第1話 反逆者編より‐討伐‐
【後編】


「全く……勝手な真似、しないでくれる? 迷惑なんだけど」
 心底からの不快感を一点の暈しもなく吐き捨てたシエルは、この容赦ない言葉に見合った傲然たる動作で魔法指輪(ウィッチクラフトリング)を振りかざした。
 クライブも、彼の息子のネスティも、見知らぬ少女も、シエルの眼中にはない。あるのはただ、目の前の魔物のみ。
 指輪に嵌め込まれた魔法水晶(ウィザードリークリスタル)が七色に輝いた時、シエルは隣に控えるソラに静かに告げた。
「やるよ」
「はい、いつでも!」
 獰猛な魔物を前にした上でのソラの眩しい笑顔は、通常の人間の感覚ならば到底理解し得ない光景であるに違いない。が、シエルはまるで意に介さない。長い付き合いで、とうに慣れている。
 魔物はシエル達の声と足音に目敏く反応するも、僅かに遅れを取った。
 シエルが、振りかざした右手を空を裂く様に振り下ろした瞬間――避ける余地もない相当の速さで水晶から伸びた淡い金色の光線が、魔物の胴体を貫いた。
 高く舞う鮮血と、魔物の苦痛の遠吠え。魔物が体勢を崩した所で、ソラも動く。
 長柄槍を手に悠々とした身のこなしで疾駆したソラはあっという間に魔物の懐へと飛び込み、その小さな身体からは想像に難しい並外れた腕力を駆使して魔物の喉に深々と刃を突き刺した。
 突き刺した刃を大きく薙ぐと、先とは比較にもならない甚だしい量の鮮血が吹き荒れ、紅色の雨に変わった。
 人々を脅かしていた獰猛な魔物は、呆気なく崩れ落ちた。痙攣を伴って暫しもがき苦しんだ後、魔物は抵抗する余力の一切を失ったままゆっくりと沈黙に至った。
「……皆さん、もう大丈夫ですよ」
 魔物の息が絶えたのを確認したソラが刃に付着した血を払い、顔に浴びた返り血を拭いながら3人に微笑を向ける。
 クライブも、ネスティも、少女も。いずれも暫くは放心していたものの、少しずつ正気を取り戻した様子だった。
 安堵の溜息。滲む涙。再開の喜び。
「お父さん……ごめん。オレのせいで、こんな事になって、本当にごめん……」
「いや、俺の方こそ済まなかった。お前の気持ちを、蔑ろにしてしまった」
 泣きじゃくるネスティと、苦悶の表情で頭を振るクライブ。そんな2人を、優しく温かな瞳で見詰める少女。
「立てるか? ネスティ」
「うん……」
 歩み寄ったクライブに頷き返し、ネスティは立ち上がる。そして、少女を見た。
「あんたも、ごめん……。『銀』なのに、危ない目に遭わせて」
「ううん。気にしないで、ネスティ君」
 純粋無垢に、少女は笑う。
「一件落着、ですね」
「そうみたいだね」
 ソラの台詞に冷めた声音で応答し、シエルは少女の元に進み出た。
「一応、聞いとく。怪我はない?」
「! あ、うん。わたしなら、大丈夫。さっきは、助けてくれて有難う」
「別に。仕事でやっただけだから」
「シエル……」
 他に言い方はないのか、とでも言いたいのだろう。耳にたこが出来るほど聞いているソラの苦言を、シエルは遮った。
「疲れた。早く戻ろ」
 つかつかと元来た道を歩き始めたシエルの背後から、ソラの溜息が聞こえた。

 * *

「シエル! 起きて下さい!」
 ああ、まただ。シエルは大層うんざりした内情を持て余しながら、ふかふかのベッドの中でごろりと寝返りを打った。
「シエル!」
「あと5分」
「駄目です!」
 ベッド脇に立つソラは、にべもない。
「もう、チェックアウトの時間です!」
「あと10分」
「増えてるじゃないですか! 良いから、早く起きて下さい!」
 旅を始めて以来、直ぐさま日常化したソラとのこの手の遣り取り。絶望的に寝起きの悪い自分に非があるのは一応承知しているとはいえ、毎度の煩わしさはどうにも拭い切れないものがある。しかし――。
「……チェックアウト?」
 未だ靄が掛かった様な朧気な意識の中で、シエルはたっぷりと時間を消費した末にようやく反応らしい反応を示す事となった。ソラの言葉の意味に、盛大な遅れを取って理解が及んだのだ。
「え? 何? チェックアウト?」
「はい、チェックアウトです」
 ソラが、平然と答える。
 シエルは勢い良く上半身を起こすと、慌てて枕元に置いてあった懐中時計に目を向け、一瞬にして強張った顔を晒した。
「……朝食は?」
「残念ですが、手遅れです。ちなみに、ボクはしっかり食べて来ました」
 シエルは、力なく頭を垂れた。

