20090329
降り注ぐ、やわらかな色。
眩さに目を細めつつ、見上げる視界を包むように紅梅が、咲き注いでくる。
その当て嵌められた字より尚、淡い淡い色付きの枝垂れの紅梅はその枝振りの中に佇む己に向かい、咲き落ちる。
溢れんばかりの花片に指先を、添えた。
淡い淡いその色が、ぬくもりを連れている等と思った事はない、けれど。
矢張りと言うべきか、指先が花のぬくもりを感じ取る事はなく、含む香すら落とす事は、なかった。
それでも、そのあたたかな色から指先を解くのは、躊躇われた。
陽射ばかりは世界を眩く照らし出すが、未だ沈黙の季節に準ずる冷たさがどこかしこに散らばっている。
花でさえ、それは同じ事。
見上げる枝垂れの紅梅は、陽射よりもやわらかくやわらかく。
己へと降り注いではいるが、眼にぬくもりを感じはしても、この伸ばす指先、は。
口の端に笑みが浮かぶ。それは愚かな己への、嘲笑。
名残を惜しむ己を意識しつつも、淡い色彩の塊から指先を解く。
握り込んだところで、その淡い淡い花の名残を止めておける訳ではない、が。
それでも。
握り、締めた。
眩い陽射は芽吹きすら内に内に潜めた世界を、唯照らす。
この陽射が内の内の目覚めを呼び、萌芽を誘い、季節が変わる。
枝垂れの紅梅は、その先駆け。
故に花そのものに、触れたところでぬくもり、は。
低く声が漏れる。
喉の奥から、耐え兼ねた声が響き落ちる。
眼にはぬくもりを与えて呉れは、しても現実は沈黙の季節に準ずる冷たさが満ちている。
そうと理解っていつつ、指先で求めてしまう己の愚かさに。
声が、落ちる。
嘲笑の筈のそれは、泣いているかのように紅梅を揺らし眩い世界に散って、行った。
くれない咲く
気紛れと言ったものか、気難しいと評したものか。
基より人の思考を覗き見れる訳もなく、また見れたところで所詮は、他人。
それが解せる訳もない。
解っているが、それでも覗きたいと知りたいと、思い願うそれは遥かな神話の時代に人が知ったという、罪の果実に由来する欲求なのだろうか。
天人のもたらしたそんな寓話を浮かべ、万斉は嗤った。
庭の枝垂れの紅梅は、今が盛りと淡い淡い色彩を西風に揺らしている。
枝越しの空は真白の雲を浮かべた、青。
黒々とした硝子越しであっても、その青は冬のそれより趣を違えてきたのが、解る。
馴染んだ冬空よりも強まった青は、だがそれでもこの紅梅のように淡い色だと、万斉は思う。
淡いまでも眩さを含む空に、眼を細める。
狭まった視界は淡い色彩の輪郭を曖昧にし、それが花なのか色の塊なのか刹那、判別出来なくした。
僅か眉を寄せただけで、眼前の世界は朧に霞む。
「…………儚いものだな。晋助」
滲んだ輪郭を明確にする為、瞼を落とす。
閉じた視界はそれでも陽射を感じ、視界に制限を与える事でそれまで掴み切れなかった梅香もまた、その瞼を撫でるように強く、感じ取れた。
香に誘われるように開いた視界は、微かなぬくもりを含んだ冬空の光の中。確かな輪郭を取り戻す。
その明瞭な視界の中央。淡い花より艶やかな生き物が、万斉にとっての唯一人、が。
佇んでいる。
枝垂れの中から万斉を見返した高杉は、淡い色彩を付け彼へと枝垂れる枝を、軽く手の甲で除けるとその境界よりこちらへと戻り来る。
一度絡んだ視線を惜しげもなく解いて、高杉は紅梅を振り返った。
「儚いものの代名詞だ。今更だな」
風に揺れる淡い淡い花の塊と、それが背にする青。
冬の冷ややかな空気ではあるが、陽射は冬とも言い切れぬやわらかさで、この世を照らしている。
陽射に対してか、花に対したものか。
眼を細める高杉へと、万斉もまた踏み出した。
西風が万斉の髪も高杉の髪も、羽織る着物の裾をも揺らす。煽られる髪を押さえる高杉の指先は、紅梅の枝を除けた左の手。
存分に注がれる陽射が彼の唯一つの瞳を灼き過ぎぬよう、空を背にした万斉の影が高杉の視界を切り取った。
そうすると、陽射を仰いでいた彼と万斉は向かい合う形と、なる。
再び繋がる視線。
万斉は指先を伸ばし、髪を押さえた高杉の手を取った。
この華奢な手が繰り返し浴びた血の色は、淡く開く花のそれより強く強く視界も意識も、灼く強き色。
