい。
彼は、そういう生き物だ。

「かつての騒乱の時代を書いたものだが、中々に興味深い」

彼の視線は膝の書物、開かれた頁へと注がれている。
文字を追う彼の横顔は、これが名うてのお尋ね者だと気付く者が居るのかと、思われる程静かなもの。
彼を彼と特徴付ける、顔を覆う包帯すらそれは霞ませる程の、静やかさ。

「……先人が、わざわざ書き残す程の事。意味も在ろうて」

片手を付いて、対峙するように座る。畳にも冬の感を覚えなくなって、久しい。
たゆたう甘い香は、何処からともなく室内を過ぎる薫風に薄まる事もない。
この季節を飲んだかの深翠が、ちらりとこちらを向いた。たった一つのその色が、かつては二つ存在した事が不思議と取れる程の、深い深い色。

「世が乱れれば、不浄を生業とするものが名を上げる」

はらりと、色味を変えた頁に指先が添えられる。年月が与えた霞んだ色に、触れる指先は白い。
こちらを一瞥した後、再び落とされた視線を追うが、此処から字面までは認められない。
が、予想は付く。
不浄を生業とするもの。それを呼び現す単語等、そう多くは当て嵌まらない。

まして、彼は最初からそれを爪弾き、口にした。

嘆息でも漏らせば満足するのだろうか、と。思いはすれど、そう彼の思考を肯定してやる事もあるまいとも、思う。
心地良い新緑の風。
芽吹きを促す力在る陽射。
それらが彼を包む。
その穏やかで活気に満ちたものの中にあっても、彼の視線は黄ばんだ紙面、遠い過去を語る言葉に注がれた、まま。

「……己の主義主張を語るのに、声高に叫び論じながらも最後には刀が振るわれる」

因果なものだな。
横顔が声なく呟く。
書物が記すのは遠い時の彼方の事象だろうが、彼も己もそれが過ぎ去った世ではないと、知っている。
季節が巡るように、世も穏やかな時の後、また乱れるのだと知って、いる。
その書物に記された動乱程ではないにせよ、現状は平穏な世とは言えはしまい。

「手にした威力、刀が為し得る効果は解りやすいものでござる」

故に死人に口無し、と。
言われて来ているではないか。
対峙する者の頭数を減らす単純な効果、先導者一人がなければ微風にすら耐えられず瓦解する集団。

たった一つであれ、命を絶つ重さ。
失う事によりさらけ出される、結果。

そんなもの、知り尽くした身であろうに。
気儘に放られる言葉のやり取りにも慣れてはいるが、また今日は随分と回りくどい。
と、笑みを食んだ視線とかち合った。

「攘夷だなんだ、飾り立てたところで所詮、やる事結果は如何に志違えるものを斬るか。に、落ち着いちまう」

古今東西、幾度季節が巡ろうとも。
覚えた方法は余りにも容易く、余りにも簡単に結果を示す。
それが、如何なる澱となるか知っていても。
それはやめられようものの筈が、ない。

「万斉」

漸く名が音にされた。
一言。
その艶やかな声に音にされる意味に眉を寄せる事もなく、受け止める。
季節が巡るように、対峙する彼と己が繰り返し繰り返し、してゆく行為。

己が彼と共に在るのは、その視線で触れその思考で断じた相容れぬものを絶つ、為だ。
それが如何に容易く如何に効果的であり、どのように澱が沈殿してゆくかようよう、知り尽くしていても。
己は。


彼の、人斬りだ。


畳からは既に冬の感は失われている。
差し込むのは、深い深い緑を促す強い光。
嗚呼またこうして世界はこの世は巡り、そうして己は彼の言葉を唯、受ける。

「……テメエは、どうだ?」
「どう、とは……?」

視線を繋いだまま、彼は嗤う。
嗤わねば、ならないのは果たして彼なのか己なの、か。

「数を斬る事によりそう、呼ばれるか…………唯一人を斬った事によって、人斬りと」

呼ばれるか。
視線はぶれる事なく、繋がれたまま。
人斬りは自我で行うものではないだろうに、彼はこうして巡る季節に己へ選択肢を、放る。
糸も容易く。
だが息を潜めて。
揺れぬ視線、嗤う瞳。
だが知って、いる。
簡単に口にしたように見えて、その実彼は。
かれ、は。








「……幾多の者、許多の者をも斬れと言葉在れば、斬るまでの事」

或いは。
お主が、望むのならば。
望むので、あらば。
唯、一人。
お主にとっての唯ひとり、を。


白い白い、あの侍を。


言葉を、紡ぐ事はしなかった。
言葉と、する必要もない事だ。
その指先が手繰る、その字面に遺された唯一人を斬ったが故に後世人斬りと呼ばれるようになった男の、ように。
その男のように、二度とこの己の手が刃を取る事出来なくなったと、しても。
人斬りは、示されたものを斬る。それだけだ。
そして彼は、それを躊躇うべきではない。



「拙者はお主の、高杉晋助の……人斬りでござろう」



視線を繋いだまま、立ち上がる。
見上げる彼の手が解けるように、静かに書物を閉じる。
その、足元に膝をついた。

「違えまい。言って呉れぬか、晋助」

繋いだ視線を彼は静かに伏せてゆく。
それは花が落ちるように、ゆっくりと。
そうしてその細い身体が己の胸へと、沈み込む。
甘い香を抱き留めると同時に、その膝から書物が滑り落ちる。
音立てたそれへと延ばしかけた指先に、白く細い指が絡められる。
そのまま、ものも言わずに唇を合わせ舌をも絡めてきた。
薄く繋げた視線は、己の言葉には応えない。
人斬りは、己の意志で人斬り足り得るものではない。
それを示すもの在って、初めて人斬りと成る、のだ。

許多を斬るも一人を斬るも、彼の望むまま振るおうと幾度、言葉交わしても。許多を指し示せはしても、彼は唯一人を、示せない。

畳に影落とす書物に記された人斬りは、己によく似た人斬り。
たった、一人を斬った事で人斬りと成った、男。

絡められた指先に力を込めて、片側の手で腰を引き寄せる。
彼の手が、静かに頬に触れ唇が離れた。
繋ぐ、視線。
己は。


たった一人を斬って尚、こうして彼の元に在れるのだろうか。


莫迦げた事だ。
出来るに決まっている。己は書物に記された男とは、違う。
かの男とて、たった一人を斬る前に許多を斬っているだろう。馬上の人一人、斬るにはそれ相応の経験がなければ出来まい。
初めて斬った訳ではないのに、その一人を斬った事により人斬りと呼ばれそうして、人を斬れなくなった、男。
無論、会った事もない。遠い時の彼方の男。
人斬りで、在れなくなったその男の背が思考を霞める。
細い身体を抱く腕に、力を込めた。
莫迦げた事だと、幾度も声なく繰り返す。
己は、違う。

だが。

記憶に響く白い侍のあの、音。
それは警鐘に近しく、響いた音。
白い白いあの夜叉を斬った時、己はそれでも本当に人斬りとして、











抱いた身体を、静かに畳へ横たえる。
唯一人を指し示せない主人と、示されもせぬのにその果てを想う人斬りは、互いの言葉を奪うようにどちらからともなく深く、口付けを交わす。

それしか、出来ないのだと。
絡めた指先に強く強く、力を込めて。








『太陽を斬った後』、も。
続くようにと。



























あきゅろす。
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