 * *

 ソラに対する恨みつらみを胸に仕方なく宿を後にしたシエルは、焼け石に水と知りつつも好物のキャラメルで空腹を誤魔化す作戦に出た。案の定、大した恩恵を受ける事は叶わなかった訳だが。
 宿の目先に佇む覚えのある少女の後ろ姿を見付けたのは、シエルがキャラメルの最後の1つを口に含んだ時だった。
「あれ?」
 どうやら、ソラも気付いたらしい。
 少女はやや俯き気味に手元にある何かをじっと見下ろしていて、背後のシエル達を認識している素振りはない。
「あの、済みません」
「!」
 ソラが控え目に声を掛けると、少女は酷く慌てた様子でこちらを振り返った。
 少女の顔が視界に入って間もなく、シエルの予測は確信へと変化した。
「あ……昨日の」
「お早う御座います」
 ソラがにこやかに挨拶を済ませた相手は、あの樹海の洞窟付近で邂逅した請負人(コントラクター)の少女に他ならない。
 少女の手には、小型の拳銃――彼女が見下ろしていた物の、正体があった。
「ひょっとして、護身銃ですか?」
「うん。また昨日みたいな事があった時の為に、さっき買って来たの」
 慣れない動作で拳銃をホルスターに仕舞う傍らで、少女は短く説明した。
「っていうか、1人で旅してんの?」
 シエルが淡々と入れた横槍にも、少女は生真面目に応答する。
「そう。1人だよ」
「でも『銀』という事は、戦う力はないんですよね? それで1人旅だなんて、大丈夫なんですか?」
 ソラが少女のチョーカーを指し、シエルも感じていた疑問を投げ掛けた。
「正直、ちょっと怖いけど……わたしには、お守りがあるから」
「お守り、ですか?」
「これだよ」
 少女はシンプルなデザインの赤いポーチの中から無色透明の小さな石を取り出すと、掌に載せて見せた。魔法水晶だ。
「これね、両親の形見なの」
 少女は微かに双眸を伏せ、言う。ここから先は、聞かない方が良さそうだ。
「じゃあ、次はどちらへ?」
 ソラが、さり気なく話題をずらす。
「ロート、っていう隣町だよ」
「ああ、同じなんですね。ボクらと」
 流れは読めた。シエルはキャラメルが入っていた小箱をひとまずポケットに押し込み、2人の会話に耳を傾ける。
「良かったら、ご一緒しませんか?」
「え? でも……」
「宿主さんが、教えてくれたんです。最近、ロート周辺にも魔物が増えてるって」
「わ、悪いよ。わたし『銀』だし、きっと2人の足手纏いに――」
「いえ、気にしないで下さい。ボクらなら、大丈夫ですよ。ねえ、シエル?」
「僕に振るの、やめてくれる?」
 シエルは、無愛想に目を逸らした。
「……本当に、良いの? わたしなんかが、付いて行っても」
 非常に申し訳なさそうに尋ねる少女と、笑顔を保ったまま大きく頷くソラ。
「僕は別に、どっちでも良いよ。だから、さっさと決めて」
 我ながら、冷めた態度だとは思う。突き刺さる様なソラの視線は、取り敢えず気付かない振りをしておく。
 少女は暫し悩む仕草を挟んだ後、シエル達に昨日と違わない温かな瞳を向けた。
「わたしは、キャロ=エマーソン。ロートまでの間、よろしくね」
「よろしくお願いします! ボクはソラ=ハーヴェイ。で、こっちの捻くれた無礼者がシエル=ウォーロックです」
「……悪かったね」
 散々な言われようだ。けれども、余りに的を射ているが故に反論の余地はない。
 言われた内容への苛立ちと言い返せない悔しさも剥き出しに、シエルはソラとキャロを放置して大股に歩き出した。


‐反逆者編 終‐


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あきゅろす。
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