それに染まった事等、欠片もないと言いたげな白い指先へと視線を、触れさせる。
「……花は、」
儚いものの代名詞。
確かにそうだろう。
咲き誇る姿は刹那、蕾付けるまでの時がより長い。
種子から芽吹き、蕾へ至り花開いて、そうして終わる。再び種子に成るものも成り得ないものも、等しく。
生きて、死ぬ。
それは人の身たる己達も語る言葉持たぬ花も、等しく同じ、筈なのに。
かつてこの華奢な指先を染めた強い強いあの、色は。
染まる事を厭わぬ変わりに残酷なぬくもりを、刹那残していった筈。
そんなものに未練はなかろう、が。
「あたたかかった、か?」
儚く散る命が遺した、熱に等未練はないだろう。
嫌悪を抱きこそすれ、彼がそれを求めた事は、ない。
万斉には断じれる。
結果として高杉自身が血を流し流され歩んで来たのだとしても、その眼その指先、その魂が唯望むのは。
そんな熱では、なくて。
触れる指先は無言のまま、だがそれが万斉の言葉への回答となった。
指先を握り締めて、万斉の体温を与えてやる事は容易い。
このまま手を引きその身を抱き寄せ、言葉も呼吸も奪う口付けをする事も。
そのまま組み敷いて熱を注いでやる事すら、容易い事だ。
そう、容易い。
視界を狭める。
眩いものでも見るように。
歪む視界。
滲む、視界。
花の命に限らず生在るものは皆、儚く散る。
そんな儚さに倣うように、狭めた視界もまた朧に滲む。
容易く形を乱すこの世ですら、なんと、儚いものか。
触れる指先の冷たさもまた、いつまでも続くものではない。
こうして触れて、いれば。
いつかこの指先すら、万斉の熱を写してあたたまる、だろう。
「……花があたたかい訳が、在るか」
滲む世界に静かに響く声。
止どめられぬそれは刹那の証。聞き逃せば二度とは手繰れぬ、形のない儚いもの。
「そうだな……」
それでもこの指先が何を求めて紅梅へ伸ばされたのか、知っている。
儚いこの世の、儚い花へ。
色が熱を持つ等、有り得はしないと理解していてもこの指先は、花へと伸ばされると知って、いる。
淡い淡い、儚き色を重ねて開く紅梅に。
遠い師の、熱を希っているのだと。
かつて指先を幾度となく染めた、強い強いくれない。
そんな強さなど、彼は求めた事はない。
それが遺す熱など、求めた訳ではない。
欲しいのは淡く淡く、彼を包んだあのやさしさ、あのぬくもり。
淡い色が重なるように与えられた、あの記憶の中満ちるぬくもり。
たった、それだけ。
それ、だけ。
触れる指先は、冬の名残りを止どめたまま。
握り締めればいずれ、万斉の熱に染まりはすれど彼は決してそれを求めては、呉れない。
遠い日々を思い返すように、揺れる紅梅。
甘く満ちる梅香。
どんなに記憶をそれに重ねたとしても花は、花。
淡い色彩はあの儚いぬくもりすら、この指先に遺しては、
呉れないのだと、しても。
高杉は指先を伸ばさずには、いられまい。
いられ、ない。
見上げる花は、淡い日々を重ねたように淡く花片を重ねて開く、紅梅。
強い字を当て嵌められつつ淡い色彩で開くこの花の名は、強く高杉に刻まれた師の記憶が、あくまでも優しく瞼に甦るそれと、酷く重なるのだ。
花は唯の花なのだと。
儚く散る花と理解、していても。
花ぐらい、あの日々のぬくもりを覚えていては、呉れないかと。
「……花は唯咲いて、散るだけだ」
万斉に、と言うより己に言い含めるよう高杉は言葉を音にした。
唯咲いて、散る。
「…………儚いな」
香に紛れてしまえばいいのだと、言葉が風に流れてゆく。
冷たいその高杉の指先を握り締める事なく、万斉は口元へと誘って、唯。
唇で、触れた。
唯咲いて、散りまた咲く花のように。
この指先はまた次の季節、くれないの字を与えられたこの花へと伸ばされるだろう。
その指先に。
喩え儚く消えるものではあっても、己のぬくもりを移したい。
次の春。
触れる指先が、今この時程冷たくないように。
今は唯、花程のぬくもりを。
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